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2012/11/24

先住民と新人類 『喜納昌吉チャンプル-・ブック Earth Spirit』<1>

Ki2
「喜納昌吉チャンプル-・ブック」 Earth Spirit<1>
ハイサイ/企画 1991/12 宝島編集部 宝島社 単行本 169p
Vol.3 No.0890★★★★☆

1)なにげなく検索していたら、私の名前でこの本がヒットした。そうそう、この本に私の文章が収録されたのだった。この本のために書いた文章ではないが、事後承諾で編集者が入れてしまったのだ。彼らのコンサート企画などをやっていたし、サブタイトルのEarth Spiritというのも、懐かしい。そういえば、この本は、1991年の「スピリット・オブ・プレイス」と前後して出たのだった。

2)彼らのコンサートには何年も付き合って、2004年の選挙にも付き合った。今となっては懐かしいが、当時のエネルギーはまだ残っているのだろうか。なにはともあれ、自分の文章をここに再録しておく。

3)先住民と新人類 和尚に捧ぐ 阿部清孝 

 先日、塩釜神社で流鏑馬神事を見る機会があった。武者姿の修行者が馳せる騎馬にまたがり、馬上から50センチ四方ほどの方板を3枚連続して射抜くものである。矢を射る人々も弦が切れたり、弓が落ちてしまったり、あるいは自分が落馬して駆ける馬に踏まれそうになったり、など相当に命がけのようだった。 

 見物人たちは幾度とその演技がくり返されるうち、的の中心にみんなの意識が集まり、神社の境内にいる人々の心がひとつにつながっていくような雰囲気があった。的もまた、これも大変で、ちゃんと立っていなければ、的は的として役を果たせない。 

 板の端のほうに矢が当たると、うちわのようにクルンと回ってしまい、またしなり方が適当でないと割れてしまう。しっかりと大地に固定され、適度な張りを持っている時、見事に矢は的に命中し、中ほどまで突き進んでピタリと止まる。この男性原理の「ヤ」と女性原理の「マト」。このふたつの動きが相和してこそ「ヤマト」大和になるのだ、という。 

 思えば、この日本はかつて、中国大陸から放たれた文化の矢をしっかりと受け止め、あるいはインドから放たれた仏教の矢を自らのものとしては禅を作り上げ、近代においては西洋から放たれた民主主義や科学技術という矢までしっかり受け止めて、よりそれらを純化することに努めてきたようだ。 

 かつて古代においては中東に発したユダヤ民族の失われた十部族のひとつの流れの矢は、はるかシルクロードを渡り切って、この弧状列島にたどり着き、天孫族として受け入れられたという説があるくらいだ。それら全ての矢を受けて、優しく育んできたマトの女性原理こそ、この日本の本来の姿であり、未来に向けて世界に誇りうるメシーの法なのではないだろうか。 

 かつて、この列島に一万年に渡って、自然と共存してきた縄文人たちは、朝鮮半島から米作りと鉄器を携えて渡ってきた弥生人たちに次第に南と北へと押しやられていってしまった。彼らの狩猟採集の日常生活は決して破壊的ではなく、自然に生かされながら、分かち合って豊かな社会を作っていたという。 

 ところで、縄文人たちは自分たちを縄文人と呼んでいたのであろうか。いやそんなはずはない。百十年程前に大森貝塚を発掘したエドワード・モースが「cord-marked pottery」と名付けたところから訳語として縄文土器の名は出来、縄文人の名前も出来上がった。 

 本来、人間は住む場所や言葉や考え方の違いによって差別されるものではない。コロンブスが新大陸を発見する前から豊かな生活を営んでいた先住民たちは、決して自らをアメリカ・インディアンと呼んだはずはあるまいし、もちろんアイヌにしたところで自らをアイヌ民族なんて考えていないのだ。 

 小屋の外をキタキツネが通れば、その足音からチロンヌップが通ったな、と言い、エゾシカが通ればユクが通ったと言い、人間が通ればアイヌが通ったという。そのくらいの意味なのであって、人間には、それほどの違いはないし、私たちは自然や他の生物たちと一緒に生きていることを忘れてはならない。 

 十年以上前にインドから帰ってきて瞑想センターを始める時に、北日本のセンターの名前として、和尚は「スバガット」を選んでくれた。それは歓迎を意味するヒンズー語であり、直接瞑想とは関わりのないことのように感じたときもあった。しかし、時間が経つとともに北日本における和尚の瞑想を表すのに、これほどふさわしいものはないように思えてきた。 

 「それは歓迎を意味する。私のサニヤスの世界はカーストや宗教、国籍、性別の差別なく誰でも歓迎する。サニヤスはひとつの地球とひとつの人間性を信ずる。全ての宗教は私たちに属するが、私たちはどんな特別な宗教にも属さない。だから、スバガットをあなたのセンターの名前にしなさい」OSHO 14.Oct. 1978  

 民族、国境、宗教、思想、人間たちが争い、戦争する材料はたくさんあり、その無意識は果てしない環境破壊をくり返し、答えのないクエスチョンばかりがつのっていくようなこの世紀末。いたずらに無気力にならず、僕は今、自分の住んでいるところをもう一度、見直してみたいと思う。 

 縄文人たちが歩いたこの大地を踏みしめて今なお豊かな原生林が残された東北の夢を追い、深く瞑想に入り、古い条件付けから自由になり、ネイティブなスピリットとなって果てなき旅を楽しんでみたい。 

 ひとつの地球を愛し、自然とともに歩む新人類たちの足音がここ、東北日本の大地からもたしかに聞こえ始めたようだ。 p105

4)執筆者紹介  

阿部清孝 喜納の若い頃からのファンであり、かつ10年来の友人でもある。仙台でたくさんのムーブメントとニューエイジのネットワークを組織。また仙台での喜納のコンサートをプロデュースしている。 p168

<2>につづく

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