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2012/11/18

人や銀河や修羅や海胆は 『石川裕人劇作日記 時々好調』 <10 >

<9>からつづく

Isi
「石川裕人劇作日記 時々好調」 <10>
石川裕人 2006/08~2012/09 jugemブログ 石川裕人年表
★★★★★

1)悪友Aとは高校生の時一緒に黒テントやシアター夜行館を観に行った。もう40年前か。思えば遠くまで来たなあ。Aは早速自分のブログ「地球人スピリットジャーナル」に芝居の感想を書いてくれた。読書家のAは最近賢治を読み出したとか。彼なりの賢治像を作り上げるだろう。 2011.10.30 Sunday 

2)実に共感である。特に演劇一筋できたニュートンにとっては「思えば遠くまできたなあ。」とは実感であろう。ほんとに遠くまできた。しかし、私からすると、これがちょっとちがう。彼は「つづく」「つづく」の連続で、決して「完」とすることはなかった。再演やリフレーンすら拒否しつづけ、新境地へ挑みつづけた。

3)ところがどうだろう。そういった意味では、私は二度の臨死体験を20代で経験しながら、「完」、「完」、「完」と、締めくくりを求めてきたのではなかっただろうか。だが、逆に私は私の「完」を成就することができなかった。

4)今回の人生においては、彼は59年一ヶ月を一期として「完」を迎えたのである。私は、二度も失いつつあった命を拾い直しながら、いまだ「つづく」に一縷の望みを託している、という事態である。一体これはどうしたこのなのか。事実は事実として受け入れなければならない。

5)彼は、私なりの賢治像を作り上げるだろう、と優しい言葉をかけてくれている。たしかに100冊以上の「本」を読んだ今では、私なりの印象を宮沢賢治にもっているのはたしかなことだ。

6)しかし、あえていうなら、自分なりの賢治像からさらに「瞑想」性へと飛翔しようという方向性よりも、むしろ、賢治像という「演劇」性をたよりにしながら、大地に舞い降りるというベクトルのほうに重きがあるようだ。

7)まったくの未完の試みながら、「地球人スピリット宣言草稿」において、当ブログは、賢治の「農民芸術概論綱要」との相互親和性を高めようとしてみた。その試みに手応えはあったが、時間をつめて急いで成果を求めるべきではない、と理解した。

8)なにはともあれ、ここは、当ブログのキモなので、急がずにじっくり楽しんでいく。

9) とある方の引きで新しい仕事を始める。宮城県の震災復興関連広報事業というもの。震災から復興する宮城県民の方々の姿をルポし、ブログに書き込んでいく。スタッフは10名弱だろうか、一人一人がエリアを持ちルポをして回る。わしの担当エリアは東松島以南各地。このブログは11/14からスタート予定。そのブログは始まったらお知らせします。筆名もハンドルネームになるかもしれない。2011.11.08 Tuesday

10)と、ここで「宮城県復興支援ブログ ココロ♡プレス」に入っていく。

11)見た目はなんともなく、健康(だと自分では思っている)だが、検査をすると様々な数値が上がっているので酒を控えだしたのは「まんざら」公演の翌日から。飲まない日、酒1合だけの日、ビールのみの日等々。禁酒ではなく節酒している。そうしたら夜寝る前の読書が進む。深夜トイレに立つこともなくなり、朝起きのもうろう感もなく、体も軽い。もう他の人の一生分いや二生分くらい呑んだからそろそろ潮時かとも思うのだが、日本酒の緑色の瓶に新酒のラベルなど貼ってあるとうわばみの血が騒ぐ。よーしよしよし、どうどうどう。2011.11.15 Tuesday

12)「もう他の人の一生分いや二生分くらい呑んだ」という自覚があったことはわかった。どうやらこの酒が彼の命を縮めた原因のひとつだったのではないか、と推測する。好きなことやって、好きなものを食して、好きな寿命を生きたニュートンは幸せな男であるとは思うが、老いたお母さんをおいて逝ってしまったのは親不孝であった。

13)山元町で「人や銀河や修羅や海胆は」を上演したとき10年以上ぶりにわしの芝居を観てくれた旧友のA氏が己がブログ「地球人スピリット・ジャーナル」(http://terran108.cocolog-nifty.com/blog/ )で戯曲集「時の葦舟」を取り上げてくれた。それはいいんだけど、わしの幼少の頃の学芸会の記念写真が掲載されているのにはびっくりした。ええ!?この写真見たことないような、あるような。中央の猿(孫悟空)がわしだす。これで孫悟空をやったのがきっかけで、孫悟空あるいは「西遊記」を芝居でやってみたいとずっと思っているのだが、まだやれていない。というか、変奏曲として「時の葦舟」三部作があることが判った!!

