幻のポスター発見! 石川裕人第5作目 『夏の日の恋』 贋作愛と誠 1975 <1>
←クリックすると幻のポスターが見える。元の会場に二重線が引かれ、「喫茶 原っぱ」に訂正されている(笑)
「夏の日の恋」贋作愛と誠 <1>
石川裕人作・演出 1975/01/24~26 ラジカルシアター座敷童子の旗揚げ公演 東北大片平 元喫茶「ルーエ跡」改め、仙台市原町 「喫茶店 原っぱ」にて公演 石川裕人年表
Vol.3 No.0831★★★★★
1)ラジカルシアター座敷童子の旗揚げ公演も東北大学のキャンパス内の旧レストラン跡のような所でやろうとした。「夏の日の恋」贋作愛と誠である。これが5本目の戯曲。当時ヒットしていた劇画「愛と誠」をパロディに天皇制を射程にした政治劇だった。その頃私は天皇制に興味を持っていたのでそれがそのまま研究発表のようにして書いたのを覚えている。台本、チラシ、写真など全て散逸している。石川「劇作風雲録 第四回 劇団洪洋社」
2)いやいや、それがあったんですね。ほとんど一枚。よくよく見ると壁に当日のポスターまで見える。台本が散逸しているのは残念だけど。中央が石川裕人。わずかだが、観客の顔も見える。この中に将来の奥さんも映っているかも。足は私。あの頃、やたらと逆立ちばかりしていた。
「喫茶店 原っぱ」での石川裕人(中央) photo@saki
3)そしてこの芝居は風雲録そのものである。初日当日最終調整をしていた私たちの元へ2、3名の機動隊員がやってきて不法侵入での上演を中止するように通告してきた。大学当局ではなく機動隊が通告して来るというくらいに大学は自治能力を失っていた。いよいよラジカルシアターはその本領を発揮することになりそうだった。「上演断固続行!!」「表現への国家権力の介入を絶対許さないぞ!!」とシュプレヒコールを上げて闘うはずだったが、腰砕け。しかし、上演を中止するわけにはいかない。私たちは早速上演できる場所を探し始めた。今日の今日である。もちろん上演可能な劇場などない。まして借りる資金さえない。大学キャンパスは会場費が無料だったからやろうとしたわけで。
そして原町の「原っぱ」という当時の情報発信系の喫茶店が上演を受け入れてくれた。5坪ほどの喫茶店に早速かけつけ最低限の仕込みをやった。店内の椅子やテーブルはそのままだからアクティングエリアはほんの少々。トイレで着替えをやった。現在でいう「杜劇祭」のはしりだろう。「杜劇祭」よりずっと乱暴で猥雑だったが。
公演を何日やったのかその1日だけで終わったのかももはや記憶の彼方になっているが、観客の中に二人の女子大生がいて、彼女たちが翌年に旗揚げする「劇団洪洋社」のメンバーになり、そのうちの一人が後の絵永けいであり、私の妻になろうなどとは夢にも考えていなかった。石川「劇作風雲録 第四回 劇団洪洋社」
4)どうやらポスターを見ると3日間の予定だったようだ。しかし、実際には1日しかやらなかったのではないか、とは当時の関係者の記憶。公演当日の写真ではないかもしれないが、当時の写真がでてきた。当時の雰囲気が伝わる。
左から、石川裕人、私、葬儀で歌を歌ったゴトゥちゃん、神田食品時代のハクシュー、写真・情宣美術のサキ。photo@saki
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コメント
情報ありがとうございます。
投稿: Bhavesh | 2015/05/17 08:05
このポスター手元にあります
写真送るのでメアド指示願います。
投稿: Bob | 2015/05/17 01:14