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2012/11/13

ニュートンの遺言として 『宮城県復興支援ブログ ココロ♡プレス』<3>

<2>よりつづく

Coco
「宮城県復興支援ブログ ココロ♡プレス <3>
new-T(石川裕人) 2011/11/10~2012/10/13 宮城県震災復興・企画部 震災復興推進課 石川裕人年表

1)早いもので、石川裕人急逝の報に接してから、1ヵ月が経過した。11日に家族や劇団員に見守られて名取市の吉祥寺への納骨も終わり、残された私たちも、すこしづつ気分を切り替えていかなければならない時期になってきた。

2)思い出せば、10月10日あたりで当ブログは松岡正剛「3・11を読む」を追っかけ、山尾三省「インド・ネパール巡礼日記」を振り返り、宮井一郎の「漱石の世界」を掘り起こそうとしていた。 あれから一ヶ月。ずいぶんと遠い旅にでていたように思う。

3)石川裕人は多くの人に愛された。多くの人が彼の急逝を惜しんだ。ご家族の心痛はいかばかりかと思う。そして、お母さんとお話をするとき、ニュートンはお母さんには割りと最近の活動を語っていなかったのではないか、と感じるようになった。

4)私とて、実際の彼のプライベートな活動を細かくは知らない。彼のことを教えてあげるには、この「ココロ♡プレス」の彼の記事をプリントアウトしてあげることもいいのかな、と思った。しかしそうする前に自分でひととおり読んでみなければ、と気がついた。

5)約20人強の書き手のうち、彼は量としては二番目に多い70本の記事を書いている。約一年間に70本だから、平均すると月5~6本、毎週毎週書き続けていたことになる。ブログという形式から、必ずしも読みやすいとは言えないし、操作が重いので、さて、どのくらいの人に読まれていたのだろう、と思うが、ニュートンの最後の言葉が綴られていると思うと、貴重な、遺言のように思えてくる。

6)わたしは震災後、東北のために芝居を書きやり続けていくことを強く思った人間です。石川「東北からの声 東北の現在 (青森)」2012/01/23日

7)彼はこのブログの中でも、重ねてこの決意を語りつづけている。

8)宮沢賢治は生前、明治三陸大津波と昭和三陸大津波の2つの大きな津波を経験しています。
 今回の震災後、多くの人々が賢治の詩や童話に助けられたと語ります。賢治の作品世界には治癒力があります。その力にわたしたちは惹きつけられるのかもしれません。
石川「宮沢賢治からのメッセージ (仙台市)」 2012/02/06

9)正確には、賢治は明治三陸大津波の年に生まれたが、その地震そのものを「体験」しているとはいえないだろう。あるいは昭和津波の年になくなったが、こちらも、本当の意味でのその災害の悲惨さを「体験」したとはいえない。彼の作品も特に津波に触れたというものはほとんどない。しかし、そのタイミングの奇遇さは、なにかを暗示的に語っているようでもある。

10)当ブログもまた、賢治ワールドに惹かれ、賢治的治癒力に引き寄せられるものである。

11)賢治作品を劇化することにかけてのオーソリティだと思われたのでしょうか。うう、荷が重い。石川「同上」

12)ニュートンの劇空間が今後どのように展開していったのか、今となっては語ることができなくなってしまったが、もし賢治作品の劇化がつづいていったとするならば、私個人としては、きわめて好ましいものと思ったはずである。

13)総合芸術である演劇への参加を通して、仙南圏域の将来の文化活動を担う人材を育成することと、豊かなコミュニティ作りがこの事業の目的です。石川(AZ9ジュニア・アクターズについて)2012/01/29

14)子ども達のために彼が書き残したシナリオが、今後どのように花咲いていくのだろうか。

15)子どもたちは物事を深く考えているように思います。それは時に大人をしのぐ洞察に満ちていることもあり、わたしたちは子どもから多くのことを学びます。それがこれだけ16年間16本の戯曲を書いてこられた要因でもあります。わたしたち大人は昔子どもだったことを思い出す必要があるんです。石川(AZ9ジュニア・アクターズについて)2012/01/29

16)彼も、子どものようなやわらかいこころを持ち続けた人間だった。

17)わたしは昨年5月に宮城県と岩手県の被災地6カ所の子どもたちへ向けて、7月から11月はわたし達の劇団で県内10カ所の上演活動を行いました。震災後、ほぼすぐの被災地への巡演はわたし自身が立ち直る企画でもありました。

