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2012/11/18

全身全霊で歩む演劇道 『石川裕人劇作日記 時々好調』 <11 >

<10>からつづく 

Isi
「石川裕人劇作日記 時々好調」 <11>
石川裕人 2006/08~2012/09 jugemブログ 石川裕人年表
★★★★★

1)よーく考えてみると、歌は老成していたが芝居はバカ者(若者)たちの祭りだった。
 わしがシンガーソングライターを諦めたのはバカ者たちの祭りにのめり込んだせいもあるが、妙な老成感に嫌気がさしたからだった。2012.01.07 Saturday  
 

2)う~ん、これは重要な発言だなぁ。ハイティーンから20歳くらいまでの感覚だろう。彼はたしかにギターを弾いていたし、唄も歌っていた。いずれにせよ、表現者であろうとしたことはたしか。劇中歌もつくっていたから、演劇のほうがより総合的であったのだろう。  

3)ここでいうところのシンガーソングライターとはいわゆるフォークのことだろう。ロックンロールなら、バカ者(若者)たちの祭りということはいえただろう。細かくは分類できないが、象徴的にいえば、この時の老成とはドラックカルチャーに影響されており、バカ者たちは酒文化に影響されていたのではないか。  

4)かなりの飛躍だが、彼が演劇を選び、結局は酒を生涯の友としたことは、演劇をつくりつづける原動力にもなっただろうし、自ら体調をくずす原因をつくったとも言えるだろう。この人から酒を取り上げたら、演劇はつくれなかったのだろうか。  

5)「ポランの広場」 宮沢賢治  

つめくさの花の咲く晩に
ポランの広場の夏まつり
ポランの広場の夏のまつり
酒を呑まずに水を呑む
そんなやつら がでかけて来ると
ポランの広場も朝になる
ポランの広場も白っぱくれる

つめくさの花のかほる夜は
ポランの広場の夏まつ り
ポランの広場の夏のまつり
酒くせのわるい山猫が
黄色のシャツで出かけてくると
ポランの広場に雨がふる
ポランの広場に雨が落ちる

6)酒くせのわるい奴だったとも思わないし(それはむしろ私への評価だ)、酒を呑まずに水を呑め、とまでは言わないが(そんなこと私に言える訳がない)、なにか酒との付き合い方に、もうひとつ工夫が必要だったのではないか(それは私の課題でもある)。  

7)当ブログのどこかで、反演劇、超演劇について考察をはじめようとしているけれど、彼にとって、「演劇」に対する、「反」とか「超」とかはどうなっていたのだろう。もし、彼がこの作業をいずれの時点かにおいて開始したら、彼の、この「老成」という単語の扱い方が少なからず、変わったのではないだろうか。  

8)今年、2012年の正月に、彼はこの日記を書いていたのだ。老成しろ、とまでは言わないが、どこかに「完」を忍ばせる世代に到達していたことを、もっと感じるべきだったのではないか。  

9)昨日O鍼灸院に行ってツボに鍼を打ってもらった反動だったのか、昨夜ものすごい熱が出た。いや実際は平熱なんだけど、体が火照る、北ホテル。顔はポッポ、いかぽっぽ。(中略)   

 こんな時は無理して起きてないで布団で寝ているようにというO先生の言うことを聞いて、やらなければならないこと山積だが、完全にそれを忘れ昼飯を挟んで(食欲はあるんだこれが)午後3時頃までぐっすり眠ったら、幾分すっきりしてきた。咳もそんなに出なくなったような気がする。2012.01.09 Monday   

10)ああ、かなり無理がたたってるなぁ。  

11)ココロプレス』new-T 最新エントリー
12月19日(月)残った資格証明書 鎌田浩一郎さん(仙台)
        22日(木)淡々とそしてきっちりと 亘理いちごっこ(亘理)
          ごっつぉするぞ いちご農家・渡辺正敏さん(山元町)
2012.01.09 Monday  

12)この「ごっつぉするぞ」の渡辺さんは、ニュートンからの申し出で、私が紹介した親戚だった。  

13)どうも「方丈の海」の上演が野外では出来なさそうな案配になってきた。 公有地=公園は仮設劇場に対して厳しくなってきている。おまけに周辺住宅からの騒音苦情問題とクリアしなければならないハードルが高い。  

  どっか旅公演で1日、2日くらいのテント興行ならなんとかなるだろうが、仙台は拠点である。拠点で1日2日というのはあまりに情けない。 わしらはロングランを基本にやってきた。 ということで、「方丈の海」公演会場は「ノーチラス」で使った卸町の倉庫になる可能性大。2012.01.24 Tuesday   

14)なるほど、そういうことだったのか。最初野外として企画されているのに、それが実現できないとは。しかし、彼の体力を考えると、野外公演自体、無理だったのではないか。   

15)昨年12月にココロプレスで取材させていただいた山元町のイチゴ農家の渡辺正俊さんから友人を通してイチゴをいただきました。

 あの時、イチゴが採れたらお世話になった方々に「ごっつぉしたい」とおっしゃっていた。しかし、津波被害を乗り越えて採れた初のイチゴ、感動的だなあ。ありがたくいただきます。2012.02.02 Thursday
16)渡辺さんからは4パックいただき、2パックづつ、彼と分けたのだった。

