« ニュートンと作った雑誌、演劇、共同体について 石川裕人戯曲集「時の葦舟」三部作<7> | トップページ | 真理への道の裏表 石川裕人劇作100本達成記念公演『ノーチラス』 ~我らが深き水底の蒼穹~ TheatreGroup“OCT/PASS”Vol.31 »

2012/10/16

ここが約束の地、時は今 石川裕人作・演出『方丈の海』<1>

Houjou_omote_web
「方丈の海」
石川裕人 TheatreGroup“OCT/PASS” Vol.34 2012/08~09上演 せんだい演劇工房10-BOX box1 上演台本 152p 石川裕人年表
Vol.3 No.0816

1)意識して悲しいことは考えなかった。ごくごくワープロ文書を棒読みして、さっさと済まそうとした。しかし、3分の1ほどになると、感情がこみ上げてきて、つっかえつっかえになってしまった。

2)そもそもが老眼鏡をかけて読むつもりが、すっかり忘れていた。なんとか読んでいたが、途中で目が涙で曇ってきたので、ますます見えなくなった。直前に何度か読み直して練習していたので、大体の内容が頭に入っていた。まぁ、なんとか最後まで弔辞を読み終えることができた。

3)私はこのニュートンの最後の作品を見ていない。決して「残念ながら」とは言わない。意識して見なかった。その前の「人や銀河や修羅や海胆は」があまりにも感動的だったから、大体のできはわかっていた。スタッフやその上演に尽力している人々たちには大変申し訳ないが、演劇を見ない、かかわらない、というのも、私なりの矜持なのである。

4)いつからそうしてきたのかは覚えていないが、決して最近のことではない。1977年に私がインドに行って「瞑想」性を持ち帰った時から、ニュートンの「演劇」性とはそりが合わなくなった。ニュートンもまた、ある意味「瞑想」性を排除した。

5)今となっては、お互いに自立するには、そうするしかなかったのだろう、と推測できるが、それはある意味、つらい葛藤でもあった。

6)台本は稽古過程で修正していきます。この台本は上演までの過程の記録とお考えください。 上演台本154

7)葬儀が終わって、さっそくサキから上演台本を借りてきて一読した。劇団のHPの写真も見た。大体が、まずは想像していたイメージとそう変わるものではない。もちろん、その場にいなければ、その面白さや素晴らしさがわからないのが演劇だ。そう言った意味では、毎回毎回、上演ごとに違いがある。出来も違う。

8)襤褸 雪が降ってきたっけな。天変地異が訪れると必ずそういうことが起こる。寒い夕方そして夜になった。
2011年3月11日、午後2時46分だった。今から十年前のことだ。もうみんな忘れてしまったろう。ま、そういうもんだ。熱いところ過ぎればいつしかすべてが無かったことのように語られる。
上演台本p7

9)私は演劇を考える時、いつもこの架空性を考える。10年後なんてないんだよ。10年後から現在を振り返るなどという架空性に、いつもフィクションというものの「弱さ」を感じる。だから、どんなフィクションも現実を超えない。

10)岡田 仏壇か・・・・、
時子 ええ、仏壇。
岡田 仏壇のセールスマンだったりしてな。
上演台本 p28

11)演出している段階では、ニュートン自身、まもなくすぐに「仏壇のセールスマン」にお世話になるなんて思いもしなかっただろう。今回の葬儀の祭壇はいたって質素なものだった。釈迦三尊の小さな仏画を飾っただけの、仏教としてはもっとも簡素なものだった。

12)しかし、葬儀を出せて、多くの人々がかけつけてくれただけ、まだ幸せというものかもしれない。3・11においては、葬儀を出せなかった人々がいっぱいいる。まだ肉体さえ見つけてもらえない人たちだって、まだまだ多く残っているのだ。

13)ニュートンは、最も質素な葬儀を選び、火葬場は、閖上の火葬場だった。ここもまた当日、あの津波で被災して、今だ完全復活ならざるところである。被災後、荒野にポツンと残った火葬場は、市長命令で至急復興を急いだが、なんとか部分再開に至るまで2週間かかったという。名取市では死亡者が多く、東京などに運ばれて火葬された人が多くいる。地元の火葬場で火葬してもらったニュートンは、幸せだった、と言えないこともない。

14)式場も家族葬のミニマムの会場だった。質素を重んじたニュートンにはふさわしい式場だったが、予想どおり、収容人数をはるかに超える弔問客が押し寄せた。ありがたいことである。

15)小桜 冗談でも法螺でもない。この世の中には我々の知らない神秘の世界がまだまだあるものだ。十年前の大地震で日本海溝に地殻変動が起こり、全長800キロメートルに及び長々と寝そべっていた龍が天空に飛翔したという。p45

16)さぁ、このセリフを、ニュートンはどれほど、自分のものにし得ていただろうか。フィクションの中のフィクションは、フィクションのままだろうか。ニュートンは「神秘の世界」の「龍」を感知し得ただろうか。ここが、「演劇」性と「瞑想」性の分かれ目である。

17)ニュートンは、「方丈の海」を残してアストラル界へと旅立った。なぜに? 彼はすでに「演劇」性から「瞑想」性へと移行する時期にあった。あの演劇を書いてしまったなら、自動的に上への扉が開いてしまうのは当然だったのだ。

18)子ども1 おらの父ちゃん、母ちゃん、妹、みんな見つかった。
子ども2 おらはじいちゃん、ばあちゃん、父ちゃん、母ちゃん、兄ちゃん、ばあちゃんと父ちゃんが行方不明だ。
子ども3 (自慢するように)おらはな、ひいばあちゃん、じいちゃん、ばあちゃん、父ちゃん、母ちゃん、おんちゃん、兄ちゃん二人に弟人で9人だぞ。みんな見つかって土葬した。
子ども1 すげ、
子ども2 すげ、

