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2012/11/16

3・11までのカウントダウン 『石川裕人劇作日記 時々好調』 <5>

<4>からつづく 

Isi
「石川裕人劇作日記 時々好調」 <5>
石川裕人 2006/08~2012/09 jugemブログ 石川裕人年表
★★★★★

1)K臓に腫瘍が出来、つまり癌なんですが、早期発見の処置なので大丈夫でしょう。腫瘍を電磁波で焼き切るという先端医療=焼灼術というのを受けまして、内視鏡で見ながら腫瘍を焼いていくわけです。術に入る前偶然針を見てしまってブルってしまいました。動けなくなってしまいました。(中略)

 まずは元の状態に戻りました。これからは我がK臓をいたわってやろうと思います。多分酒は年に数回くらいしか飲まなくなりますが、酒の代わりに酔えるものを編み出そうとただ今思案中です。2007.04.17 Tuesday

2)5年前だったなぁ。これですっかり断酒したものと思っていたのだが。

3)退院後初めての外来へ。2時間待ちですよ。茂木健一郎「脳と仮想」を読んで待ち時間をつぶす。血液検査とCT撮って検査結果は6月末。多分大丈夫だろう。2007.05.23Wednesday

4)当ブログでも一時期茂木健一郎を追いかけたが、今は完全に覚めた。当ブログが「脳と仮想」を読んだのは2009/07。二年遅れ。

5)年齢は現在のままなのに中学校の同級生達が集まって卒業式を開くのだという。だから学生服を着て記念写真を撮るらしい。まずは一人一人撮るので「イシカワ、お前は席次が早いからすぐ用意しろ」と幹事のサエキが騒いでる。ところがここに来たときから便意を催している。それも大きい方。慌ててトイレを探す。2007.05.26 Saturday

6)この幹事のサエキってのは、前回<4>の写真の最前列左から二番目。

7)9月以降11月までの間、唐十郎師と対談する企画があったが、唐さんのあまりの多忙さに1日たりとも仙台に来られないと言うことでお流れになってしまった。非常!!に残念それにしても唐さん、この秋は自分の関係する芝居が3本ラインナップされているようだ。愚生も師を追わねば!!2007.06.22 Friday

8)それは残念。この企画、結局実現しなかったのだろうか。

9)このブログも安定した読者を得ているようで1日平均150件~200件のアクセスです。面白いものを書くことと、書く責任両面あって毎日結構楽しんでます。これからもどうぞよろしく。2007.12.31 Monday

10)二年前ほどに直接口頭で聞いた時は、一日600件ほどと話していた。このブログのことだったのか、他の劇作風雲録などとの合算だったのか。ページビューか訪問者数かでだいぶちがうが、決して少なくもないが、多くもないイメージ。

11)少なくとも愚生は芝居をやり続けるために生計を立てるのに困っているのだ。じゃあ芝居やめりゃいいじゃないってことではない。我々にはどんな職業・なりわいをしていても自分の思想信条を貫く自由と権利がある。大きくいえば生存権だ。既得権益や利権でガッポガッポ金が入ってくる奴らには巷でどれだけ人々が苦しんでるかなんて想像できる感性がない。2008.01.30 Wednesday

12)他人の懐具合など余人の測り知れるところではないが、この文面では、なるほど楽ではなさそうだな。(こちらもだが・・・)

13)高校1年生とのときの志望は日大芸術学部の映画学科だったが、当時の大学紛争の激化と学費がべらぼうに高くて親に相談する事も出来なかった。学園紛争とは縁のない高校だったが服装自由化と検閲制度廃止などで運動を開始。教師ににらまれていた。

 映画と読書に明け暮れる毎日、全国的に盛り上がっていたのは今でいえばブログだろうか、ガリ版のミニコミを発行し、これが「朝日ジャーナル」の特集に紹介され色んな人たちとネットワークが出来る。そうこうしているうちに東京キッド・ブラザーズを知り、彼らの自主上映運動に関係し、仙台での上映にこぎつけた。