Ichi

17)「雨ニモマケズ」を遺した賢治精神から、私たちは今、何を学び、如何に働き、どのように生きたらいいのか?沢山の犠牲者への鎮魂の祈りを込めて、新しい文明の創造を語り合いましょう。」という開催の言葉。2012.02.18 Saturday

18)仙台文学館における宮沢賢治イーハトーブセンターとの共催イベント・パネルディスカッションに出演している。

19)3者それぞれの分野から賢治に迫ったけど、富山さん、加藤さんそれぞれ専門性が高く、わしの話が一番わかりやく受け取られたかも知れない。子ども時分の賢治との出会いから始め、なぜ賢治作品を芝居にするようになったのか?震災後どんな思いで賢治作品と向き合ったのか、「雨ニモマケズ」朗読批判などを20分話す。

 わしへの質問も多くて、「賢治は何故今の時期受け容れられているのでしょう?」「東北弁で芝居をしないのですか?して欲しい」などなど、(中略)そして収穫は花巻イーハトーブセンターでの上演の可能性が見えてきた。資料を送って下さいとのこと。うまく日程など合えば今年秋に、いよいよ賢治さんのお膝元公演ということになるかもしれない。2012.02.19 Sunday

20)いろいろな新しい可能性が見えてきた段階だった。

21)小学三年生か四年生の頃、石川少年は徒歩で3キロほど通学していた。往復6キロですな。ある時、帰りの道中でうんこを催してきたのでとある藪の中に入り、用を足した。うんこというのものは大人になった今でもそうだが、大体規則的にするようになる。次の日もその場所にさしかかると催してきた。次の日も、そして次の日もである。なんか、その藪を見ただけでしたくなるような条件反射もあったのかもしれない。

 それが、どのくらい続いたのか今となってはよくわからないが、三日四日ではなかった。ある日、やっぱり催してきて藪の中のプライベートトイレへ向かうと、既にそこには老婆がいてうんこか小さい方をしていた。わしはろうばい(狼狽)し、後ずさって戻った。そして、その規則的に続いた藪うんこはぴったり止まった。「野ぐそ」 2012.02.28 Tuesday

21)これが彼のニックネームに連なっていくのかもしれない。

22)中山平温泉は仙庄館への取材だったが、行きたいところがあった。同じ中山平温泉の「星の湯」である。名前がいいでしょう?この温泉にはもう今から30年以上前に色々お世話になった。当時の都市コミューン活動の合宿。髪の長い連中、ドロップアウトした連中、ヒッピームーブメントの名残り、さまざまな連中が自炊しながら宿泊した。2012.03.02 Friday

23)結局、彼とは青春時代をすっかり共有しているんだなぁ。彼もいつまでも忘れていなかった。この「星の湯」は1974年に合宿することになり、私が電話帳で県内の宿泊設備を電話で調べて、けっきょく、一番やすい湯治場を見つけたのだった。私も震災後行ってきた。旧館は、新館の下のほうにまだ残っている。すでに朽ちているが。

24)絵永けい、昨晩緊急入院しました。個人病院に普段着で行ったまま救急病院へ、そして救急車で総合病院へ転院しました。あまりいい状態ではありません。2012.03.08 Thursday

25)私はあまり他の人のブログを覗くほうではないので、こういう事態は克明に知るころはなかった。個人情報なので、むしろ距離をおいていたとも言える。それにしても、彼ら夫婦にとっては、本当にたいへんな一年だったなぁ。

26)かくいう「ココロプレス」も昨日で幕を閉じた。震災後、各地で頑張る方々を取材して回ったが、身にしみてためになった。この震災がわたしたちの心にどれだけの傷を残し、その傷からどのように恢復しようともがいているのか現場にはいって話をしてみないと本当のところはわからないものだ。2012.03.27 Tuesday

27)この企画はけっきょく4月に復活することになる。彼にとってはとてもためになっただろう。しかし、より体に影響を受けることになったことは確かだ。

28) 中学3年生だったな、友達のまことくんと一緒に映画を見に行ったのは。最初「猿の惑星」(もちろん第1作目の)を見ようと思っていたのだが、急遽わしのリクエストが勝ち、なんだか妙に感動的な映画を見てしまった。その映画はタイトルも忘れちまった。(中略)そのまことくんはわしの初期時代の劇団に参加して1回だけ舞台に立った。秀才だった彼も今頃どうしているものか。同窓会にも顔を見せない。2012.03.31 Saturday

29)これは、ハナタレまっこ、のことだ。蓄膿症なのか、いつも大笑いして鼻ちょうちんをつくってた。彼もまたニュートンの舞台に立ったのだっただろうか。私はすっかり忘れている。来年2月には、同級会の還暦祝いがある。まっこも来るかもしれない。来たら、話しておくよ。

つづく・・・・かも、

追記、これ以降、最後まで目を通したが、もうリアルすぎて、こちらのブログに転記するような内容ではない。いつかは、コメントするかもしれないが、すこし時間をあけよう。率直に言って、彼は、「方丈の海」と、自分の命を交換してしまったようなイメージがある。なにはともあれ、冥福を祈る! 合掌!

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