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2012/10/04

正しくも悲しきスローガン 小出裕章&土井淑平『原発のないふるさとを』


「原発のないふるさとを」 
小出裕章 土井淑平 2012/02 批評社 単行本 178p
Vol.3 No.0809★★★★☆

1)「原発のないふるさとを」というスローガンに瑕疵はないだろうか。原発がなければ、ふるさとはOKなのだろうか。ふるさとにさえ原発がなければ、それで何事も問題ないのだろうか。

2)そもそも、ふるさととは何だろう。自ら生まれた地域、産土、家族や親族が多く住むところ。竹馬の友の住む、自らの存在証明の基となるところ、・・・・・? 自分を育んでくれた山や里、川や海。雲や空。

3)そして、原発って、一体なんだ? なんでそんなものがあるんだ。科学の進歩? 欲望の膨張? 人類の業? エネルギー? 核兵器の双子の兄弟姉妹? 人類が生み出しながら、人類ではもはやコントロールできなくなってしまったこと。

4)その原発が、どうしてふるさとにあるのだろう。ふるさとに原発がある、ということ自体、おかしいではないか。ふるさとに原発を持ってくるという発想自体、どうして生まれたのだろうか。

5)この本は小出裕章と土井淑平の共著。土井には「反核・反原発・エコロジー」の著書があり、松岡正剛「3・11を読む」にも紹介されている。鳥取生まれ、元共同通信社勤務、市民活動家兼フリーライター。

6)この後には、ウラン残土市民会議運営委員。さようなら島根原発根ネットワーク会員。などなどの経歴が続く。いわゆる活動家というイメージだろうか。

7)今日の私の公演タイトル「原発のないふるさとを」は、主催者の方がつけてくださったものです。
 なぜこのタイトルになったかといいますと、皆さんがつくってくださった「原発のないふるさとを」(鳥取県気高郡連合婦人会編集・発行)という冊子があるからです。
p12小出「序」

8)この本では、1983年当時、鳥取県のある「ふるさと」に降って湧いた「原発」計画を、地元の主婦を中心としたグループがついに撤回させ、「原発のないふるさと」を守ったという話がメインストーリーになっている。

9)鳥取県は、日本の原子力発電の歴史の中でかなり特殊な役割を負っています。それは人形峠というウラン鉱山があったからです。1955年に人形峠でウランが見つかったということが事の発端でした。 

 人形峠は静かな山村ですね。そういう風光明媚な閑静なところが一躍、宝の山ということになって、翌年(1956年)の正月、元旦の新聞は、全国紙も含めてウラン鉱山が人形峠で見つかったといって日本中が浮かれてしまった。

 それから10年ほど試掘が繰り返されましたが、とうとう人形峠の採掘では、採算の合うようなウランはないということになって、結局、ウラン鉱山は閉山になりました。

 しかし、その周辺には、ウラン混じりの「残土」と私たちが呼んでいる放射能のゴミが、45万立方メートルも野ざらしのまま放置されるということになったのです。それから数十年以上という長期に渡って苦闘が続くことになりました。p13小出「序」

10)原発がなければふるさとは幸せなのだろうか。ふるさとに原発がなけければ、原発はなくなるのだろうか。原発はどこかに行ってしまうのだろうか。原発は結局どこかのふるさとにできてしまうのだろうか。

11)レンガ加工されたウラン残土にも放射能が含まれているので、その使用は日本原子力研究開発機構の施設内に限定されるべきだというのが私たちの主張でした。だが、実際には、ウラン残土レンガはかれらの施設内の舗装などの使用に限定されず、一般市民にも有料で出回りました。これは”核のゴミ”の”スソ切り”に当たるので認められないことでした。p161土井「原発のないふるさとの核廃棄物---人形峠のウラン残土撤去運動の報告」

12)原発のないふるさとを、というスローガンには、基地のない沖縄を、というスローガンに通じるものがある。沖縄に集中してしまった軍事基地をほかの地域に移そうとしても、積極的に受け入れようという自治体はない。だが、いずれ、世の中から戦争がなくなる時代がくれば、軍事基地はなくなる可能性はほんのわずかだがある。

13)原発も、代替エネルギーなどの開発によりいずれはゼロになる可能性はある。しかしながら、原発が発電しなくなっても、廃棄物は残る。永遠に残る。何十万年というタイムスパンは、何十年という命しかもたない人間には「永遠」とほぼ同じことだ。

14)原発のないふるさとを。よくよくこのスローガンを感じてみると、いくつも不思議な疑問が生まれてくる。「わが」ふるさとにさえ原発がなければ幸せなのだろうか。ほかのふるさとに原発が行ってしまえば、それでいいのだろうか。いや、そんなことはあるまい。

15)今や、わがふるさとという限定された地域などなくなってしまった。この地球全体がわたしたち人類のふるさとなのだ。つまり、原発のない地球を、がスローガンにならなければならない。

16)しかし、仮に原発がなくなったとしても、その負の遺産である核廃棄物は「永遠」に地球上に残されることが決定してしまっているのだ。核廃棄物のない地球を、というスローガンには100%の正当性があるが、それは現実不可能な悲しき「理想」となってしまった。

17)もともと1983年の段階で、山陰の地方の婦人たちがあげた声が「原発のないふるさとを」だったのだが、少なくとも2012年の現在、このスローガンは、悲しくも論理矛盾を多く含んだお題目となってしまった。

18)現在、この地球上には核廃棄物という絶対「悪」が存在することになった。あるいは、それを確認、認識しないことには、生きていけない時代となった。そういう時代に私たち地球人は生きている。

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