 そのとき仙台で寺山修司と東由多加と出会う。これがきっかけで東京でのキッドの公演を手伝う。今考えてみるとこの出会いが芝居の道を決定づけたのだろうが、このときはそんなことは知る由もなかった。高校を卒業し1年後「演劇場座敷童子」を旗揚げしても、まだ芝居を続けようとは思っていなかった。ただ芝居の毒は既に身体中に回っていたのだろうね。2008.06.27 Friday

14)やっぱり「朝日ジャーナル」ミニコミ特集の件、書いていたね。日大芸術学部志望だったのか。あの時代は、みんなドロップアウトがカッコよかったからなぁ。とくにかくまぁ、59年と一ヶ月、ごくろうさまでした。

15)「おくりびと」がアカデミー賞を獲ったねえ。いがったいがった。でも未見なんだよねえ。(中略)わしも山形出身ですが、あんな丁寧な作法の納棺儀式は見たことがない。生家はクリスチャンだし。関係ないか。あれ、「生家はクリスチャン」っていいタイトルだな。2009.02.25 Wednesday

16)当ブログで「おくりびと」を見たのは2009/05。町内会の寿会の企画。近所のご老人たちと一緒だった。母親の「生家はクリスチャン」ってのはホント。ニュートンの曽祖父が埼玉あたりに行って巡査になった時、洗礼を受けて山形に帰ってきたらしい。彼のお母さんから聞いた。近所でもめずらしいらしい。ただし、お母さん自身はクリスチャンという意識はなく、法華経などをニュートンの仏前にあげている。ニュートン自身もクリスチャンってことはないだろう。

17)2009/03から、私のブログは新しいサイトへと引越しをした。楽天→ニフティ。

18)次回の戯曲を書くために資料を読んでいる。と言ってもジュール・ベルヌの「海底2万リーグ」再読ですが。次回戯曲100本達成作「ノーチラス」は自ずと知れた上記原作に出てくる超潜水艦の名前。中学生の時読んだやつではない完全版を読み始めた。これがエンタメ的に面白すぎ!!少年の頃の血湧き肉躍る思いを追体験している。2009.11.23 Monday

19)ベルヌ 「海底二万里」はごくごく最近読んだ。しかもうちの子ども達が小さい時に読んだ絵本。石川版「ノーチラス」の上演台本を読んだあとにだ。

20)数年前、あべひげで撮ってもらったあべさんとのツーショットを探したがデータがぶっ飛んでしまっていたんだった。いい写真だったのに。(中略) 

 あべさん、あんた早いよ。どうせ2012年にはみんな死んじゃうんだから、そこまで待ってても良かったのに。逝き急ぎだよ。合掌、合掌、合掌、いくら合掌してもしたりない。2009.12.22 Tuesday 

21)といいつつ、ほんとに自分も2012年に逝っちゃったよ、この人。

22)予告している「石川裕人百本勝負 劇作風雲録」の表紙をライヒに作ってもらっている。第1稿は既に上がってきている。これが大笑いの代物。笑えるが、家人は猿の惑星みたいだということでこのプラン却下。決定したらこのボツ写真も公開しよう。やっぱ雷蔵でしょう。でもなあ、昔伊達政宗役をやったが、どうみてもバカ殿にしか見えないという事実の前に二の足も踏む。さて、風雲録、今月中には第1回をアップできるように頑張ります。2010.01.21 Thursday

23)このあたりから準備していたんだな。

24)というわけで「劇作風雲録」も毎週UPしているわけだが、昔の資料見ながら様々なことが思い出される。そのときいたメンバーの消息が気になる。芝居人生で最も波の大きい季節、1988年。「又三郎」で私たちは大きな賭けに出た。退路を断って旅に出た。個人的にはアパートの家賃を溜めたままで夜逃げのように旅に出たのである。

