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2012/11/18

迫り来る予感 『石川裕人劇作日記 時々好調』 <7>

<6>からつづく 

Isi
「石川裕人劇作日記 時々好調」 <7>
石川裕人 2006/08~2012/09 jugemブログ 石川裕人年表
★★★★★

1)愚生26年前の戯曲(初演は25年前)「流星」を他力舎の上演で観る。まかせっぱなしでテキレジの一つも出来なかったので恥ずかしくも心配な舞台でもあった。
 思い起こせば29歳の時、みんな若かった。そして芝居は趣味でいいやと思って旗揚げした「十月劇場」の第1回公演。これぞストレート芝居というくらいがむしゃらにやったことが記憶に残っている。お客の受けなど気にせず突っ走った。他力舎の舞台はほとんどベテランの域に達した役者を配して、おおように、気張らず、力の入れ方をコントロールしてやってるからこちらも構えずに観ることが出来た。笑えた。そうかこの年になってやるとこの戯曲も生き返るんだな。
 客席にはちらほらと「十月」旗揚げメンバーもいて同窓会ムード。なごやかないい芝居だった。
2007.11.03 Saturday

2)他の劇団への書き下ろしというだけではなく、過去の石川作品の再演ということも発生してくる。特にこの記念碑的な十月劇場立ち上げ作品の再演はうれしかっただろう。

3)昨日の日記に書き忘れたことをひとつ。「流星」のネタは実際あった話です。全国の天文ファンのアイドルとして活躍したアストロ犬チロという犬がいたんです。ネットで「アストロ犬チロ」で検索すると出てきます。「星になったチロ」というタイトルで児童書としても発行されている。2007.11.04 Sunday

4)のちのち重要なキーワードになるかもしれない。

5)思い起こせば’75年、劇団洪洋社の旗揚げ公演「月は満月」。次いで’82年、十月劇場の第2回公演「ねむれ巴里」’84年第3回公演「嘆きのセイレーン」この年番外公演「突然、嵐のごとく」と都合4本の芝居を白鳥ホールで打った。で、その当時のままなのだった。場末の古い映画館のような、公会堂のような、階下からは焼き魚のような生活臭。なにかここだけ時間から置き忘れられた空き地、あるいは子宮のような。そんな感慨にふけりながら開演を待った。家人は「月は満月」の時の主演女優、デトチリチンするところだったらしい。そんな思い出を話してくれた。2007.12.01 Saturday

6)白鳥ホールもなつかしいな。今でも使われているのか。

7) 昨日はスタッフラボ試演会「遙かなり甲子園」を観る。’01年11月「石川裕人戯曲短篇集 わからないこと」の中の1本として上演。責任がないと思い切り楽しめるなあ。って、書いたのはわしなんですけどね。役者が楽しんでたのが良かった。何かやりたくてうずうずしてるのが手に取るようにわかった。2007.12.17 Monday

8)「遙かなり甲子園」は不思議な因縁を感じる作品。1990年の「遥かなる甲子園」というビデオがあったので借りてきた。近日中にみてみよう。

9)さて、今年もやって参りましたこの季節。昨年初めて観た映画(映画館・DVD・BS放送)を新旧問わず選出するという偏向著しい映画備忘録。良かった映画10本、なんじゃこりゃ映画2本です。昨年は109本観た。こんなに観てるって実感なかったのだが、暇だったのねえ。なお、ランキングではなく観た順番です。(中略)

 今年はどんな映画と出会えるやら楽しみだなあ。で、芝居はほとんど観てないのね。去年10本くらいじゃないだろうか。自分のフィールドは冷たい。というか、他の芝居は全てライバルになっちゃうから観てると疲れることが多いんだよね。2008.01.06 Sunday

10)彼なりの生活の指針が垣間見える。

11)その頃、愚生の実家ではお母さんの亡くなった時間あたり玄関チャイムと電話が一緒に鳴ったのだそうだ。玄関には誰もおらず、電話は2,3回鳴って切れたのだという。これは愚生のおかんが後で語った。

