「演劇」性と「瞑想」性がクロスするとき 石川裕人『失われた都市の伝説』 劇団洪洋社1976
「失われた都市の伝説」 廃都伝--序--
いしかわ邑人(石川裕人)/作演出 1976/07/25~08/01 劇団洪洋社 於・洪洋社道場 石川裕人年表
Vol.3 No.0834★★★★☆
1)いつの間にか当ブログのカテゴリ「Meditation in the Marketplace2」も108個目の書き込みに到達した。このカテゴリをカバーするために、石川裕人の作品からひとつ選ぼうと思った。ちょうどタイミングとしては、この「失われた都市の伝説」がぴったりくるのではないだろうか。
2)「都市が、洪水をともなって出現する、巨大な青鯨に呑みこまれるだろう、その日に--------」公演ポスターより
3)なんというコピーだろう。この芝居が公演された若い日々から、35年というはるかな日々が経過したあと、この大地は、未曾有の大地震に見舞われ、巨大な大津波が都市を飲み込んだ。石川裕人の最後の遺作となったのは「方丈の海」だった。テーマは、巨大津波に都市が消え去った後の10年後の設定だった。
4)若者たちがファンタジーとして描いていた想像の世界が、そんな日があったことさえ忘れかけていたころ、、ひたひたと「現実」として迫りつつあった。
5)劇団洪洋社という右翼的な名称は当時愛読していた夢野久作の父親で国家主義者の杉山茂丸の主宰した玄洋社を意識した。字面が固くて良かったのと、洪水の海というイメージも好きだった。そしてどこか大陸浪漫的な響きにも憧れをもった。これは多分に唐十郎師の影響もある。考えてみれば、当時のアングラ系の芝居はどこか右翼的な匂いを放っていたようにも感じる。それは己の肉体という逃れられない捕縛状態に鞭打つ超保守的な思考方法から編み出された演劇論にもよるのだろう。石川「劇作風雲録 第五回 地下に潜る」
6)この後、石川が自らが主宰する劇団名の命名法を、「十月劇場」から→「oct/pass」という、「ナンセンス」性へと向けていったこと考える時、この「洪洋社」というネーミングだけは、極めて重要な意味をもってくるのではないだろうか。
7)洪水のイメージも「好きだった」と言っている。好きではあったけれど、それは彼にとっては、いずれ到達する「妄想の帝国」の中でのモチーフでしかなかった。
8)しかしながら、現実は、彼の想像=妄想を超えて現出する。1995年のオウム真理教出現の時は、ある意味、オチョクルだけの力がまだあったのに、2011年においては、彼の「演劇」性は、どっぷりと巨大津波に飲み込まれていくことになる。
9)「演劇」性が「ナンセンス」性へと向かい、ともすれば、次なるステップを見失いかけた時、彼には「瞑想」性がみえてきつつあっただろうか。
10)次への「つづき」を考えていた時、3・11巨大津波は、彼と都市とをどっぷりと呑み込んでいったのだった。
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