市場での瞑想の真髄 OSHO 『反逆のスピリット』 <1>
「反逆のスピリット」 <1>
OSHO (著), スワミ・デヴァ・マジュヌ (翻訳) 1990/12 めるくまーる
単行本: 323p
Vol.3 No.0812 ★★★★★
1)ディビッド・ソローや老子、ゲーリー・スナイダーや寒山拾得、宮沢賢治や鴨長明、あるいはビル・マッキベンや三省のことなどを思い出して、なにか、もうひとつすっきりしない自分を感じていた。
2)かたや「森」や「山」があり、かたや「街」や「市場」がある。この相矛盾する二つの対立概念の配合具合の匙加減はいかに。
3)そして今、当ブログは「Meditation in the Marketplace」のカテゴリに停泊しつつ、長期に渡って、そのバランス感覚を楽しんでいるところだ。
4)山に行って瞑想的な気分になる。そしてそのまま瞑想の中に消えていってしまうことも可能であるかもしれない。
5)あるいは市場にいて、雑然とした不協和音の真っ只中にいる自分をみる。
6)市場にいながら、山にいる深い瞑想を持ちえたら、それこそが「反逆」なのではないか。今、もっとも必要なキーワードは反逆だったのではないか。反逆とは、SNSで過激な言葉を発したり、街頭にでて行動することだけではない。もっと「瞑想」の質に近いなにかなのだ、そう思えた今朝だった。
7)そう思って、この本を引っ張り出してきた。気がつけば、なんども引用はしているけれど、単体としてこの本を当ブログに登場させるのは初めてだった。
8)今回は目次だけ引用しておく。もう目次を見ているだけでナットクしてしまう。
9)目次
服従がこの危機をもたらした
自分自身でいなさい
大好きなことを仕事にしなさい
急がないと地球は終わってしまう
反逆者は戦士だ
新しい夜明けの前ぶれ
神はフィクションだ
反逆者はゾルバ・ザ・ブッダだ
反逆の炎
自分自身であることの喜び
炎の魂とともに生きる
笑いながら反逆する
危険にみちた生を生きよ
反逆者求む---ただし個人にかぎる
内側に入って見てごらん!
反逆者に従うべき道はない
究極の恋愛
暴力は問題外だ
愛と瞑想からの反逆
正義とは何か?
光明を得た反逆者が必要だ
だれの内にも反逆者はいる
瞑想とは何か?
24時間瞑想している必要はない
<存在>を信頼して生きる p4「目次」
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