 で、今日は午前中にお墓参りに行ってきた。冬空の下で墓地は閑散としていて、「千の風になって」を朗々と歌ってきた。
2008.01.18 Friday

12)今週水曜は彼の六七日(42日目)。お墓の前で「千の風になって」を歌ってみようかな。お互い、明日は我が身だな。

13)十月劇場時代の’88年に「又三郎」という戯曲を書いた。かなり集中して書いた。夜寝るのも惜しんで書いたような気がするが、登場人物が早く書いてくれと待っているのだった。役者への宛書きで書いていたからその役者の顔が出てきたというわけではない。自分のイメージのキャラクターが愚生に毎朝語りかけてきたのだった。それは愚生を励まし勇気も与えてくれた。それはまさしく神懸かりだった。愚生は単に登場人物とワープロ(その当時は)のキーボードをつなぐコネクターだったような気がする。
 確かに今書いている「少年の腕」は書き進むスピードは早いようだ。でも「又三郎」や「時の三部作」のようにコネクターになっているわけではない。劇作家という視点で見ている確固とした主体がある。この主体と登場人物と劇世界が融溶するときなにものかが降りてくるのか?どれだけ自分の書く世界に没入するかが降りてくるものを決めるようでもある。
2008.02.06 Wednesday

14)興味深い記述。

15) お彼岸のお墓参りを老親と家人とでする。葛岡と死んでもいないのに老親のお墓のある名取の2カ所。しかし、もう15年も前に来たるべき時のためにお墓を用意するという死生観がどうもいまいちわからない。リアリティがないのだね。まあ自分たちが初めて入るということもあるにはあるんだろうが。
 愚生など死んだら風葬でも構わないと思っている。遺言にはそう書いておこう。死んだらどうなってしまうものか誰にもわからないわけだし、わからないからこそ恐怖ということもあり、わからないからこそしたいようにさせてくれということもある。
2008.03.19 Wednesday

16)風葬にはならなかった。被災した名取の火葬場で火葬され、4年半後にこのお墓に入る事になる。お父さんも、2年前に納骨されていた。いずれ誰もがいく世界ではあるが。

17)わしの年金が消えていた。年金特別便は届いていた。これは年金が消えている疑いのある人にだけ来るやつで、それをよく見もせず放っておいた。最近、年金問題を扱うテレビを見ていたら、そういえばわしも真面目に会社勤めをしていた時期があったなあと思い出し、特別便を開いて調べたら、やっぱりその時期の厚生年金が消えていた。あちゃー、消えた年金ホルダーはわしかい?2008.05.01 Thursday

18)77ヵ月分の厚生年金が消えていた、というのもひどい話だが、それを受け取らずに逝っちゃうというのも悔しいなぁ。

19)受付のところにいると色んな方から「ブログ読んでるでー」と肥えをかけられる、いや声をかけられる。公演始まる1ヶ月前位から現在まで俄然アクセス数が増え、今は1日平均250を肥え、違うってば、250を超え400を超す日もある。燐光群の制作・古元さんも読んでいるとか。2008.06.05 Thursday

20)このころになると、きっちり読まれることを意識して書いてるね。情宣としてのブログの役目を果たしている、とも言える。

21)地震ですよ。さすが地震国ですな。本命の宮城県沖地震をうっちゃって内陸型地震です。それもけっこう被害甚大。なんか本命はどうなるのか心配だな。子分の大暴れに、おらあこんなもんじゃねえよなんて上田吉次郎のようにウハウハ呼吸を荒くして笑ってるのかもしれない。2008.06.14 Saturday

