いやはや腹の底からびっくりしたぞ 黒テント公演『翼を燃やす天使たちの舞踏』1970年
「翼を燃やす天使たちの舞踏」 黒テント公演1970
マルキ・ド・サド作 佐藤信・山元清多・加藤直・斎藤憐構成 佐藤信演出 佐藤充彦・岡林信康音楽 ’70年10月、センター68/70(後の黒テント) 仙台西公園テント興業 石川裕人年表
Vol.3 No.0828★★★★★
1)私にとっても生涯見た演劇のベスト入りする作品であった。演劇というもの。野外というもの、芸術というものを、まざまざと見せつけられた。私は高校2年生。石川裕人は一年遅れて進学したので、まだ高校1年だった。
2)この演劇を一緒に見にいくきっかけになったのは、今となっては定かではないが、私の記憶によれば(エヘン)私が誘ったからである。仙台市外の高校に通っていた彼は、必ずしも情報が最新ではなかった。仙台の街中を横切って通学していた私のほうが、さまざまな挟雑物に触れるチャンスが早かった。
3)ある時、この芝居のポスターを見て、彼を誘ったのだ。見たのは、当時の新左翼の雑誌や新聞が山となっていた「八重洲書房」(だったと思う)。今ではビル街になり一時、新ビルの地下に入った八重洲書房だったが、いまや姿かたちはない。
4)高校2年生になった私は、上級生たちと政治集会に参加し街頭デモにも参加するようになった。デモに参加するときも、学校から下校してきて教科書などが入ったカバンを書店にあずけ、ある者は黒く塗ったヘルメットをかぶって街頭にでた。私は街頭でヘルメットをかぶったことはなかった。せいぜいべ平連(ベトナムに平和を市民連合)のフランスデモ(みんなで手をつないで大通りを闊歩するもの)程度であった。
5)後年、石川裕人は自分のミニコミ発行について「70年戦士」のひとりであった友人の影をモロ体で感じながらの活動」と記している部分がある。(「インタヴュー1973/04」) 彼のまわりには政治的な活動をしていた高校生は複数いたが、ミニコミ発行で影響を与えていたとするならば、それはこの私である可能性は高くなってくる。ただ私は「70年戦士」にはほど遠かった。なんせ、お互い16歳の高校生だもんな。
6)この芝居のインパクトはすごかった。私たちは二人で見に行ったと思う。いや、一緒に行ったのは私だよ、とか、一緒に三人でいったよ、という人がいたら名乗り出てほしい。もし3人だったら、石川の高校時代の「座敷童子」劇団員で、やがて高校を卒業しないで東京キッドブラザーズに参加していったK(元木たけし)がいたかもしれない。
7)元木たけし(演劇名)は、私たちの大事な小中学校時代の同級性だが、早く上京し、私たちとの関係はうすくなり、現在、連絡はほぼない。ネットで検索すると、舞台監督の仕事を今でもしているようだ。石川裕人がなくなった今、彼からの情報も貴重なものとなっている。(たけし、これをみていたら、なんらかの連絡ちょうだいね。せいこう)
8)私は生涯、黒テントは2回しか見ていない。一度目はこの時であり、二回目は、2011/10/26 「窓ぎわのセロ弾きのゴーシュ ワルプルギュスの夜篇」 原作/宮沢賢治 黒テント仙台公演。実に41年ぶりに黒テントをみたわけだ。こまかいことは以前書いたブログに譲るが、よくできた演劇ではあったが、これがなぜ「黒テント」なのか、私には解せなかった。完全に変質していた。
9)私がこの芝居を見に行ったのは、劇団「オクトパス」が同じ宮沢賢治の作品をモチーフとした作品「人や銀河や修羅や海胆は」(東日本大震災魂鎮め公演)を見に行こうと思っていたからだ。同じ賢治を、ふたつの劇団はどう扱うだろう。演劇「界」のことなど、なにも知らない私は、まず、この二つを比較してみようとした。
10)黒テントは、2011年の10月というタイミングで、この仙台の地を踏んでいるのに、壇上から「被災者」への挨拶もなく、その「配慮」のそぶりもなかった。ただただスケジュールだから来たのだ(と私には理解する以外になかった)。単なるエンターテイメントだ。おいおい、それがあんたたちの芝居かい。私は、もうこんな黒テントは、生涯見なくてもいい。
11)このがっくり感があったからこそ、オクトパスの山元町体育館での「人や銀河や修羅や海胆は」公演が、痛く痛く身にしみわたった。よくぞ、ニュートン、ここまできたな。40年かかったね。
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