 旅に出たメンバーほとんどがそうだった。バイトを長期間休み、あるいは辞め、決死の旅に出た。この潔さがよかったのだと思う。今でもこの「又三郎」の旅があったから色んなことに耐えられるような気がする。ちっちゃなるつぼの中の芝居状況なんて屁でもない。ガツンと行け、せこい芝居やるな。雄々しく行け、世界の芝居に負けるな。こんなことを改めて胸に期す「又三郎」をめぐる第八回劇作風雲録です。2010.03.22 Monday

25)単純に代表作としての「又三郎」を探している当ブログだが、本人たちは必死の覚悟だったんだなぁ。

26)見上げると部屋の三方がこのように天井までの本棚になっている。来るべき宮城県沖地震の時には本に埋もれて確実に死ぬだろう。頭部だけ剣道の防具を着けて寝れば大丈夫か。2010.08.28 Saturday

27)あの天井まで本の積まれた書斎に3日ほど寝て、4日目には二階で寝たそうだ。そして3・11が起きて、あの時あそこで寝ていたら、本当に死んでいただろうというのは、最近のお母さんの弁。本が全部おちたらしい。

28)昨日10年以上ぶりで旧友のGTちゃんから電話が来た。現在闘病中のM坊と三人で同居(今でいうシェア)していたことがある。もう30年以上前「劇団洪洋社」の頃だ。当時の乱痴気騒ぎの話は書き出せばきりがないほどあるので、いずれ書くことにして。

 GTちゃんのとこから猫をもらってきたこともある。秋田の湯沢からもらい猫をして雪道夜道をソロソロ帰ってきたことを今でも鮮明に思い出す。音信が途絶えて10年以上経つが、今回のM坊のことを手紙で伝えたのだった。

 もう、10年のブランクなんて無かったように、気づいたら1時間も話していた。電話嫌いのわしにとっての1時間の通話は記録!!ですな。なにか時の経過なんてあって無きが如くのような気がするなあ。2010.11.23 Tuesday

29)M坊も、震災前一ヶ月に亡くなってしまった。GTちゃんはニュートンの葬式でギターをかきむしって唄を歌った。

30)生を選べずに生まれてきた私たちは死も選べない。一昨日一周忌の法事を済ませた父は老衰だった。とりわけ大きな病気もしなかった父のような死に方が一番いいような気もするが、わしにそんな最期があるかどうかもわからない。全てはなるがままを受け入れようと思ってはいるが。

 この雑誌に「エンディングノート」の付録がある。最期を迎えるためのメモ帳のようなものだが、これが巷では売れているらしい。みんな自分の死を自らのこととして想うようになったんだな。2010.11.30 Tuesday

31)もって瞑すべし。

32)あと10年、わし生きてるだろうか?いや本当にこの歳になると考えるんですよ。だって10年後、67歳ですよ。一体どんな生活しているものやら、芝居だってもしかしたらもうやっていないかもしれない。2010.12.25 Saturday

33)たしかなる未来など、誰にもわからない。

34)テーマは「生と死」。子どもたちがこのテーマの芝居をやることはさほど難しくは無いと思う。ただ、死は遠いものだろう。実感として捉えることは難しい。だからバーチャルな意識になる。しかし、シニア世代にとっての死は身近な存在だ。メンバーの中にも「明日死ぬかも知れないから」とか「一度倒れて死んだようなものだ」とか達観の方がいた。遠近感が子どもと格段に違う。

 そんな方々が天国へ向かう列車「銀河鉄道」の物語を身近に親身になったり、笑い飛ばしたり、冷静に判断したりしながら5ヶ月の旅をした。稽古の旅そのものがわが事である現場こそ芝居をやる醍醐味でもあろう。2011.01.25 Tuesday

35)坂上二郎さんが亡くなった。芝居の原点が唐十郎師なら、お笑いエンターテインメント指向の原点はコント55号だ。2011.03.11 Friday10:39 

35)これが3・11当日の直前のかきこみとなる。

<6>につづく

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