起こるべき事が起こっただけではないのか ジャン・ピエール・デュピュイ 『ありえないことが現実になるとき』
「ありえないことが現実になるとき」 賢明な破局論にむけて
ジャン・ピエール・デュピュイ 桑田光平・他・訳 2012/05 筑摩書房 単行本 233p
Vol.3 No.0813★★★☆☆
1)松岡正剛が「3・11を読む」でデュピュイの「ツナミの小形而上学」を紹介していた。前後して出版された本ながら、こちらは、今年になって邦訳されたものである。こちらも一応目を通しておこうと思ったが、当ブログとしてはなかなか読み込めない一冊だった。
2)その理由の一つに、3・11後の日本語版への序文「倫理的思慮の新しい形」(2011/12/23)が付されているものの、そもそもは2001年の9・11に触発されて書かれた一冊であり、原書出版も2002年であってみれば、ポスト3・11の読書としては、すこしタイミングを失っており、ポイントも微妙にずれている。
3)そもそもが、私自身にとっては9・11と3・11は比較にならない別々の事象である。9・11はアメリカのことであり、あるいは中東との出来事であり、それは「戦争」なのであって、人間対人間で解決できるものだろう、という感触がある。
4)そういう意味では、1995年の阪神淡路大震災も、東北人の私からは、遠い「向こう」のことであった。残念なことではあるが、私にはむしろその直後に起こった麻原集団事件のほうに、より巻き込まれてしまう要素があった。
5)今回3・11にも沢山の評論があったが、たとえば「ポスト3・11の子育てマニュアル 震災と放射能汚染、子どもたちは何を思うのか?」を読んだ時に、私はどうしてあんなにイラついたのだろう、と自分なりに不思議に思った。今思えば、あの本は、3・11を直視しないまま、阪神淡路大震災の「体験」をとうして類推している文章が多かったの原因だったのだ、とわかる。
6)3・11を理解するに、9・11を通して理解しようとする動きもあるが、私はそれには賛成できない。9・11は避けようとすれば避けられたことである。また、阪神淡路は個人的にどうしても対岸の火事的な要素があった。
7)3・11についての率直な私の感覚を言えば、起こるべきことが起こるべくして起こった、という感覚がある。そして、私自身が、その渦中にいるべきだ、という感覚は、まさに、私自身はこの日のために生きていたのだ、という感覚にさえ昇華する。
8)3・11については、地震、津波、原発、の三要素があり、場合によっては原発に特化して3・11を語る向きもあるが、私はそうしない。むしろ、3・11は地震、津波にとどめて考えてもいいのではないか、とさえ思っている。
9)原発事故は、起こるべきことが起こるべくして起こったのだから、決して「ありえないことが現実に」なったわけではない。いくらでも避けることができたのだし、それは人間界の問題だ。
10)地震・津波もまた「起こるべきことが起こるべくして起こった」のだから、同じようなことなのだが、これもまた「ありえないことが現実に」なったわけではない。容易に想定できたし、予告もされていた。しかし、沿岸部の被害規模はともかく、地震と津波という現象は、「起こるべきことが起こるべくして起こった」のであって、ありえるべきことが現実になったに過ぎない。
11)もちろんそれはごく少ない確率で起こる現象であり、日常的に見られる現象ではない。ごくまれに起こることではあるが、起こってしかるべきことが起こったに過ぎない。
12)そして、私自身は、この状況こそが、今回この生を受けた理由だった、とさえ思い込むほど、必然的な、運命的なつながりを感じる。
13)この現実は受けいれる以外にない。大自然、大地球との対峙である。デュピュイがいうように、ここから新しい形而上学を作ることも可能であろうが、その論理性、その分離性には、いつまでも違和感を感じる。
14)現実、あるいは自然、地球と対峙する時、そこに解決策があるとすれば、それらと一体になってしまうこと、その中に溶けさってしまうこと、それ以外にないような気がする。「私」という感覚は、ごくごく小さなコップの水に過ぎない。大自然という大海原にとけ去ることしか、「私」にはできないのではないか。
15)私にはちょっと難しすぎて、よく読みきれなかった一冊だが、印象だけメモしておく。
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