南無飛行ニュートン命 いしかわ邑『夢魔のメルヘン 20才の献血』
「時空間」10
雀の森の住人たち 1975/04 ミニコミ雑誌 p128 表紙デザイン/阿部清孝 石川裕人年表
Vol.3 No.0825★★★★☆
「夢魔のメルヘン 20才の献血」 いしかわ邑
さっきのことだった。
鋭利なビンのかけらにぼくは身を投げ出していた。それ以来、右腕の血が止まらないのだ。何故身を投げ出してしまったかなんてことはもう問題ではなかったのだ。眼前のビンのかけらの散らばりが中天の太陽に輝いて七色の光を妖しげに放っていたからかもしれない。それは嬉しいでき事であった。太陽に輝くものがこの砂漠にあったのだから。
ぼくはもう砂に足をとられることは二の次で息せき切ってビンのかけらの群れに飛びこんでいた。コーラのビンらしかった。
ぼくは血のしたたりの快よさに胸を躍らせてビンのかけらを太陽にかざした。血が付着したそのビンのかけらで見上げた太陽は腐ったトマトケチャップのようだと、ぼくはそのかけらを口に含んで血をなめたのだ。
その時、舌先が切れてしまった。鉄をなめたような、しかしもっと金属的ではない不用意なものが口中にあふれ出した。ぼくの唾は真赤だった。
血が出ているのは、舌と右腕だけではないらしかった。ビンのかけらに写った太陽が強烈に光をはね返してきた。眼を射られたぼくは眼を下にそらした。すると腹と左足にも血の湧きでているところがあった。
ぼくは赤い唾をはいた。
----チッ、なんてこったい。
唾は白くさらさらと始終動き続ける砂の上に赤い滴々をたらし続けはしていたが一滴ずつ違うところへ移動していくのだった。もしかしてこの血の一滴々々が、南へ南へ向かっていくのかも。風に流される砂のひとつぶひとつぶにのっていくのかもしれない。ぼくの居場所を知らせるには絶好だ。
ぼくはかけらの中で一番切れそうなやつを探した。もう少し大量の血を放出する為にだ。
そいつは、他のかけらがキラキラ輝いていうるのに半分を砂の中に埋めて輝きのしないのだった。ぼくはそいつを引き抜こうとしたが、このサラサラとした砂なのに抜けないのだ。疲れてきているのだろうか。汗だらけだ。そして血は体中至るところからにじみ出してきているみたいだった。泉の水みたいに。
砂の流れが変わったようだった。ぼくは遠くを眺めた。
砂だけだった。
隆起も何もなかった。
首のつけ根あたりからも血が湧き出しているらしかった。
もしかしたらこんなに傾むいて見えるのは、首がこそげ切られ傾むいているのかもしれない。あるいは蜃気楼だろうか。
ぼくは左へ眼を移した。遠くの砂の一点が白くはない色を呈していた。それはゆるやかにゆるやかに近づいてきた。
----まるで脈動の速さだなあ。
その白くない砂が近づいてきているのが妙に不安だった。
微かな不安どおりそれは赤い色をしていた。それは血だった。血の固まりだった。
するとこの血は----ぼくはさっき引き抜こうとしたビンのかけらの処の砂を堀った。
----やはり。
やはり砂の下には人間がいた。ぼくのように砂は南へ行くことを念じてやまなかった人間だったろう。そして一度に血を出してしまったのだ。
----砂は南へは行かない。
ゆるやかな脈動と同じ速さで近付いてきた赤い砂はもうすぐそこまできていた。
その時、ゆらっと少しの落下の時のような衝撃があって、見ると。
ぼくの頭のない胴の先、つまり首のつけ根から大量の血が中天向けて噴き出し始めているところだった。 <終> p98~p100
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