ほんとうに必要なのはどの肉体論だろう 『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』 <2>
「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」 <2>
増田俊也 2011/09 新潮社 単行本 701p
1)この本は面白い。ヒットしているわけがわかる。木村政彦側について、徹底的にノンフィクション・ライティングで、力道山とのプロレス巌流島戦を追う。実に執拗だ。これまでの当ブログでの力道山追っかけを凌駕する内容だ。
2)だけどふと思う。今、当ブログは、このような肉体論を何時間も読書していいのだろうか。もっと当ブログにふさわしい肉体論があるのではないか。
3)と思って、今手元にある「肉体(身体)論」を三つ並べてみた。
唐 十郎 「特権的肉体論」
OSHO 「こころでからだの声を聴く」
4)プロレスは、演劇というより八百長だ。ブックという試合運行表によって勝敗は最初から決まっているショーだ。そこに命をかける男たち。リアルといえばリアルだが、そこに安住することはできない。
5)かたや、石川裕人追っかけの最中にでてきた唐十郎、その特権的肉体論は、役者たちの肉体に支えられた演劇論だ。結局、観客という要素を必要とする表現であり、芸術としての存在基盤があいまいだ、とさえ思う。
6)さて、私が必要としているのは、瞑想へとつながる肉体(身体)論。やっぱりOshoが私には一番リラックスできる。でもなぁ、なかなか、この通り実行できないという悩みもある。
7)この対比で並べてみるのも面白い。身体のための身体。芸術のための身体。意識のための身体。すこしづつ、当ブログの今後の方向性がみえてくる。
| 固定リンク
「29)Meditation in the Marketplace3」カテゴリの記事
- このようなターゲットの絞り方もあるのか 『演出家の仕事②』 戦後新劇 (2012.12.19)
- 再読したいこのカテゴリこの3冊「Meditation in the Marketplace3」編(2012.12.21)
- 再読したいこのカテゴリこの3冊「Meditation in the Marketplace2」編(2012.12.16)
- 『世界が日本のことを考えている』 3.11後の文明を問うー17賢人のメッセージ<3> 共同通信社(2012.12.16)
- 再読したいこのカテゴリこの3冊「Meditation in the Marketplace1」編(2012.12.15)
コメント