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2012/10/24

<誤読>に始まる40年 石川裕人戯曲集「時の葦舟」三部作<9>

<8>よりつづく

Asi
「時の葦舟」三部作 石川裕人戯曲集<9>
石川裕人 2011/02 Newton100実行委員会 単行本 p262 石川裕人年表
★★★★★

1)この「あとがき」を読んでいて、いろいろ考えた。最初に読んでから約一年経過しようとしている。出版→「3・11」「人や銀河や修羅や海胆は」「時の葦舟」三部作を読む、という順序で進んできたわけだが、その後、事態は「方丈の海」「作者急逝」「葬儀」ということに展開した。

2)その後、いろいろな遺業をまとめながら、二七日を迎えるにあたって、再び、この著者が残した唯一の公的出版戯曲集を眺めてみると、さらに意味深いものに見えてくる。

3)演劇人生約40年目にしてやっと初めての戯曲集出版ということに相成った。背中を押してくれた劇団のみんなには本当に感謝です。石川「あとがき」

4)TheatreGroup"OCT/PASS"は、作者にとって、本当に居やすい「帝国」であったのだろう。あらためて、TheatreGroup"OCT/PASS"劇団員の皆様には感謝とともに御礼を申し上げたい。本当に幸せな奴だったな。

5)上演されたこの三部作は私の畢竟の戯曲だと自負できる。1991年から1994年まで書き継ぎ、上演してきた戯曲を再読したが、古びたところが無かった。石川「あとがき」

6)この劇作家を評するに、なにか一つと言われれば、この「時の葦舟」を代表作にする以外にないのだろう。他も全て含めて、この三部作に凝縮して見ることも可能であろう。とするならば、この戯曲集一冊をさらに凝視し、その世界に入り込むことによって、この劇作家の本質に迫ることができるに違いない。

7)約10年ほど「時の葦舟」のような物語演劇から遠ざかったが、ここ数年は先祖帰りしている。やはり自分の質、性(さが)に忠実に生きていこう書いていこうと決めたここ昨今である。石川「あとがき」

8)この「物語演劇から遠ざかった」と表現するところのシリーズは、「現代浮世草子集」シリーズであろうし、「プレイ賢治」シリーズであろう。子供むけの「ジュニアアクターズ」シリーズや、年配向けの「エイジング・アタック」シリーズもまた、ここでいうところの「物語演劇」には当てはまらないに違いない。

9)名付けて「アンダーグラウンド・サーカス」。次の戯曲集はこの中から編んでみようか。石川「あとがき」

10)そもそも「アンダーグランド・サーカス」シリーズとは何であろうか。何作存在するのだろう。もし次の戯曲集に編まれるとしたら、その中にどれが選ばれるであろうか。そして、「時の葦舟」が三部作で構成されているとしたら、次の戯曲集にも、三作品ほどは収録されるはずだった、のだろうか。

11)しかし、今となっては作者自らが選び出版するということは不可能となった。もうすでに不可能であるにも関わらず、次があるかのように装うこの劇作家は、つくづくto be cotinued「つづく」がお好きなようである。

12)私の演劇の師は唐十郎さんである。石川「あとがき」

13)じつは「弔辞」の最初の原稿の段階では、寺山とのエピソードの他に、唐十郎や東由多加や黒テントなどの名前を列挙しておいた。しかしあまりにも長いものになってしまったので、割愛することにした。

14)それにしても、「弔辞」の中で寺山にしか触れられなかったのは、故人に対して失礼だったかな、とも反省する。

15)映画の宣伝のためなにか大きな企画をやろうということになり、寺山修司と東由多加を呼ぶことになった。大者来仙!!寺山さんとは東京へ帰る日に電力ビル西の邪宗門(だったかなあ?)というコタツのある喫茶店で話す機会を得た。

 「いしかわくんは顔が大きいから座長になれるよ」と寺山さん独特の語調で言ってくれたのを今でも思い出す。なんだか大きい人だったという印象と、目の輝き、そしてサンダル履きの寺山修司のところへ何故行かなかったのだろう?と今でも思うことがあるが、後悔ではない。(「石川裕人百本勝負」第二回承前その弐)

16)でも、このようなエピソードが残っているかぎり、まったく寺山を慕っていなかったわけじゃないだろう。逆にいうと、このようなふれあいが、唐との間に個人的に存在した、ということは聞いていない(未確認)。むしろ恩人は、寺山のほうだ、と私は思っている。

17)作風は、唐、寺山、どちらとも言えず、石川独特のものになっていったのではなかったか、と推測する。しかし、私は評論家でもなければ、彼のよき「観客」でもなかった。一時は、制作協力者の立場になりえていたかもしれないが、全体を通して彼の全体を見た場合、よくわからない、というのが本音のところだ。

18)かつて高校生だった頃に「状況劇場」に出会い、芝居は何をやってもいいんだという大きな誤読をした。石川「あとがき」

19)う~ん、ここはポーズのような気がする。彼にしてみれば、かなり気取った言い方をしているのではないだろうか。これでは全部が「状況劇場」に「責任」があるかのように読めてしまう。もちろん、ここは「誤読」ではない。彼はそう「理解」したし、その後、そう「行動」した。

20)その誤読が今現在まで私を突き動かす遠因である。石川「あとがき」

21)誤読であったなら、40年も走り続けられるはずがない。あの時代の風潮の中で、劇作家・石川裕人は「アンダーグランド」を正当に理解し、正当に相続しようとしていたのである。であるがゆえの晩年の物語戯曲「アンダーグランド・サーカス」シリーズにつながってくるのである。

22)その遠因は多くの芝居の友を作り、大きな輪を作ってきた。石川「あとがき」

23)それは本当だろう。

24)改めてTheatreGroup"OCT/PASS"の仲間、「十月劇場」を生きた仲間に感謝します。石川「あとがき」

25)ここでは二つの劇団名しか書いていないが、彼はもちろん、洪洋社や劇団座敷童子の仲間にも感謝している。もう一つの弔辞を献辞した八巻寿文氏の文面にも多く歴代のメンバーの名前が列挙されていたが、十月劇場以降の役者たちの名前を中心に読み上げてくれただけで、実は、情宣や裏方、照明、舞台設定、美術など、読み上げきれない多くの方々が参加している。

26)その豊かな収穫がこの戯曲集になったと実感している。石川「あとがき」

27)だとするならば、やはり、この一冊を再読、再再読することは、故人に対する供養ともなろう。すでに残部希少(!)とは聞いていない(笑)。まだネット上から購入できる

28)皆さんのおかげでここまで来ることが出来ました。2010年12月 石川裕人 p260

<10>につづく

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