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2012/10/10

風呂敷に包まれて発見された幻の原稿 山尾三省ライブラリー2『ネパール巡礼日記』


「ネパール巡礼日記」インド・ネパール巡礼日記2(山尾三省ライブラリー)
山尾三省 2012/04  野草社 新泉社 単行本 495p
Vol.3 No.0814★★★★★

1)三省追っかけはほとんど終了しているのだが、いずれ野草社あたりから三省全集がでるらしい、という噂を聞いて、楽しみにしていた。この本は、その前ぶれとも思えるが、実は今まで出版されたものの再編集ではない。まだ出版されたことのなかった幻の原稿で、しかも、位置的には、一般に三省の処女作と言われている「聖老人」のさらに前にあるべき一冊である。

2)ライブラリーとしてでたのは2冊、そのうちの「1」である「インド巡礼日記」には、前書きもなければあとがきもない。実にざっくりとした編集だ。これではなんだかわからないなぁ、と思って「2}のこちらをみたら、宮内勝典が解説「永遠の道は曲がりくねっている」p474を書いている。20数ページに渡る長文である。

3)宮内かぁ、と、ちょっとがっくり。たしかに彼は三省とナナオをつなげたキーパーソンではあるらしいのだが、Oshoに対する理解が進んでおらず、また誤解の裏になりたつへんてこな小説「金色の虎」を書いたりしているので、当ブログにおいての評価はCクラスである。三省とのあいだには 『ぼくらの智慧の果てるまで』(1995/09 筑摩書房)がある。

4)でも、その出会いが実にかなり初期的であったことを知って、なるほどな、と納得した。

5)三省に出会ったのは18のときだった。私の叔母が神田淡路町にある「山尾自動車工業」の事務員をしていたという偶然からだ。若い叔母は、九州からやってくる甥っ子のために下宿先まで決めていた。山尾家の向かいにある花の師匠の家であった。それから叔母は、
「きっと気があうはずだから」
 と、同じ職場の青年にひきあわせてくれた。哲学科を中退して、油まみれになって働きながら詩作をつづけているのだという。それが24歳の山尾三省だった。かれは私のことを「一平君」と呼ぶようになった。
宮内勝典p474

6)なんだ、そうだったのか。それじゃぁ、しかたないな。それにしてもこの二人は6歳の年の差があったのか。

7)いまは聖者のように崇められている宮沢賢治も、理不尽な憤怒を抱えていた。「まことのことば」を発しようとする詩人たちの源泉の感情なのか。その長編詩は日本で生まれた最初のビートニクの詩ではないかと思われた。

 そこで私は、三省をナーガとサカキ・ナナオに引き合わすことにした。アレン・ギンズバーグがインドからの帰路、日本に立ち寄ったとき、かれら二人はギンズバーグとゲーリー・スナイダーに出会って知己となっていたからだ。

 ナーガたちとの出会いから「部族」というグループが生まれてきた。「部族」誕生のささやかなきっかけを作ったけれど、私自身はつかず離れず、一定の距離を保っていた。宮内勝典p479


8)その後、宮内は1967年アメリカに渡ったのだから、ビートルズが日本にやってきた頃の話である。

9)他界する二ヶ月ほど前、三省は「インドの日記があるので、ぜひ読んでほしい」と、野草社の石垣雅設さんに語ったそうだ。いくつかの遺言のなかの一つだった。だが仕事場は混沌としていて、いくら探しても見つからなかった。

 そうして一年ほど過ぎてから、風呂敷に包まれた数冊のインドの本と原稿用紙と共に、7冊のノートが発見された。かつて私も読んだことのある日記であった。

 原稿用紙の訳稿は虫食いだらけでほとんど判読できなくなっていたが、ノートは完全なかたちで残っていたという。三省がインドの地を踏みしめ、ヒマラヤの麓で暮らしていた日から30数年も過ぎて、ノートの日記はかくして出版されることになった。宮内勝典p486

10)なにやら賢治の弟、宮沢清六が守った「兄のトランク」をさえ連想させる場面である。 なにはともあれ、これでこの二冊の本の位置がわかってきた。それでは、とにかく「1」に戻って、三省ライブラリーを読み始めることにしよう。

11)三省はこの時(1973年)、家族連れでインド・ネパールを一年間旅したのだった。遅れること14年、私もまた妻と2歳と4歳の子供を連れてインドの旅をしたのだった。もし三省がこの旅をしなかったら、私もまた、あんな冒険をしなかったかもしれない。

12)こんな分厚い二冊セットの本である。どんなことが書いてあるだろう。楽しみだ。

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