 他にもわしの芝居人生の黎明期が彼のその頃とクロスして書かれている。ありがとう。2011.11.17 Thursday

14)いえいえどういたしまして。ニュートンは書くだけ書いてきたから、いろいろわかったが、こちらは「沈黙」を通してきたから、けっこう書く事はけっこう溜まっているよ。葬式のあとにもずいぶん書いたぞ。ニュートンが生きていたら、どんな感想を返信してきたかな。

15)だけど、彼が残した作品は数限りない。こちらにとっては、彼はまだ生きている。すくなくとも私が生きている間は、彼の姿が私の中から消えることはない。私は、いつものとおり、けっこう批判精神では負けていないから、これからますます石川裕人「批判」を徹底的に展開するかもよ(爆)。

16)あすと長町仮設住宅集会所は熱かった。温度のことではない。お客さんの熱気がすごかった。芝居を観たいという欲求が上演地のどこよりも勝っていたかもしれない。娯楽に飢えているのだろうか?みんなで一緒に笑ったり、泣いたり、話したりする時間に飢えているのかもしれない。皆さん、大いに楽しんでいたようだ。良かった。本当に良かった。

 今回のツアーで芝居の原点を垣間見た。それは今後の芝居創りに大きく反映されるだろう。要は心だ。心の交歓だ。気取りを捨てた無一物の心で立ち向かおう。

 来年また秋に”Play Kenji"の新作♯7を持って被災地を巡りたいと考えています。またその時にお目にかかりましょう。 

 集会所入り口。暖かい日だった。仮設住宅では断熱材を施こす工事が真っ盛りだった。会場にはたまきちゃん、長官(いつも差し入れありがとうございます)、来年テスト入団する横山真くん、旧友のA氏(早速自分のブログ「地球人スピリットジャーナル」に昨日のドキュメントを書いてくれた)の姿が。

 そして、復興支援メディア隊のジェイソン・スコット・フォードさんが上演を撮影、わしのインタビューと共にユーチューブで全世界配信するようです。 打ち上げは久しぶりに劇団員全員が揃って大盛り上がり。 さて、昼過ぎから今度は30日の文化庁派遣事業の稽古。こっちも賢治モノ。「賢治さんと遊ぼう」です。2011.11.27 Sunday

17)山元町の体育館より狭いプレハブの会場だったが、アコーディオンで「ポランの広場」を弾きながら、プレハブハウスの家々の列から列へ、芝居開幕を触れ歩く劇団の唄に、ついほろりときたいた。開幕前から、あたしゃ、涙をポロリとやっていた。

18) 本日、宮城県復興応援ブログ「ココロプレス」がスタートしました。リンクから入って下さい。とりあえず11月分のみ掲載です。13名の取材陣が今か今かとエントリーしていたのでスタートから記事満載。

 で、わしは石川裕人でもNewtonでもなくnew-Tというハンドルネームです。  ということでブログ2本立てでやっていくわけだけど、こっちのブログの方が書きやすいのは当然。ですます調というのもストレスが溜まる。2011.12.12 Monday

19)彼はnew-Tのハンドルネームで70の記事を書いている。 いつかはネット上から削除されてしまう可能性が高いので、だれかITに詳しい人は、この記事をキチンと記録しておく必要があると思う。

20)奥成達「宮澤賢治、ジャズに出会う」購入。賢治にはジャズの詩がある。「春と修羅」第二集に収録されている「岩手軽便鉄道 七月(ジャズ}」である。2011.12.19 Monday

21)へぇ、「宮澤賢治、ジャズに出会う」。こんな本もあるのか。図書館にもあるようなので、さっそく予約。

22)ARC>T年末企画参加「人や銀河や修羅や海胆は」無事終わりました。そしてこれが最終公演でした。5月に稽古を初めて8カ月。長いつきあいになった芝居でした。そして大事に大事に育ててきた芝居でした。被災地のお客さんからは励ましの言葉をいただいたり、立場が逆だろうというシーンもありました

 この経験は今後のわたしたちの芝居に生かされるでしょう。この現場に立ち会っていただいたすべての観客の皆さまに御礼です。そしてこの長い演劇行に同行した劇団員のみんなと土屋悠太郎さんに感謝です。出産・子育て休団する片倉久美子、お疲れさんでした。今回をもって退団する海田水美にもありがとう。宮澤賢治さん、むちゃくちゃやりましたが、ゆるしてください。また、むちゃやりますけど。2011.12.25 Sunday

<11>につづく

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