22)たしかに、ウハウハ笑っていた奴がいた。

23)わたしは山形県生まれだ。48号線を山形に向かい関山トンネルをくぐって5kmほど走ると左手に盆地が見える。かつて下悪戸という地名のなにか謎めいた地縁を感じるような場所である。小学生の頃、夏休みになると10日くらい、必ずこの生家に泊まって遊び呆けた。年上の従兄弟がいたし、同年代の遊び仲間がいっぱいいたから退屈した事が無かった。黄金の夏をこの生家で過ごした。
 ほとんどが仙台近辺で暮らしていて宮城県出身といってもいいのだが、わたしはこの場所で生まれたことにこだわりを持っている。それは少年時代の宝物のような思い出がこの生家に詰まっているからだと思う。劇作する動因がこの山形の片田舎の辺鄙な場所にある。
 今回親の用事で6年ぶりに訪れたが、いつ行ってもそのたたずまいは変わらない。一瞬のうちに少年時代にタイムスリップする希有で大事な場所だ。
2008.06.18 Wednesday

24)「ほとんどが仙台近辺で暮らしていて宮城県出身といってもいい」と本人が自覚(自白?)しているのだから、もうそれでいい。仙台より、お母さんの実家がある山形のほうがイメージが湧いたんだな。彼は従弟たちから「ユー坊」と呼ばれていたらしい。

25)改めて思うのはこの日本の演劇界で唐十郎をしか認めない自分だった。これはファン心理ではない。種種雑多な演劇の流派の中で人間の本質を突いているのは唐十郎のみであると思えるからだ。そのエピゴーネンとしてついていきますというのも癪なのでわしなりの芝居をやっているが、先達は追随を許さない。2008.07.14 Monday

26)やはり石川を唐エピゴーネンというのは失礼になるだろうが、ギリギリの位置に立っているのは間違いない。しかし、石川は追随そのものが難しいと感じている。

29)昨夜は「狂人教育」前宣伝のためのトークライブ「アングラ人生40年を語る」のために来仙した流山寺祥さんを囲んで宴会。於あべひげ。
 氏は60歳、わしより5歳上。氏の話を聞いていたらアングラ芝居への傾斜は全く同じ道筋であることがわかった。5歳遅れの流山寺氏がわし。兄貴たる所以である。しかし、マシンガントーク、休むこと無く1時間40分。終わっての宴会でもマシンガンは炸裂しっぱなし。すごいオヤジである。お体大切に。わしも氏の背中を追いかけながら頑張ります。
2008.08.07 Thursday

30)流山寺祥は自分のブログに石川裕人追悼文を書いている。「仙台の劇漢が逝った。」

31)治療のため3週間くらい入院しないか?と言われギクッ!!最近担当医氏も意地悪いことを忍ばせる。酒をやめるか入院か、ということを言外に匂わせてきたが、勿論入院なんて嫌だし、酒を控えますと答える。2008.08.20 Wednesday

32)ここで入院したほうがよかったかもな。身にしみて応えただろう。って、明日は我が身。他人事ではない。

33)このブログもいつの間にか1000回になっていた。そして今日が1001回。千一夜物語ですな。まず、こんなに続くとは思っていなかったので自分でも驚いている。自分の本性がまだわかっていないということでしょう。大体が劇団のHPも薦められながら一切受け付けなかった時期もある。ましてや個人日記を公開するブログなんて気持ち悪がっていた自分が、始めてみれば1000回も。そして「10万件もアクセス」。これにはブログに対する警戒心というものがあって、心情タラタラクタクタのブログは書かないと決めた。そして読者からのレスポンスも受け付けない方法を設定した。だからこのブログはわしからの一方通行になる。つまり無責任に書けることを前提にして成り立っているからこんなに続いたのだろうと思う。なんか別な書き方は無いものかと探っているのだけれど、まあいいやこれからもよろしく読んでやってください。2008.11.01 Saturday

34)ブログを続けることの意義を彼なりに模索し続けている。1000回で10万アクセス。3年2ヵ月で1000回、ということは、ほぼ当ブログと同じようなペースではあるが・・。

<8>へつづく

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