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2012/10/31

総合芸術としての演劇 石川裕人作『明日また遊ぼう』 ~時さえ忘れる蔵王の麓のファンタジー~

Az5
「明日また遊ぼう」 ~時さえ忘れる蔵王の麓のファンタジー~
作/石川裕人・演出/米澤 牛 1998/02公演 AZ9ジュニア・アクターズ 宮城県大河原町えずこホール 石川裕人年表
Vol.3 No.0845★★★★★

1)アズナインにおける石川作品第2作。きっちりと「蔵王の麓のファンタジー」と入っているところがいいね。

2)マッキーは小学六年生の女の子。歌が大好きで、なんと「さんさ時雨」からアムロまで二千一曲歌えるという特技の持ち主です。 

 ある夜、マッキーのところへみのむし達が一通の手紙を届けに来ます。手紙はサナトリウムに入院しているユキというマッキーとは見ずしらずの女の子からでした。ユキは学校のいじめが原因でサナトリウムで療養しているのです。 なぜユキが見知らぬマッキーに手紙を送ることになったのか?それはマッキーのお父さんと関係がありました。マッキーはお父さんはロケットの研究をする先生で、ナンジャモンジャという変な名前です。  

 小さな通信ロケットの研究のために試作機を飛ばし、その一機がサナトリウムに着陸していました。その通信文をユキが読んだのです。それにはナンジャモンジャ一家の事が書かれてあり、それでマッキーのことも知ったのです。でも、通信文には肝心な住所が抜けていました。それ以来、ユキは見知らぬマッキーに興味を覚え、日記のようにマッキー宛ての手紙を書き始めたのです。  

 マッキーと弟のモンタは、ユキに会うためにサナトリウムに向かいます。そしてナンジャモンジャ先生の家にはパトラという一匹の猫がいます。パトラには兄弟がいました。その兄弟たちもサナトリウムで飼われていたのです。パトラもマッキーのように兄弟達に会いたくなりました。それを聞いた町猫のボス・ザオーはパトラのため、猫たちを引き連れてサナトリウムへのハイキングを計画します。かくして、マッキーとモンタ、猫達のサナトリウムへの旅が始まることになります。AZ9活動記録より

3)へぇ~、なんか面白いな。このダイジェストは誰が書いたんだろう。そもそも、脚本にこうあったのだろうか。それとも、だれか関係者がまとめたのだろうか。

4)個人的にいえば、1998年2月というと、我が家の下の子が小学校6年生だった。たまたま小学校の中にできた「OH!父ちゃんの会」という父親の会に参加して、いろいろな行事に参加した。あの頃、ニュートン夫妻には子どもがいなかったから、あまり子どものことで話題にはならなかったけど、彼は彼なりに、すっかり子ども達と遊んでいたのだなぁ。

5)思えば、ちょうど彼がAZ9に関わる決意をするころが、ちょうど我が家の子どもが小学校4年だった。同じような時代を生きていたんだな、とあらためて確認。

6)それにしても、上のダイジェストを見る限り、なんともオーソドックス(笑)な童話風で、いいなぁ。やっぱり、いつかチャンスがあったら、上演台本も読んでみたい。ひょっとすると、このまま童話になるかもしれない。

7)このアズナインのページには演劇は総合芸術だ、とあった。十月劇場やオクトパスなどでは、ちょっと気恥ずかしくて、「総合芸術」なんて言えなかったけど、本当は、やっぱり、総合芸術なんだよな。ちゃんと、そのことを認識しなければいけないと思う。演劇のことなんかわからない、なんて、いつまでも言っている場合じゃないな。そう思った。

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