子ども3 すげべ。
子ども1 ・・・人数の問題でねえべ。
子ども2 量より質だ。
子ども1 何言ってるんだ?
子ども3 どういう意味だ?
 上演台本p61

18)演劇を見た人の何人も問題にしたシーンだが、実際に3・11のあとはこんな会話がごく当たり前にあちこちから聞こえてきた。実際、火葬の際にきていたニュートンのごく身内の若い人たちも、そういう境遇に遭遇している。現実は、フィクションをはるかに凌駕している。

19)石持 十年前の地震と津波で東北の地は傷つき人心は荒廃した。しかし、この荒れ果てすさんだ心を東北人はかみしめ、心の奥にしまおうとした。自らの被虐の出自さえ心の奥にしまった。そして野垂れ死にした東北人がどれだけいただろう? 東北以外の人々はいつしか東北であった震災のことを忘却し、惨状に蓋をして浮世の寝物語のようにたまに思い出すようになった。

 東北人はこのことをしまっておくべきではない。このような世の中に憎しみの火を放つべきだ。そのマッチの役目を果たすのがカイコーなんだよ。上演台本p103

20)いまや、ニュートンこそがそのカイコーの役割を担っていることを自覚しているかな。もちろん、放つべきは、憎しみの火ではない。

21)小桜 じゃぁカイコーよりもっとグレードアップしたフリークスを用意しなきゃぁ。
龍だな。あの地震の時に日本海溝から飛翔したというドラゴンを見つけてくれ。
上演台本p104

22)石川ゆうじんは、石川りゅうじんになった、というのが私のインスピレーションである。彼は、ムーからやってきた龍。もちろん、憎しみの使者などではない。

23)小節 あの日、浪板の浜に突如襲来した彼岸からの波の塊がもう一度わたしの元にだけやってくれば全てを終わりに出来る。わたしも家族も同様に骨の欠片になれるのだ。(袋の中からカイコーから受け取った骨を出す)これを供養すれば自ら終わりにできるであろうか、 上演台本p113

24)3・11で被災していまだに工事中の閖上の火葬場で、骨の欠片になったのは、ニュートン、君自身なのだよ。そして、これは終わりではない。大きな、本当のドラマの新しい始まりに過ぎないのだ。

23)蘭留 誰かが、何物かが犠牲にならなければ収拾がつなかない深い傷痕が残った。その傷痕は誰の目に見えず、誰も気づかなかった。人は気づかないうちにに多くの過ちを犯す。無意識という潜在的な意識の波打ち際で、打ち上げられたイルカのように人は息絶える。上演台本p123

24)誰も犠牲になどになる必要はない。もちろん、あなたもそんなものではない。あなたはあなたの道を行き、あなたの存在を全うしようとしているだけだ。

25)蘭留 無意識は目に見えぬ怪物を創り上げ、それを強烈に信ずる者が押し黙る者たちを凌駕したときこの地域は不可触領域になった。触ると祟りと穢れがあると言われた土地、それがわたしらが営々と築き住まい続けてきた蝦夷の地、東北だ。上演台本p124

26)ルサンチマンとしての東北を考えるのはもうやめよう。丑寅の金神と考えることも、もういいのではないか。今は地球全体を考えよう。地球人としてのスピリットをこそ現出させよう。

27) 静かな海だ。
声 この静かな海が暴虐の限りを尽くしたことを忘れない。
 時に自然は無慈悲で容赦ない仕打ちをくだす。
 その前で人間はただただ祈るしかない。
 物語は簡潔するが震災後の日常は続く。
 多くの死者と厖大な瓦礫を背景にして、
 私たちは生きていく。
 ここは約束の地なのだろうか?
 荒涼とした原野の先を目ざして歩く。
 その人々はどこから来て、何処へ去るのか、誰も知らない。
 ただ歩くのみ。
 上演台本p152

28)海は暴虐の仕打ちをしたわけではない。海は海であったにすぎない。そして、こここそが約束の地なのだ。ここしかないのだ。どこからも来ず、何処へも去らない。本当は、歩きもしない。

29) 第三暁丸出港だぁ!!

10年ぶりに暁浜に船が浮かんだ。上演台本p153

30)3・11で被災した住宅から、瓦礫になる寸前の建材を譲り受けてきて、我が家の車庫を補強して事務所にした。この方丈オフィスが、ニュートン、あなたがいうところの、わが第三暁丸である。

31)方丈とは一丈すなわち、約3メートル四方の狭い意である。上演台本P1

<2>につづく

|

« ニュートンと作った雑誌、演劇、共同体について 石川裕人戯曲集「時の葦舟」三部作<7> | トップページ | 真理への道の裏表 石川裕人劇作100本達成記念公演『ノーチラス』 ~我らが深き水底の蒼穹~ TheatreGroup“OCT/PASS”Vol.31 »

30)Meditation in the Marketplace2」カテゴリの記事

コメント

2013年10月11日(金)~10月14日(月・祝)
石川裕人追悼公演「方丈の海」があります。
http://www.oct-pass.com/pc/
さっそく予約しておきました。

投稿: Bhavesh | 2013/09/18 19:36

石川さんの芝居娘と行きたいですね。

投稿: 相澤博 | 2013/09/18 17:06

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« ニュートンと作った雑誌、演劇、共同体について 石川裕人戯曲集「時の葦舟」三部作<7> | トップページ | 真理への道の裏表 石川裕人劇作100本達成記念公演『ノーチラス』 ~我らが深き水底の蒼穹~ TheatreGroup“OCT/PASS”Vol.31 »