真理への道の裏表 石川裕人劇作100本達成記念公演『ノーチラス』 ~我らが深き水底の蒼穹~ TheatreGroup“OCT/PASS”Vol.31
「ノーチラス」 ~我らが深き水底の蒼穹~
石川裕人劇作100本達成記念公演 TheatreGroup“OCT/PASS”Vol.31 2010/07~08 初稿 p120 石川裕人年表
Vol.3 No.0817★★★★★
1)一緒に何冊か台本を借りてきたので、メモはともかくパラパラとめくってから返却しようと思った。しかし、トッパシで引っ掛かってしまった。
2)癖というものがある。くせではなく、へきである。意味としては同じなのだが、くせよりも重傷かもしれない。そして第三者からみたものではなく己本体しか感得できない我ながら恥ずかしい習性でもある、。
愚生の癖は嘘をつくことである。それも路地の暗がりへ暗がりへ袋小路のどん詰まりまで行くような嘘である。オオカミが来るぞ少年にならなくて済んでいるのは劇作をやっているからだ。劇作がなければ今頃詐欺師として牢獄と娑婆を行ったり来たりの人生を送っていたのは確実だ。
しかし、牢獄を劇場・稽古場、娑婆を日常と置き換えれば(この逆かもしれないが)前科がないだけで、あまり変わらないかもしれない。
そんな奴が百本の嘘をつけばそれは真実になるのだろうか。 初稿p1
3)この文章は看過できない。多読家であった彼は、どこからかこの文章をコピーしてきたのかも知れないし、まったくのオリジナルかもしれない。私自身これににたニュアンスの文を読んだことがあるような気もするが、なんの根拠もない。
4)この文章は巻頭言なのであり、作者筆とか書いていなければ、たんに挿入言なのかもしれない。しかし、この作品が彼の100本目の劇作であるかぎり、「そんな奴が百本の嘘をつけばそれは真実になるのだろうか。」という述懐は、かなり作者の本懐といっていいに違いない。
5)だとするなら、私の中ではかなり氷解するものがある。仮に彼が小学校4年で将来は劇作家に成りたいと夢をもったとすれば、私もまた同じ頃、将来はジャーナリストになりたいという夢をもったことは確かだった。そして上学年になると、私の新聞の標語は「ペンは剣より強し」になった。(この言葉の出典は「来たるべき民族」を書いたイギリスの小説家ブルワー・リットンの戯曲『リシュリュー』にあるらしいことを最近になって知った)。
6)ジャーナリズムというものに対する私の幼い正義感は、早くも高校時代の学生運動の中で崩壊していくのだが、このブログにも「ジャーナル」とつけているように、ジャーナリズムには未練があるらしい。
7)しかし、ジャーナリズムが「事実」を文字にする(あるいは報道する)「文芸」であってみれば、かたや劇作というものは脚本という「文芸」を、ステージの上(とは限らないが)に「事実」化する芸術であった。そもそもが、今ようやく気がつくことがある。二人は同じ「文字」にこだわりがあったが、その方向性は、まったく逆だったのである。
8)真実を真実として描写することなど出来ないんだ、と理解した高校生の私はジャーナリズムに夢をもたなくなり、より「真実」なものを「瞑想」性に求めていった。
9)しかるに彼は、最初から「嘘」をよしとしているのだった。しかも「100本」も嘘をついた。これじゃぁ、二人がソリが合わなくなるのは当たり前だった。今になって気付く。
10)1990年代前半の「時の葦舟」三部作あたりまでは彼の作品を見ていたが、いよいよこれはだめだな、と思ったのは1995年の「教祖のオウム 金糸雀のマスク」を観た時だった。このオチョクリは、完全に私の精神世界とずれた。これ以降、彼の演劇は見ないと決断した。だから劇団オクトパスの作品はほとんど見ていないことになってしまう。
11)そんな奴が百本の嘘をつけばそれは真実になるのだろうか。 初稿p1
12)私はならないと思う。嘘は嘘であり、どこまでも嘘だ。そして嘘の裏側には「真実」はない。もっと正確に言うなら、それと「真理」とはまったく別な次元に属している。真理は正反を超えているだろう。
13)ここが、「演劇」性と「瞑想」性の差異である。彼がジャーナリストになることもなかっただろうし、私が劇作家になる可能性ももともとなかったのだ。今夜はとにかくそう理解しておく。
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