石川裕人と互いのキャラクターを確認しあう日々 『ニッポン若者紳士録』
「ニッポン若者紳士録」
ジ・アザーマガジン21編集部 1973/01 ブロンズ社 単行本 p192 石川裕人年表
Vol.3 No.0823★★★★★
1)石川裕人は、自分のブログ「石川裕人百本勝負 劇作風雲録」第三回でこの本を1969年発行と記しているが、1973/01の間違い。青春時代の4年の違いは大きい。彼は自分の部分を切り抜きで残していたのだろうか。あるいは、昭和年号を西暦に治す時に間違ったのだろうか。
2)このコピーの仕方をみると、やはり雑誌のままコピーしているようだから、単純に算数を間違ったのだろう。
3)’69年発行「ニッポン若者紳士録」(ブロンズ社)。この本には石川セリだの沢田研二だの有名人・無名人600名が掲載されているサブカルチャー系の不思議な本。この仕掛け人も阿部氏である。「石川裕人百本勝負 劇作風雲録」第三回
4)「仕掛け人」とされるのは光栄なことだが、お互いまだまだ18~9歳の頃。私は当時のブロンズ社の「ジアザーマガジン21」の熱心な読者で、編集部と連絡がとれていたから、この600人ほどの中の30人ほどを担当しただけだ。
5)決まったフォームに写真と文章を書いただけだが、一応、原稿料がでたので、10代としては結構ワリのいいアルバイトだった。石川裕人(いしかわ邑)は、まだこの時点で高校三年生の卒業式を迎えていない。
6)ちなみに、私自身の紹介はというと・・・・
7)40年前のフェイスブックだと思えばわかりやすい。もちろんこの雑誌でネットワークも広がったし、当時のプロフィールでは気がつかなかったけど、あの人とこんなところで友達になった、なんて、面白いことは確かにあった。
8)お互いまだハイティーンだ。劇団主宰とミニコミ発行。この対比、なかなか互いのキャラが立っているではないか。自分たちのパーソナリティを模索していた日々のことである。
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