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2012/10/27

70年代から80年代にかけての大きな分岐点 洪洋社公演『ビギン・ザ・バック』自安降魔可魔・作演出

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「ビギン・ザ・バック」
自安降魔可魔・作演出 1977/09 劇団洪洋社 杮落とし公演 石川裕人年表
Vol.3 No.0836★★★★★

1)早いもので石川裕人が逝ってから、すでに半月以上経過した。湧き上がる個人的な記憶を整理し、友人たちとの語り合いの中から、あらためて劇作家・石川裕人という全体像を再現しようとすると、実に膨大な作業になることがわかってきた。

2)ましてや作者、役者、演出、舞台、制作、情宣、協力者、そして全国の観客者の全てに思いを巡らして行く時、これは再現するなんて、ほとんど不可能なほどの広がりがあったのだ、ということがあらためて痛感される。

3)それにしても、小学校以来の個人的なつながりを「誇る」私ではあるが、実はそれはせいぜい70年代いっぱいが最後だったのではないか、とさえ思う。80年代になれば、私は、一観客にとどまり、あるいは、観客でさえなくなっていく。マスメディアに登場する石川裕人の読者であったとしても、それは一時期であり、やがて、読者でもなくなっていく。

4)1980年代以降について、私はこの人の偉業について、あれこれ語る資格はない。もう、それは、彼の関係者なり、ファンなりが、彼の総体をなしていた。私はむしろ、彼の「演劇」性からは退却していった。

5)しかし、それは彼を中心として見ていた場合のことであって、むしろ「瞑想」性に活路を見つけた私からみれば、彼は、「戦線」から「離脱」していったのである。私は私なりに、自らの道をしっかりと歩み始めていたのである。

6)ある地点までは、一緒に歩いている意識が強くあった。人間関係も互いに重層していたことは否定できない。しかし、それはある地点までだった。新たなる1980年代に向けて、互いがそれぞれに自らの歩みを進めていた。

7)その分岐点にあるのがこの演劇「バック・ザ・ビギン」である。
 

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8)私は上のピンクのチラシを自分が当時勤めていた印刷会社で製版し、オフセット印刷した。下の黒いシルクスクリーン印刷ポスターはサキが作った。脚本を書いた作者も、舞台に登場した役者たちも、2012年につながってくる重要な友人たちである。

9)私はこの時、ほぼ同時に、他の劇団でステージに立っている。私は作品論を細かく展開するほどには、演劇を理解できていない。よくわからない、というのが本当のところだ。しかし、その時に、その芝居が、私になにをしたのか、情況にどのようなインパクトを与えたのか、という意味では、私は私なりに語る権利と義務を擁してしていると、ひそかに思う。

10)私は、これらの芝居が上演された直後、インドに旅立つことになる。2年前にOshoの「存在の詩」を読んだ直後、私はすぐにミニコミ誌「時空間」を廃刊を決意し、インド巡礼の準備を進めていった。そして77年12月、この劇団の稽古場兼練習場で、数十名の多勢の激励会を開いてもらい、インドへと旅たったのだった。

11)私は、この人々に、なにごとかのお返しをしたいと思っていた。なにか価値あるなにかを、この人々に持ち帰ってくるのは、私の義務でさえあると思っていた。この辺の経緯については、他にも書いているので割愛する。

12)しかし、それはある意味、達成されることはなかった。(達成された、と見ることもできるが、視点による。いずれ後述する)。私がインドの一年間の「瞑想」の旅から帰ってみれば、私を待ってくれていたはずの、あの洪洋社のメンバーは、ちりぢりになっていた。その「共同性」は拡散してしまっていた。

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13)私はこの劇団洪洋社解散パーティの一ヶ月後に、灼熱のインドから帰国した。12月に入り、すでに小雪が舞う季節となっていた。木枯らしの吹くバス停で、遅れてやってくるバスをひとり待っていた、あの夕方の自分の風景が、今だに忘れられない。

 

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