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2012/10/27

石川裕人は宮沢賢治の生まれ変わりなのか 『見える幽霊』 PLAY KENJI#1

Mie
「見える幽霊」PLAY KENJI#1
石川裕人作・演出 1996/06 仙台演劇祭'96プレ公演  盛岡・ イーハトーブ演劇祭招待参加 上演台本p103 石川裕人年表
Vol.3 No.0835★★★★☆
 

1)今年、1996年は賢治さんの生誕百年です。偉い人もマスコミもみんなそう言っているので多分そうなんでしょう。

 考えてみるとキンさん、ギンさんは賢治さんより年上なのだ。(感心する事なのかは別として)ただ、そんなに昔に死んだ人ではないということ。賢治さんの研究家は星の数ほどいて、賢治さんを信奉する人、賢治さんを愛する人、賢治さんに一方ならぬ親近感を持つひと、賢治さんの生まれ変わりであるとのたまう人(これは愚生)、その人たちの賢治像はその人達分くらいあるといっても過言ではない。

 それほどの人は、世界的に見てもいなにのではないかと、この前お会いしてお話をする機会を得た賢治さんの親戚で宮沢賢治記念館の館長さんも言っておられた。多分そうなのである。だからこれから愚生の書くこのお芝居も一般の賢治像からはほど遠いものになることは確実なところです。そうなんなかったら御免ね。

 とにかく「PLAY KENJI」ですから賢治さんと遊ばないことには始まらないのですが、賢治さんが木立の陰や、風にザワザワそよぐ草叢の陰、神社の狛犬の陰から私たちの馬鹿騒ぎをちょいと覗いてくれるだけでいいのですが、 上演台本p1

2)当ブログでは、「TheatreGroup"OCT/PASS"」を劇団オクトパス、「PLAY KENJI」をプレイ賢治と表記してきた。自分のブログに書きつけるメモならそれでもいいのかもしれないが、そろそろ作者自身が記した表記方法に改める時期がきているかもしれない。

3)劇団オクトパスはどうして「TheatreGroup"OCT/PASS"」にならなければならなかったのだろう。プレイ賢治はどうして「PLAY KENJI」でなければならなかったのだろう。十月劇場を超えるという意味では"OCT/PASS"であるのは理解できるが、なぜにTheatreGroupでなければならなかったのか。そして賢治ではなくて、KENJIでなくてはならなかったのか。

4)私がもし東日本大震災魂鎮め公演「人や銀河や修羅や海胆は」に感動したとすれば、そこには自分が思う賢治がいたし、劇団や役者が演じる芝居や、そこから広がるイメージが、宮沢賢治という背景とつながることによって、限りない空間を持ち得たからだった。

5)その、みんなの自分勝手な「賢治像」に対峙させて、あえて「KENJI」とすることによって、作者は作者なりの強い思いを込めようとしたのだろう。

6)「PLAY KENJI」シリーズ(と勝手に言ってしまう)は6作ある。♯3は勝手に3にしてある。

PLAY KENJI#1 「見える幽霊」 1996/06
PLAY KENJI#2 「カプカプ」
 1997/07
PLAY KENJI#3 「センダードの森」 2004/06仙台文学館篇
PLAY KENJI#4  「修羅ニモマケズ」
 2005/09 
PLAY KENJI♯5 「ザウエル~犬の銀河 星下の一群~」 2006/12 
PLAY KENJI#6
 「人や銀河や修羅や海胆は」 2011/07 東日本大震災魂鎮め公演

7)PLAY KENJI、Play Kenji、Play  KENJI、と様々に表記されているが、ここはPLAY KENJIに統一しておこう。ここで気がつくことは、実にこのPLAY KENJIシリーズは足掛け15年の期間に渡って続いており、準備期間を考えれば、石川裕人のTheatreGroup"OCT/PASS"における作品の一貫した柱になっている、ということだ。

8)それに比して、もうひとつの柱に思えた「現代浮世草紙集」シリーズ(と勝手にいってしまう)は、スタートダッシュはよかったものの、21世紀に到達する前に消滅してしまった。

現代浮世草紙集第1話 「素晴らしい日曜日」 1995/03
現代浮世草紙集第2話 
「小銃と味噌汁」 1995/06~07 
現代浮世草紙集第3話 
「教祖のオウム 金糸雀のマスク」 1995/11
現代浮世草紙集第4話 「犬の生活」 1996/02
現代浮世草紙集第5話 「1997年のマルタ」1997/03 

現代浮世草紙集第 話 「夜を、散る」1999/11

9)「現代浮世草紙集」は「AZ9(アズナイン)ジュニア・アクターズ」シリーズや、「エイジングアタック」シリーズに継承されていったのかもしれない(未確認)。

10)’08年、94本目「少年の腕」ーBoys Be Umbrellaーはアングラ・サーカスという新しいスタイルを求めて書き下ろされた戯曲。というより得意分野にシフトし直したという意味合いが強い。得意分野とは綺想、フェイク、大法螺である。この分野になると思わず筆が走る。最新作「ノーチラス」までこの分野の戯曲が多くなっているのは何か意味するものがあるのだろうか?石川「劇作風雲録」 第二十回最終回 砂上の楼閣?

11)アンダーグランド・サーカスというコンセプトは、シリーズ化しているわけではないが、PLAY KENJIを超えていく、石川裕人の次なる「つづき」の位置づけにあったのではないだろうか。

12)「賢治さんの生まれ変わりであるとのたま」って見せる石川裕人だが、唐十郎を演劇の師としている以外、他の人物に自らの寄せて語っている部分はすくないのではないだろうか。

13)転生輪廻のシステムは、チベット密教の継承者探しに見られるように、一丁一旦に確認されるようなものではないが、本人がそのようにいう限り、かなり親近感をもっていたことはたしかだろう。

14)葬儀にあたって、多くの人々の弔問を受けて、お母さんが「こんなに多くの人たちに慕われているとは思っていなかった。裕二は何かの生まれ変わりだったんだろうねぇ。こんな田舎っぺの元に生まれてくれて、どうもありがとうねぇ」と、遺影の話しかけていた。

15)いずれにせよ、3・11後とはいえ、当ブログとしては、急速に賢治への収束を感じた限り、この度、降って湧いた、石川裕人おっかけの収束点も、この「PLAY KENJI」シリーズあたりに見ることができれば、とても分かりやすいと思う。

16)賢治 あなた達は幽霊です。もちろん、僕も幽霊です。見える幽霊。
 僕たちという現象は、有機交流電燈の、ひとつの青い照明です。あらゆる透明な幽霊の複合体です。風景やみんなと一緒にゆらゆらゆらゆら明滅しながら、たしかにともり続ける、因果交流電燈のひとつの青い照明です。
上演台本p100

17)最初、賢治シリーズの始まりとしては「見える幽霊」というタイトルはあまりふさわしくないように感じたが、賢治の「春と修羅」を下敷きにしているかぎり、これはこれで石川版「賢治」ということになるのであろう。

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