ふたたび動き出す法輪 『ダイヤモンド・スートラ』 - OSHO 金剛般若経を語る<5>
「ダイヤモンド・スートラ」 - OSHO 金剛般若経を語る <5>
OSHO スワミ・アナンド・ヴィラーゴ 翻訳 1986/03 めるくまーる社 単行本 p739
1)「世界は、車輪のように動いている。<世界>という言葉にあたるサンスクリット語は、サンサーラだ。サンサーラとは車輪を意味する。その車輪は大きい。そのひとめぐりは、ちょうど25世紀だ。いまや25世紀が過ぎた・・・・。再び、世界は混沌のなかにある。再び、車輪は同じ地点に来た。それはつねに同じ地点に来る。この瞬間がおこるには、25世紀かかる。25世紀ごとに、世界は大いなる混沌状態にはいる。人間は根こそぎにされ、空しく感じはじめる。生の価値はすべて消える。大いなる闇が取り囲み、方向感覚は失われる・・・・・」p5「まえがき」
2)そもそもOshoであろうと、ブッダであろうと、ひとつの「演劇」性で読み解くことも可能であろう。たしかに演劇仕立てではある。その演劇の一部となって、リアリティを感じるか、演劇を単なるエンターテイメントとして楽しむか。どちらも可能であろう。石川裕人はこの一冊をこの文章から読み始めて、いったいどんなことを感じていただろう。
3)「この混沌の時、この無秩序の時は、大いなる災いにもなりうるし、人類成長の量子的飛躍を証明することにもなりうる。それは、私たちがこの時をどう使うかにかかっている。偉大な星が誕生するのは、このような偉大な混沌の時代においてだけなのだ」p5同上
4)3・11後を生きる、というテーマで、復旧復興を語る潮流はあるけれど、本当は、もっと大きなスパンで、もっとリアリティを持って語られなければならないことがある。考えようによっては、人間が生きるということは、日々ポスト3・11なのである。そうでなかった試しなどない。特にこの「ダイヤモンド・スートラ」は、そのあたりの人間意識のトリックをあばききる。
5)「いまや、私たちは再び大いなる混沌のなかにいる。そして人間の運命は、私たちが何をするかにかかっている。人間は自滅することもできるし、再生することもできる----。両方の扉が開かれているのだ」p5同上
6)この「演劇」性を笑い飛ばすことも可能だし、そのリアリティのなかに「瞑想」性をもって入っていくこともできる。いずれにせよ、それをどう扱うかは、それぞれの存在にまかされている。
7)「来たる25世紀目、つまり今世紀の末期は、途方もなく価値のあるものになろうとしている。もし私たちがこの世界に、瞑想、内なる旅、平安、静寂、愛、神のために、ある勢いを創りだすことができたら・・・・・、もし私たちが、この来るべき25年間に、神が大勢の人々に起こるような空間を創り出すことができたら、人類は新しい誕生、復活を得る。新しい人間が誕生するのだ」p6同上
8)私はこの「演劇」性への参加者だ。観客でもあり、スタッフでもある。時には照明をやり、情宣をする。役者としてステージに立つことも厭わなければ、部分的にはシナリオだって書いた。私は、この芝居と一生つきあおう、とあの時決意したのだから。
9)「仏陀が動かした車輪は止まった。その車輪は再び動かされなければならない。そしてこれこそが、私とそしてあなたのライフワークになる。その車輪は、再び動かされなければならない」p6同上
10)それは私のライフワークであり、私はそのワークの目撃者だ。1978年3月にスリランカ仏足山の日本山妙法寺・藤井日達上人からOshoへと伝わった法輪を私は見た。それを見届ける楽しみで、私は今日まで生きてきたと言える。
11「ブッダフィールドとは、ブッダがさまざまな存在を成熟させるエネルギー・フィールドだ---すみやかな精神的成長のための理想的条件を提供する、浄土、超俗的な世界、地上の楽園だ」p7同上
12)そのワークに参加しつつ、また新たなる小さなオアシスを探し、つくり、また浄化する旅のキャラバンの一員であったことを誇りに思う。
13)「この経典全体は、いかにして完全に空になるかに関わっている。これは、世界への仏陀の根本的な贈り物だ」p7同上
14)愛すべき畏友・石川裕人が、その一生をかけて、私にこの一冊を残してくれたことに感謝する。彼が自らの死をかけてそのチャンスを作ってくれなかったら、私はこの本を再び読むことがなかったかもしれない。
15)「私が死んだように、死ぬことだ。そうすれば、あなたは私が生きているように生きる。まったく個人とは関係のない生がある。まったく自己とは関係のない生がある。<空>の生、純真無垢の生がある。私はそれをあなたにひらいている。あなたの恐怖を捨てなさい。私に、もっと近づきなさい。私をあなたの死と復活にすることだ」p8同上
16)私は、この言葉を聞くためにインドに旅立った。そして再び、10年後の石川裕人に目に止まった。そしてあれから何年も経過した。そして、お互いの死を通過しながら、ふたたび復活し、ここに生きている。
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