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2012/11/21

羽倉 玖美子『愛する地球(テラ)に』 女神は夜明けに舞い降りる<4>

<3>からつづく 

Tera
「愛する地球(テラ)に」 
女神は夜明けに舞い降りる <4>
羽倉玖美子著 2012/12 本の森 単行本 0178

1)では、すこしづつランダムに内容にアクセスしていってみよう。コンパクトな一冊ながら、著者の熱い思いがせいいっぱい込められているので、実にどこからメモしたらいいのやら。ほんとうは、こういう本は、静かに読んで、静かに胸のうちにしまっておくほうがいいのだが。

2)「アニミズムと言う希望」(2000年 野草社刊)は、30数冊におよぶ三省さんの著書の中で、彼の思想を総論的に代表するものだと思います。羽倉p170「あとがき 思想(おもい)の両翼」

3)当ブログで、すでに「山尾三省関連リスト」で読んでみたものは、約50冊ある。初期詩集や対談、雑誌なども取り上げたからそうなったのであって、たしかに彼の「著書」と限定すれば、30数冊ということになるだろうか。

4)「アニミズムという希望 講演録・琉球大学の五日間」はたしかに名著で、当ブログとしてもレインボー評価している。

5)1999年12~16日の5日間に、琉球大学で行われた集中講義の記録。この講義の段取りをしたのは三省とゲーリー・スナイダーとの対談「聖なる地球のつどいかな」(1998)を企画した山里勝己・琉球大学文学部教授当ブログ2011/07/03

6)1938年10月11日生まれ(天秤座生まれだったか・・。蛇足ながら10月11日は石川裕人の命日でもある)の三省、ちょうど還暦を迎えたタイミングである。ちょうど、この年齢は自らの一生をとりあえずまとめようとする時期であるだろう。この「愛する地球(テラ)に」もまた、著者にとっては還暦のまとめになるだろうし、当ブログの、石川裕人という鏡を借りて、盛んに一生を振り返ろうとしている作業も、似たような動機が底辺に隠されている。

7)発行時期から考えれば、 「カミを詠んだ一茶の俳句 希望としてのアニミズム」』(2000)、「リグ・ヴェーダの智慧 アニミズムの深化のために」(2001)と並ぶ、三省アニミズム三部作としてこの「アニミズムという希望」(1999年の講話)が存在している。当ブログ 同上

8)つまり、三省というひとは、アニミズムの詩人と総括されてもよいと思う。

9)3・11の直後に私が思い出した事は、三省さんが残した「子供達への遺言・妻への遺言」の一文です。羽倉p171「あとがき 思想(おもい)の両翼」

10)この一文は、なかなかデリケートな文章なので、読者はそれぞれ、彼の著書のなかで味わうべきものであろうが、当ブログも何度か触れている。「南の光のなかで」2002/04 野草社)で読み、松岡正剛「3・11を読む」(2012/07 平凡社)を読みながら、また思い出し、全文を引用した。 著者も自分のブログ「地球のつどい」でも何度か引用している。

11) まず第一の遺言は、僕の生まれ故郷の、東京・神田川の水を、もう一度飲める水に再生したい、ということです。山尾三省p171

12)これはどうなのかなぁ。私が育った50年前の東北の農村地帯のきれいな水でさえ、飲料水としては使っていなかった。口をすすぐとか、食器を洗う程度はできただろうが。三省の夢は大きいけれど、不可能なないものねだりではないだろうか。

13)第二の遺言は、とても平凡なことですが、やはりこの世界から原発および同様のエネルギー出力装置をすっかり取り外してほしいということです。山尾三省p171

14)原発ゼロは、私たちの必死な願いだが、この日本だけでも難しいのに、「世界」からとなるとさらに荷は重い。三省が自分で生きている間にできなかったことを、残されたものに「遺言」するとは、ちょっと「ヒキョウ」じゃないか(笑)。

15)遺言の第三は、この頃のぼくが、一種の呪文のようにして、心の中で唱えているものです。その呪文は次のようなものです。

 南無浄瑠璃光・われらの人の内なる薬師如来。

 われらの日本国憲法の第9条をして、世界の全ての国々の憲法第9条に組み込まさせ給え。武力と戦争の永久放棄をして、すべての国々のすべての人々の暮らしの基礎となさしめ給え。
山尾三省p172

16)その気持ちはわからないでもないし、いかにも三省らしい「遺言」だが、それは実現可能性のあるプロジェクトになり得るのだろうか。人類が生まれて以来「武力と戦争の永久放棄」が現実のものとなったことはない。

17)積極的には車も使わず、ケータイやパソコンも使わなかったであろう三省。生まれた東京から鹿児島の屋久島に移住して、詩作してすごした三省。そのような人がアニミズムを理想として一生を生きた、ということは理解できるが、他の地域に住む、他の人々にも、同じ理想を共有することは可能であろうか。

18)私が生きている間に、三省がいうようなアニミズムが中心となる世界に、私自身が生きることができる、ということはありうるのだろうか。上の三つの遺言だって、正直なところ、この数十年で可能だと言える人は少ないだろう。

19)でも、一個の人間としてこの世に生まれたかぎり、上の三つの理想が実現できなかったから、賢治いうところの「ほんとうのさいわい」に達することはできなかった、ということはない。

20)ゴータマ・ブッタは、自らの部族が滅ぼされることがあったとしても、人間として最高の開花をしたという。イエス・キリストは、自らの身を滅ぼされたとしても、その精神において、人間として最高の境地に達したという。

21)当ブログでは、初期山尾三省のインド・ネパール巡礼日記を読み始めているところである。この本がこの時期において出版されることには大いに意義を感じる。この本があってこそ三省という円環が閉じられる。上のアニミズム三部作がもっとも後期に出されたからといて、それを三省最高の境地と見ることはできない。

22)三省さんの内側からの紡ぎ出されることばは、私の人生を飛ぶ片翼でした。何かあれば、その著書の中から自分を支えてくれることばを見つけて、力としたものでした。
 もう一つの翼は、青木やよひさんのエコロジカル・フェミニズムです。
羽倉 p192「思想(おもい)の両翼」

23)青木について全く知らなかったということではないが、当ブログでは一冊も読んでいない。それは、自分がエコロジーに関心がないわけでもなく、フェミニストでもない、ということではない。ただ、女性である著者と、男性である私とでは、論理と感性におのずと個体性がある。

24)ネイティブ・ピーポーについては、当ブログでは、まったくアプローチしてこなかったわけではないが、追いかけ不足である。当ブログが終了するまでに、それをもっと引き寄せることができるかどうかは定かではない。また、それが必要不可欠なのかどうかも、まだ見極めていない。

25)外側から教え込まれた虚構に気づき、その人らしく生きたのが山尾三省さんであり、青木やよひさんでした。羽倉p173「同上」

26)なにはともあれ、著者がまえがきとあとがきで、この両名の名前を明示して「両翼」と呼んでいることを確認すれば、まずは、この書を読む大きな手がかりとなる。

<5>につづく

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