補完しあうものとしての「演劇」性と「瞑想」性 『ダイヤモンド・スートラ』 - OSHO 金剛般若経を語る<2>
「ダイヤモンド・スートラ」 - OSHO 金剛般若経を語る <2>
OSHO スワミ・アナンド・ヴィラーゴ 翻訳 1986/03 めるくまーる社 単行本 p739
★★★★★
1)前回、80年代には、ニュートンと私のあいだには「共同性」は消えていた、と書いた。書いたあとで、すごく寂しくなった。ただ、それは完全な表現ではなかった。たしかに「共同性」は消え失せた。しかし、たしかな関係は続いていた。よくよく考えてみれば、それは、補完性へと分化していったのではないか。
2)それはまるで、一つの細胞が二つに分化したようなものだ。それぞれの細胞が、一個の細胞として独立しながら、他の細胞と連携しあっている。そういう関係だったのだ。
3)つまり、ニュートンの「演劇」性がより独自性を持ちながら自立して行く時、私の「瞑想」性もまた独自性を持ちながら自立していった。しかしそれは互いに補完しあうものとして連携しあっていたのである。
4)いままで彼は乙女座生まれで、私は牡羊座生まれ、と単純に思ってきたが、彼が9月生まれで、私が3月生まれ、であり、ちょうど太陽の位置はほとんど対極に位置していることになることに気がついた。ある意味ではライバルであり、ある意味では補完しあうものとして、強烈に引き合うのである。
5)今日は、ニュートンの三七日の命日だった。焼香のあと、またお母さんと話す機会があって、とても楽しかった。
6)彼は9月21日が誕生日である。そこからなのか、お母さんは、ニュートンが「自分は宮沢賢治の生まれ変わり」であると、何度も言っていたことを記憶していた。宮沢賢治の命日は1933年の9月21日である。
7)今日、彼の家を訪問したさい、玄関脇の書斎のドアがあいていた。彼の膨大な本箱など見る気もなかったが、なにげにドアのすぐ側に積み上げられていた本の中に、Oshoの「ダイヤモンドスートラ」があるのを発見した。
8)この本は初版が1986年3月である。すくなくとも、ニュートンは、この時点において、この本を読んでいたのはまちがいない。一つくくりの中には、もう互いを入れておくことはできなくなっていたとしても、彼は彼なりに「瞑想」性を凝視していたのである。
9)この本はよい本だ。かなりクオリティが高い。当ブログでは、まだまだ十分触れていないが、結構おもしろいんだなぁ、これが。
10)彼が「瞑想」性からインスピレーションを受けて自らの「演劇」性を展開していたとしたら、私は私なりに自らの「瞑想」性を、「演劇」性という力を借りて、表現してみる時期にきているかもしれない。
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