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2012/10/27

20歳の石川裕人はアングラ劇作者として顔を現した 『顔無獅子(ライオン)は天にて吠えよ!』 演劇場座敷童子 第2回公演

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「顔無獅子(ライオン)は天にて吠えよ!」
「いしかわ邑人/作・演出 1974/06 演劇場座敷童子 第2回公演  仙台市民会館小ホール 石川裕人年表
Vol.3 No.0837★★★★★

1)当時仙台には劇場なんてものは仙台市民会館と県民会館、電力ホールくらいしかなかった。もちろんアングラ劇団も小劇場系劇団もなかった。私たちは仙台演劇界の鬼っ子として誕生したのだった。

 その証拠として翌年’74年「演劇場座敷童子」第2回公演「顔無獅子(ライオン)は天にて吠えよ!」を仙台市民会館小ホールで上演した時のこと、「河北新報」に宣伝に行き、記者からけんもほろろに扱われた。他劇団から私たちは全く無視された。市民会館のスタッフも「下手だなあ」とご丁寧な感想を述べてくれた。

 この時、私は二度と公共の会館なんか使うか!!と思った。しかし、それがアングラへの道筋をはっきりさせてくれたようにも思うのだ。それが翌年’75年の劇団名改称とメンバー総入れ替えにつながる。つまり、劇団員とのつながりを密にすることが作風と集団論の変化を生んだ。石川裕人「劇作風雲録」第三回 仙台初上陸。

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 3)この時のチラシは私が作った。こんなの作ったことなど、すっかり忘れていた。サキが提供してくれた膨大な資料の中に発見し、あっけにとられた。ポスターも作ったはずなのだが、それは見つからない。黄色い模造紙にシルクスクリーン印刷だった。 

4)このチラシで下のほうに当時のたまり場喫茶店「どぐら・まぐら」と雑誌「時空間」の名前がでているのが、懐かしい。ポスターのほうは、もっと綺麗で刺激的だったのだが、また私なりの「参加」癖が始まった。ポスターの下のところにもやっぱり「広告」を入れたのだ。それは団体名。「男根武装同盟」と、ただ、これだけである。

5)仲間うちには好評だったのだが、市民会館の会場入口に貼るのは職員から拒否され、その部分だけ、切り落として張り出された。それは覚えているが、芝居の内容なんて、まったく覚えていない。会場にさえ入いんなかったんじゃないか・・・? わからん。 

6)宿命の対決はコブラ仮面と明智小五郎の上にだけ降りかかってくるものだろうか? 顔を主張しはじめた獅子は予兆の風を感じて天で吠える、吠える、吠える!!!

 あの市民会館小ホールに飛行船つぇっぺりんが出現、そしてステージが踊るぞ。 チラシ文面
 
7)ああ、もはや何をいっているのかわからない。おーい、ニュートン、ちゃんと説明せよ。
 
8)今回「劇作風雲録」 の承前を読んでいて了解したことがあった。
 
9)(小学4年生の)ある日の授業は国語と図工を合体させたもので、粘土細工でキャラクター人形を作り、それを人形劇として発表するまでを3人くらいのグループで行うというものだった。手先の不器用さは子どもの時からで図工は不得意だったが、国語は大好きだった。作文も得意だったので創作劇の台本は書けるような気がした。
 
 創作人形劇の発表会は大受けだった。そしてその時「ゆうちゃんはシナリオライターになれるわね」と、憧れの越前千恵子先生が言ってくれたのだ。劇作風雲録」 の承前
 
10)この頃からたしかにこの男、「手先の不器用さは子どもの時からで図工は不得意だった」のだ。いや、不器用さは他のことにもいろいろあって、どうも側で見ていられない、という、どこか周りの者にボランティア意識を刺激する何かがあるのだ。これが、結局私がいうところの「ニュートンという名前の由来」につながってくる。つまり、側にいると、頼まれないのに、彼の「演劇」性をお手伝いしたくなるんだな。
 
11)このチラシの小林少年役は20歳当時の石川裕人だが、あとのスタッフの名前は誰が誰やら、もうわからない。明智小五郎役は誰だったんだろう。

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