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2012/09/23

宣言すべきは自分は独立した地球人なのだということだ 村雲司 『阿武隈共和国独立宣言』


「阿武隈共和国独立宣言」
村雲司 2012/08 現代書館 単行本 150p
Vol.3 No.0805★★★★☆ 

1)小説である。当ブログではほとんど小説を読まないが、まったく読まないわけでもない。ブログを通して「新訳カラマゾーフの兄弟」も完読したし、一気に村上春樹の出版されているものの殆どを読みとおした。「その男ゾルバ」だって小説だし、「ツラトゥストラ」だって小説だろう。まったく読まないわけではない。しかし、得意ではない。

2)この本は奥さんが借りてきたもの。タイトルが気になったし、気軽に読めそうだったので、手を出してみた。

3)著者はどうやら1945年岐阜県生まれの男性、主人公も同じような設定だから、かなり個人史的な小説と言えるだろう。団塊の世代というと、1948(昭和23)年頃の人たちを連想するが、著者は「終戦っ子」。70年安保世代でも、ちょっと早く来てしまった青年たちに属するだろう。

4)70年前後の反戦運動などが思い入れたっぷりに描かれる。新宿駅西口のフォークゲリラなどが、大きなモチーフのひとつになる。あの時代のモニュメントの一つである。

5)90年代のイラク戦争などに併発されながら、2011年の3・11へと遭遇する。主人公は若い時代にアマチュア演劇の台本を書いたりしていたが、その後、テレビコマーシャルを中心とした広告代理店に入り、職業生活を送る。

6)1945年生まれで2011年だから、すでに66歳になって、福島阿武隈地方の人々とであい、再び、台本を書くことになる。それが「阿武隈共和国独立宣言」である。

7)考えようによれば、小説は一人で作るものだから、坂口恭平のように「1人で、0円で国をつくった」ということにもなるだろう。

8)しかしまぁ、どうして人はこうも「共和国」とか「独立」とかに憧れるのだろう。端的に言って、「国」をつくるのはもう古いと私なら思う。かこい「ロ」を作って、そこに「王」を入れるのが、「国」だろうか。いや「王」ではなくて「玉」だぞ。でも、やっぱりなにか自分で囲いをつくりたがるのは同じようなことだ。

9)いや、もし「王」だとして、その「装置」が「天地人」を貫くエネルギー体であるならば、それもいいのかもしれない。それが「王」だろうと「玉」であろうと、本当に機能しているならば、「国」は「国」たり得るかもしれない。

10)しかし、21世紀の初頭において、すくなくともこのプラネタリー地球にうごめいているグローバリズムは、紛争や戦争を生み出すばかりで、ちっとも天地人を貫いていない。今語られているレベルでの「国」は、古い古いスタイルに成り下がっている。

11)なぜ、この小説においてはハビタットとしての阿武隈地方を書けなかっただろうか。

12)「国名は村の名前をそのまま『阿武隈』とします。
 遠く宮城から茨城まで、フクシマを貫き伸びる阿武隈川と阿武隈の山々は、私たちの母なる大自然です。その命のまほろばに大いなる敬意をこめて、阿武隈と名乗ります。山から木々を得て家を建て、川から水を得て作物を育てた。その自給自足の原点を忘れないとの誓いでもあります。(後略)」
 p112「記者会見の騒然」

13)このレベルは、坂口恭平となんら変わらない同じレベルの妄想である。

14)「あぶくま」になぞらえた虻と熊のユーモラスな馴染みの絵が描かれたバスに、みんなの笑顔が戻った。p120「核武装の真実」

15)阿武隈の語源には諸説あり、定説はないが、遡れば1000年以上、あるいはアイヌ語に語源を求める場合もある。だが、「アブ」と「クマ」で「阿武隈」では、地元の人間は誰も納得しないだろう。ユーモラスを通り越して、無視されるだけだ。

16)この小説にでてくる阿武隈村は仮想の村であり、いちいち目くじらを立てるほどではないが、私自身としては阿武隈は永年心洗われるエリアだと思ってきている。身内の生活圏でもあるし、場合によっては私の終の住処になるはずだ。

17)その阿武隈川河畔で計測してみると、放射線量があっと言う間に1・0マイクロシーベルト/時を示した。それでも東電原発から50キロエリアである。心から憂うる。

18)なにはともあれ、こういう小説が岐阜県出身の作家によって書かれた、ということを確認した。

19)「国」は古いと思う。独立すべきは、ひとりひとりの人間だ。今なされるべきは、「私はひとりの地球人」なのだ、という宣言だ。作家たちのファンタジーに酔って、行き先を見誤ってはならない。

20)ツイッターやフェイスブック、その他のネットやIT上の新機能も、あくまでデバイスに過ぎない。最も大事なのは、自らの地球人スピリットを宣言することだ。

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