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2012/10/03

もうひとりの自分を想起させる引力 ゲーリー・スナイダー・コレクション1『リップラップと寒山詩』


「リップラップと寒山詩」 
ゲーリー・スナイダー 原成吉訳 2011/10 思潮社 単行本 156p
Vol.3 No.0808

1)あれ、これはもうひとりの自分?と思わせる人と出会う時がある。。その人と自分を隔てる壁がない、あるいはほとんどない。そんな感覚をほんのまれに感じる時がある。それはほとんど理想的な形で存在している自分の姿に近い。だが、よくよく考えてみれば、それは本当の自分なのではなく、その人が精神においてかなり透明度の高い人で、こちらを鏡のように写し出しているに過ぎないのだ。

2)ゲーリー・スナイダーに触れる時、これにやや近い感覚を持つ。スナイダーは、もちろん自分とはまったく違う別人格だ。だが、確かな感覚として、彼の傍らに、もうひとりの自分がいたはずだ、という強い感覚を持つ時がある。それはどこから来るのか、確かではないが、それは前世の記憶から来ているのだと理解すると、一番わかりやすい。

3)物理学の素粒子などの細かい世界では、確かにここにこういうエネルギーがあると仮定したほうが理にかなうとして、改めて検証していくと、やがてその存在が実証されることがあるらしい。そんな感覚が、スナイダーと自分のあいだにはいつも伴う。

4)この詩集は1953年の「夏」、サワード山の火事見張り小屋の詩から始まる。1930年生まれのスナイダー23歳の詩だ。しかし、それではないけない。1953年の「春」が問題なのだし、さらにそれに遡ること数年前のことが重要なのである。つまり、スナイダーに詩情として何事かがやってくる前のことだ。

5)スナイダーは1948年18歳のときに、ニューヨークまでヒッチハイクし、船員組合に入会し、船員手帳を取得した。このとき、厨房の助手としてコロンビアとヴェネズエラへ行った。p145(訳注)

6)この後の数年のこと、後にジャック・ケルアックが「ザ・ダルマ・バムズ」に書き出す前のスナイダーが、確かに存在していたはずなのであり、その実在感が、もうひとりの自分の存在を浮き彫りにする。それこそは、スナイダーという「詩人」の、「詩」が、優れているからであり、この詩集が存在し、こうして今、当ブログにおいても読んでいるというリンクにつながってくる。

7)この詩集の翻訳者が1953年生まれである、ということも、このことと無縁ではあるまい。

8)リップラップとは---馬が通れるようなトレイルを作るために、山の急斜面の滑りやすい岩に据えられた石 p9

9)まさにリップラップと寒山詩とは、「スナイダー・コレクション1」におけるタイトルにもっともふさわしい詩情だ。こちらの処女詩集においてスナイダーは寒山詩を24編翻訳している。「The Back Country 奥の国」においては宮沢賢治の翻訳を試みている。

10)寒山は中国に古くから伝わるボロをまとった隠者の系譜につらなる、山にくらす風狂の人である。かれが寒山というときは、かれ自身、かれの家、かれの心理状態をさしている。p84 「寒山詩の序 台州の使節による」

11)寒山拾得の名前はスナイダーの名前とひと連なりになった。いつか友人が中国から(台湾だが)の土産としてプレゼントしてくれた寒山拾得の石碑の写を、そのまま押入れにしまいっぱなしであることをまた思い出した。いつかキチンと表具するべきだろうと思いつつ、いやあれはあれでいいのだ、と思い返したり、なんども思いが交錯したままだ。

12)この詩集は、アメリカで2009年に発行されたゲーリー・スナイダー・コレクションの第一号だ。これから何号か続くのだろうか。だけど、本当は私は第0号が読みたい。「リップラップと寒山詩」のその前の、スナイダーにあふれた精神の、詩になる前の詩情に、私は関心がある。

13)あるいは、「現代詩手帖」2012・7に展開された『ゲーリー・スナイダー・イン・ジャパン』以降の、まだ書かれないスナイダーの詩情をこそ、読んでみたい。

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