« 石川裕人ポスト3・11ノンフィクション・ライティング 『宮城県復興支援ブログ ココロ♡プレス』<1> | トップページ | 石川裕人『又三郎』 20世紀最終版 仙台演劇祭参加テント公演 2000 »

2012/10/30

石川裕人版宮沢賢治第二弾 『カプカプ』PLAY KENJI#2

Kap
「カプカプ」PLAY KENJI#2
石川裕人作・演出 1997/09 OCT/PASSスタジオ 上演台本 p80 石川裕人年表
Vol.3 No.0842★★★★☆

1)1997年に宮城県芸術選奨を受賞。54本目「カプカプ」PlayKenji♯2 宮澤賢治の「やまなし」を底本に生と死をめぐる幻想的な戯曲。舞台の半分がプールという仕掛けにお客さんが大喜びだった。「カプカプ」のカニの親子。シャワー状の雨が降る仕掛けに観客で来ていた外国人女性が「Fantastick!!」と歓声を上げていた。石川裕人「劇作風雲録」第十四回 とんだバブル。

2)石川裕人PLAY KENJIシリーズの第二弾。石川の賢治理解、あるいは換骨奪胎。換骨奪胎とは「古人の詩文の発想・形式などを踏襲しながら、独自の作品を作り上げること。他人の作品の焼き直しの意にも用いる。」(Weblioによる)とのことである。

3)たしかに、この作品は宮沢賢治の童話「やまなし」に着想を得ているが、かなり趣のちがったものになっている。OCT/PASSスタジオで公演が行われていて、どうやら、水もふんだんに使えるプールを設定していたようだから、上演台本を読むだけでは、本当のこの演劇の面白さはわからないようだ。

4)山椒 驚くべき事に、生物学的には「死」という概念はない。ある高名な生物学者に、死とはなにかと尋ねたら、「生きていないこと」という答えが返ってきた。生物学が生の学問であり、その対極にある死はまさに死角だった。医学でもことは同様だ。

 死は、医者にとっては常に敗北であり、あってはならない事故であった。患者の死を迎える医学という項目は、内科の書物にも外科の書物にもなかった。医学では生命は不死であるべきだった。死をどのような形で引き延ばそうとも、遺伝子にはこうプリントされている。生命は元々死すべきものとして生まれてきたのだ。上演台本p40

5)決して大きくない、せいぜい50も入ればたくさん、というOCT/PASSスタジオの、プールつきのステージの、多分ファンタジックであっただろう雰囲気の中で、このようなセリフを語られれば、私などは、絶対、身の乗り出して、芝居の中にのめり込んでいくと思う。

6)しかしながら、そこに「答え」は結局もどってはこなかっただろう。

7)彼の「演劇」性はつねに「つづく」のだった。「完」というものがない。しかしながら、私たちが感知している「瞑想」性は、まずその「死」を自らのものとして体験する。自らの人生を「完」として終わらせることから、新しいなにかが始まるのである。

8)山椒 今死ぬ間際だぞ。死んだら泳ぐのも飛ぶのも自由自在だ。
ボン そうなのかい?
山椒 だって幽霊だからな。
ボン 幽霊か・・・、怖いなぁ。
上演台本 p667

9)瞑想をしていたら、あるいは「瞑想」を第一義としていた場合、このような台本は書けない。こうはならない。そうは知ってか知らずか、このような台本を書ける、というのが「演劇」性なのである。そこに展開されるのが、真実であろうが、彼いうところの「フェイク」であろうが、演劇は成り立つ。

10)この戯曲は宮沢賢治の「やまなし」に想を得て書かれました。相変わらず賢治さんには頭が上がりません。上演台本p80

11)石川裕人が劇作家であり、この演目がPLAY KENJIのひとつであってみれば、自前のスタジオで、このようなテーマの演劇が展開されたとしても、観客はそれを、ひとつの作品として「楽しむ」ことはできる。それに対して自由に自分の感想や体験、あるいは意見をいうことができる。

12)しかしながら、生の対局が死であり、生命は元々死すべきものとして生まれてきたのだ、とまで言われれば、私の「瞑想」性は、うずく。決してこの台本や演劇に満足することはないだろう。問いかけは深い。しかし、その問いかけに対する思索は、この芝居の中で、十分に行われていただろうか。結局は、答えは、観客のひとりひとりに返されていただろうし、ひとりひとりが、自らの内にその問を持ち帰ってこなければならない。

13)であるならば、私なぞは、芝居を見る前からこの問いにとりつかれていると言える。芝居をみることによって答えがでない(と決まっているわけではないが)のならば、あえて、芝居なんぞみる必要はない、ということになる。依然として問いは問いとして残ったままなのだ。

14)
PLAY KENJI#1 「見える幽霊」 1996/06
PLAY KENJI#2 「カプカプ」 1997/07
PLAY KENJI#3 「センダードの森」 2004/06仙台文学館篇
PLAY KENJI#4  「修羅ニモマケズ」 2005/09 
PLAY KENJI♯5 「ザウエル~犬の銀河 星下の一群~」 2006/12 
PLAY KENJI#6
 「人や銀河や修羅や海胆は」 2011/07 東日本大震災魂鎮め公演

15)上記を一連の石川版賢治理解とするならば、まずは6作品すべてを見てみなければわからないが、♯1と♯6にはかなり関連性があるということは言える。そのあいだにあって、♯2は、ちょっと小ぶりなアングラ・サーカスと言えないこともないが、せいぜい、アングラ・コントになってしまっているかもしれない。♯2から♯3につながるのは、ここから7年の月日を要する。

|

« 石川裕人ポスト3・11ノンフィクション・ライティング 『宮城県復興支援ブログ ココロ♡プレス』<1> | トップページ | 石川裕人『又三郎』 20世紀最終版 仙台演劇祭参加テント公演 2000 »

29)Meditation in the Marketplace3」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 石川裕人ポスト3・11ノンフィクション・ライティング 『宮城県復興支援ブログ ココロ♡プレス』<1> | トップページ | 石川裕人『又三郎』 20世紀最終版 仙台演劇祭参加テント公演 2000 »