 子ども達は真剣に見てくれましたし、付き添いで一緒のお母さん達にも楽しんでいただけたようです。ただ、仮設住宅のそばで上演したにもかかわらず避難している方々はほとんど足を運んでくれませんでした。そんな時期でした。
石川「震災から1年の思い。(宮城県内各地)」 2012/05/26

18)ポスト3・11として、演劇人の彼は、自分に何ができるのか問いかけ続けた。

19)10月から始めた石巻日和山公園、東松島図書館、山元町中央公民館、七ヶ浜国際村野外ステージ、あすと長町仮設住宅集会所と被災地と避難する方々へのまさしく出前芝居でした。石巻のランドマークである高台の日和山公園から見えるのは津波に襲われた街の跡。山元町中央公民館から遠く見える海沿いの町はほとんどが流されてしまいました。

 わざわざ足を運んでいただいたお客さんが、その上演場所で地元の方々と久々の出会いをしている風景が至る所で見られたのです。これが劇場というものではないかと思いました。劇場はあるものではなく、そこに出来上がるものなのです。中心にいるのは人です。人のいるところへ出かける演劇。あすと長町仮設住宅集会所での上演も、そんな試みでした。石川「同上」 2012/05/26

20)私は観客としてその中の一部でしかなかったが、見ていて私も本当にそう思った。

21)演劇には力があると認識する貴重な経験をさせてもらった震災後激動の8カ月でした。わたしに、今後東北のために芝居をやっていこうと決意させた8カ月でもありました。

 人間は芸術を何故求めるのか?それは心の問題です。荒廃した心に慈雨の如く降り注ぐのが音楽、美術、演劇、映画、文学です。演劇だけのことを言えば、演劇の歴史が3000年というだけで肯けていただけるのではないでしょうか? 天災、戦争、苦難の歴史を演劇は語り、記述してきたのです。
 しかし、芸術は震災直後即効力を発揮するものではありません。瓦礫の中で人は生きるだけで精一杯です。今現在、やっと人々は芸術を求めるようになってきたと思えます。それは復興の槌音と共に微かにではありますが、徐々に力強くなってきているようです。芸術の灯りは被災したわたしたちの心の奥に確かに灯り、わたしたちに寄り添うために準備を完了しています。

 
「ココロプレス」でわたしは強く静かに歩み始めた人たちを今後も追いかけます。そして舞台芸術の話題も満載でお送りしますよ。石川「同上」 2012/05/26

22)今となっては、残された者たちへの、熱い期待のメッセージとなってしまった。

23)「大張物産センターなんでもや」は平成15年12月オープン。地域を守る高齢者向けコミュニティ店として大張地区の住民出資型店舗として開設されました。石川「笑顔で立ち向かう (丸森町)」 2012/07/18

24)いやはや近くの棚田まで取材している。実は義妹が近くに嫁いでいるんだよなぁ。私もよく通う地区だ。

25) 震災後、多くの東北の演劇人は言葉を失いました。自分が紡ぎ出していた言葉を津波に持って行かれてしまったのです。わたしも例に漏れず、震災からしばらくの間、躁と鬱を行ったり来たりの状態でした。『ココロプレス』でも前にも書いたことがありますが、昨年被災された方々を前にして芝居を上演しながらわたしは回復してきたのです。それは劇団のメンバーも同じでした。石川「TheatreGroup"OCT/PASS"公演vol.34『方丈の海』」について」2012/07/08

26)さらに今、石川を失った劇団のメンバーたちはどんな心境だろう。

27)山元町はさわやか福祉財団の提唱するコンパクトシティ構想の実現を目標にしているようです。コンパクトシティ構想とは、「その町に住んで本当に良かった」と思える地域包括ケアの町の完成形とも言える町です。石川「コンパクトシティ構想 (山元町)」 2012/07/30

28)60年も生きた石川裕人の人生を、志半ばとか、早すぎたとか、言いたくはない。彼は十分な時間を与えられ、十分生きたはずである。そう思いたい。でも、これだけの多くのテーマを前にしながら、この世から去っていかなければならない者の心境とは、いかばかりなものであろうか。それは、昨年亡くなった加藤哲夫にも言えることだろう。

29)あらためて故人たちの冥福をお祈りいたします。合掌

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