「演劇」性とノンフィクション・ライティング 「週刊朝日」 10/26号 2012年10月26日号 緊急連載 橋下 徹 佐野眞一 ハシシタ 奴の本性
「週刊朝日」 緊急連載 橋下 徹 佐野眞一 ハシシタ 奴の本性
10/26号 2012年10月26日号 石川裕人年表
Vol.3 No.0827★★☆☆☆
1)ハシシタだかハシモトだか知らないが、当ブログの関心とはほとんどクロスしない。まぁどうでもいいけれど、なんだこの週刊誌、伊藤計劃/円城塔『屍者の帝国』について清水良典が解説を書いている号と同じだった。
2)あの時はこのタイトルも見たけれど、本文は読む気にはならなかった。佐野眞一という名前は気になったけどね。今日、また銀行に行ったら、誰も読まずに待合のブックコーナーに斜めになっておいてあった。ネットじゃいまや5000円の高値がついている号だが、銀行の待合では誰も関心を持っていない。
3)一通り読んでみて、ふむふむ、と思った。「演技」性性格のハシシタもハシシタだが、サノもサノだな。「フィクション・ライティング」になりかかっている。アサヒもアサヒだ。もっと誠実にジャーナリズムの本道を歩んでほしい。
4)当ブログの出発地点において、佐野の「私の体験的ノンフィクション術」(2001/11 集英社)を読んで感動したのを思い出した。文字にこだわりがあり、何事かを表現するとするならば、私自身はジャーナリズムより、「ノンフィクション・ライティング」のほうが、性にあっていると思った。しかし、あの時感じたものよりも、今回の週刊誌から感じるものは、荒れていて、ダイジェストとデフォルメの手法が極端すぎると感じた。すでにノンフィクションではない。
5)青少年時代を「朝日ジャーナル」で過ごした世代としては、朝日ブランドは説得力がある。しかしながら、もうすでに昔日の面影は薄く、現在の「週刊朝日」など、「サヨク」的な「ポーズ」をとっている、もうひとつのポピュリズムでしかない。実話雑誌以下になり下がっている。こういう時こそ、私は、生涯の仕事として「ジャーナリズム」を選ばなくて、ほんとによかったなぁ、と痛感するのである。
6)被差別部落の問題は、「東北人」の私にはよく理解できない。昔むかし関西で「週刊月光仮面」を発行していた大学生A氏(名前どわすれ)を尋ねた18歳の時、「関西に来ると部落問題の横断幕など良く見ますが、東北ではこういうのはありません」と云ったところ、傍らにいた御父さんに「東北は全部部落みたいなもんだからね」と言われて、それからずっと気になって問題ではある。
7)なにはともあれ、私は、この週刊誌を読みながら、ハシシタの「演劇」性と、佐野のノンフィクション・ライティングの比較について考えた。それは今、石川裕人の「演劇」性と、私の「ノンフィクション・ライティング」の対比として、つなげて考えることができるのではないか。
8)当ブログでは、「還暦を迎えるわが同期生たちに捧げる10冊」なるものを準備中だった。石川裕人が亡くなるほんの3日前のことであった。わが同級生である石川裕人の脚本中をリストの5冊目(中心)にあげ、これからさらに案を練ることにしていた。
9)しかし、こうなって見れば、あのリストのテーマはさらに絞られ、「ニュートン---劇作家・石川裕人の軌跡」とでも改称されるべきのように思えてきた。「生涯と業績」でもいいのだが、ちょっとそれでは重い。
10)弔辞はお母さんに向けて書いた。今準備しかかっているものは、わが同級生たちに向けて書くのである。読んでくれるかどうかはともかくとして、ニュートンを偲びたい、という同級生たちが複数いるかぎり、その人物のプロフィールは最低知っておく必要があるだろう。
11)実際には、彼の全体像すべてを知っている人は、ほとんどいない。お母さんも、芝居や社会の中の彼を知らない。私たち同級生も幼いころや青年時代の彼なら知っているが、成長し、社会の中で活動していった彼の軌跡はもう見失っているところがある。奥さんである一枝さんにしても、小さい頃の事は知らないだろうし、家族には見せなかった彼の顔もあったかも知れない。現在のオクトパスの人びとも、日々共に練習に励んでいたとしても、古い時代の彼のことを知ろうにも知ることができないことになってしまっているだろう。
12)さいわい、最近、劇団の人たちから、今度また会ってお話をしたいです、というお誘いを受けた。彼らにも何事かを伝えたい気持ちがある。
13)そんなわけで「追悼パンフレット・ニュートン」を作りたいと思う。時期は、私たち同級生の還暦祝いがある来年2013年の2月までに発行。量的にはあまり長いと読んでくれないし、短いと何も書けないので、せいぜい、私たちの老眼で一時間ほどで完読できるものにしたい。
14)先日の弔辞は読んで10分だから、読んで一時間の内容といっても、あの6倍。通常の単行本にしたら、せいぜい4~50ページのものとなるだろう。コピーして同級生たちに配るにも、あんまり厚いと私の経費がかさむ。ほどほどでよい。
15)それでもいつかは作られる「石川裕人--その生涯と業績」(仮称)の叩き台になる程度の質は持たせたい。そのためにも、もう少し資料を集め、必要なところは取材し、関係者に聞き取りをしなければならないかもしれない。
16)弔辞ではポイントを越前先生、寺山修司、宮沢賢治に絞ったが、追悼パンフ「ニュートン」(仮称)では、彼の演劇活動の集団の名前でいうと、(1)「演劇場座敷童子」、(2)「洪洋社」、(3)「十月劇場」、(4)「オクトパス」、の4つの時代の区切ってみたい。オクトパスは「oct/pass」とすると、我同級生たちには理解できなくなる。ここは、ぐっと還暦を迎える友人たちのほうに降りてきてもらいたいと望むものである。
17)(1)座敷童子の時代はだいたい私にはわかる。あるいは、私が書かなきゃ誰が書く、という自負さえある。(2)洪洋社や(3)十月劇場は、当時情宣美術や写真記録を担当していたサキが手伝ってくれるだろう。だが(4)オクトパス時代は、一枝さんや劇団員の人びとの話を聞かないことにはどうにもならない。あるいは、この(4)のオクトパス時代こそは、やがて、拡大編集されることになる「石川裕人---その生涯と業績」(仮称)のメインになるはずなので、次なる編集者にバトンタッチすべきポイントだろう。
18)そんな訳で、また、もうすこし上演台本や過去の彼の文章、あるいはマスメディアの報道記録なども活用しながら、石川裕人の全体像の俯瞰に挑戦していこうと思う。
19)「演劇」性と「ノンフィクション・ライティング」。なかなか面白いゲームになるかもね。
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