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2012/10/12

ニュートンが残した100本のシナリオ 石川裕人戯曲集「時の葦舟」三部作<3>

<2>よりつづく

Asi
「時の葦舟」三部作 石川裕人戯曲集<3>
石川裕人 2011/02 Newton100実行委員会 単行本 p262
★★★★★

1)ニュートンが亡くなった。昨夕、サキから電話をもらい、手元の仕事を片付け、彼の自宅に駆けつけた。ちょうど枕経をあげるために若い僧侶が到着したところで、彼はすでに北枕で眠っていた。

2)その寝顔は、やはりただ目を閉じているニュートンでしかなかった。たしかに太めではあったが、体重が増えた時の彼と何ら変わるものではなかった。すでに顔には布がかけられており、それをはねのけて「ニュートン、ニュートン」と声をかけてみるものの、もちろん返事はない。後ろから80をすぎたお母さんが「まだ聞こえているはずだから、声をかけてやって・・・」と涙声で叫んだ。

3)30分ほどの枕経のあいだに、何件か友人たちからケータイに連絡がはいった。同級会からも連絡がはいった。劇団員たちも駆けつけ始めていた。町内会のおじいさんたちも二人、正座して読経を聞き入っていた。

4)その後、葬儀社の社員のリードで、火葬や告別式の日取りを決め、火葬場や葬祭会館と連絡を取り、一つ一つが決まっていった。そして、車で5分ほどの吉祥寺に移動して、庫裡で寺族も交えて法名やお布施の話になった。

5)法名のために人柄を教えてほしいと僧侶にいわれ、口数すくなっていた遺族に代わって、彼の子供時代から今日までのストーリーを私なりに話した。ちょっとでしゃばりすぎたが、彼のキャラクターは一般人にはわかりにくいところもあり、また遺族にとっては説明しづらいのではないか、と勝手に推測したからだった。

6)自宅に戻ったのは結構遅い時間になってからだった。夜食を食べ直し、何人かの友人に電話をかけ、葬儀の日程についてブログにアップした。それから風呂に入り、いろいろ考えた。いろいろな思いが去就したが、まとまりのない記憶がないまぜになった。

7)このタイミングで逝ってしまうのか、と思うと悔しいなぁ、と思った。でもよく見ると、彼もまた享年60歳なのだ。9月の誕生日で59歳になったばかり。現在の日本の平均寿命には達しなかったが、十干十二支でいうところの還暦である。これはこれで、彼の一期の人生だったのではないか。そう考えると、実に充実した立派な人生だった、と私は思い始めた。

8)また何人かの友人に連絡した。みんなびっくりし、君の急逝を惜しんだ。彼とて、本当に覚悟はできていたであろうか。今の私には分からない。もうすこし時間をかけよう。葬儀までまだ時間がある。それまで、ゆっくり、彼との長い長い人生だった今回の人生の意味を考えてみようと思う。

9)彼が残したこの100本のシナリオとはなんだったのだろうか。

<4>につづく

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