« 3・11までのカウントダウン 『石川裕人劇作日記 時々好調』 <5> | トップページ | 『愛する地球(テラ)に』 女神は夜明けに舞い降りる 羽倉 玖美子<2> »

2012/11/16

唐も寺山そして劇団も大事 『石川裕人劇作日記 時々好調』 <6>

<5>からつづく 

Isi
「石川裕人劇作日記 時々好調」 <6>
石川裕人 2006/08~2012/09 jugemブログ 石川裕人年表
★★★★★

1)2006/0/.01 にサイトが新しくなったのだが、一ヶ月が3ページに渡っていることに気がつかず、2011/03/11午前中までさかのぼってしまった。残り、3分の2を元に戻って見直してみる。

2)この日記も1年になった。ほぼ毎日600字から800字平均で書いている。文章修行のつもりで、できるだけ簡潔にまとめることに気をつかっている。1年目を期にレイアウトを変えてみた。2006.09.01 Friday

3)当ブログも文章修行のつもりであることはおなじだが、「簡潔にまとめる」ことには失敗していて、いつもダラダラと長くなる傾向にある。

4)高山文彦「麻原彰晃の誕生」読了。麻原の死刑確定を受けて買い置きしていたのを読んだ。前にも書いたが、愚生も非常に興味を持った人物で芝居にもした。それは現在の日本社会の陥穽を撃つ力があの男にはあると思ったからで、誤解を恐れずに書けば革命家だと思っていた。

 ところがどっこい、弟子を庇おうともせず、精神障害者のふりをして現在を迎えた。この本を読むと麻原の詐欺師人生が手に取るようにわかる。一時それに乗せられた愚生も、山崎哲も、中沢新一も、職さえ失った宗教学者(名前は忘れた)も、あの日本思想界の巨人・吉本隆明さえも、あいつの手玉に取られていたことがはっきりした。あいつのことを擁護してしまった。死刑制度は廃止して欲しいので、あいつには生きてもらって、生きるより辛い修行を課せば目が覚めるかもしれない。そして勘だけど、ホリエモンとライブドアはオウムに似ている。似ていた、か。

 もう一冊、高取英「寺山修司」。寺山の側近とも言われた人の回想録。彼にしか書けないゴシップ的なエピソード満載で楽しめた。寺山は来年俎上に乗せたいんだけど、気宇広大でどうなるかなあ。2006.09.19 Tuesday

5)「麻原彰晃の誕生」については、何度か書いた。「誤解を恐れずに書けば革命家だと思っていた。」と書いているが、この人物については、私および当ブログは、最初の最初から完全否定である。ホリエモンについての考察はまあまあ、グレーだった。高取英「寺山修司」は後日読んでみよう。

6)午後一からNHKシナリオ・コンクールの最終審査、そしてフォーラムで「太陽」を見て帰ってきたら、小学校当時の先生の訃報のファクス。

 T先生は愚生が芝居や書き物をして暮らすようになったきっかけを作ってくれた方です。
小学4年の時の担任で、授業で人形劇の台本を書いて上演したらすごく褒めてくれて「ゆうちゃんはシナリオライターになれるね」と言われた。ところがシナリオライターとはどういう事かも知らず、家に帰り母親に聞いたら「ライター(火をつけるやつ)の一種じゃねえか」とバカ丸出しの答え。なんで人間がライターになんなくちゃならねえんだよ。と辞書を引いたら出ていた。元々母親に聞いたのが間違いだったわけだが。

 こういうことをやり始めるようになって、色んなところでT先生との出会いを話したり、文章に書いてきて、「河北新報」に掲載されたときは東京在住の先生のご主人が何十部か購入したらしい。東京公演の時にもアゴラ劇場に足を運んでいただいた。3年前の11月の同級会でお目にかかったのが最後になってしまった。いつもお会いするとにっこり微笑んで「元気?」「あなたはやっぱりこの道に入る人だったのよ」と言ってくださった。

 あの時「シナリオライターってなんですか?」って聞けなかったのは、先生があまりに美人で声もかけられなかったからなんです。ご冥福をお祈りします。2006.10.11 Wednesday恩師の訃報。

7)越前(武田)千恵子先生については、当ブログでも書いた。この時ファクスを送ったのは私。

8)碧空。一昨日書いたT先生の告別式。お墓は名取にありお骨もそのお寺に埋葬された。東京在住ながら名取に良く帰りたがっていたと喪主のご主人の話だった。お身内の方から挨拶をされ、これも一昨日書いた愚生の新聞記事を切り抜き、財布に入れてくださっていたようだ。碧空は先生によく似合います。先生さようなら。そしてありがとうございました。2006.10.13 Friday

9)当ブログでは、石川裕人理解の第一は、この越前(武田)千恵子先生の影響だと考えている。

10) 手書き日記。これはもう20年くらいつけている。手書きはきっちり本音を書いている。この日記はそう言う意味では虚偽日記かもしれないが、後で読むと面白いクロニクルになっている。2007.01.05 Friday

11)2005年の段階では17年間と書いているので、1988年あたり。ちょうどワープロを導入したあたりだから、ワープロで書いているのかと思ったが、「手書き」であるらしい。もし、後年、石川裕人「研究」が進むとしたら、重要な記録となるだろうw

12)どうやら昨年7月にNHK FMからOAされた拙作「ミック、俺も男だ!」がNHKオーディオドラマ奨励賞佳作を受賞したようです。NHK局内全国のドラマ班のディレクターによる選考なのでかなり点は辛いようで、そのなかで奨励賞無し、佳作3本に入ったと言うこと。ま、個人賞というよりドラマ自体への賞なのだが、なんにしてもシナリオを書かせていただき光栄です。2007.01.09 Tuesday

13)「無冠」を誇った石川だが、別に無冠を目指していたわけでもないだろうから、まずはめでたい。

14)冬さんさようなら。ってタイトルの演目を小学校3年生の時に学芸会でやった。愚生の役は冬の王様、今日の仙台始め北日本の天候のようにいつまでも居座る冬の王様が春の女王に王座を譲って退位するというような話だったかな?って、昔のことなので詳しいことは覚えていない。

 それより思い出すのは台詞を全然覚えなかったこと。うちの小学校では3年生から芝居はアフレコだった。なんでそうだったのかはわからないが、それに安心してしまって覚えなくても何とかなると思ったんだね。勿論本番はなんとかこなしたんだろうけど、あれ以来台詞を完璧に入れて舞台に臨むということがなくなった。おまけに自分で書いてるものだから余計覚えなくなった。これでは一生懸命やってる共演者に申し訳たたない。2007.03.12 Monday

15)へぇ~、そうだったのか。因縁の小学校3年の学芸会である。狐や鏡がでてきて、私は村の子ども3に後退した記憶がかすかに残っているのだが、毎回話しているうちに作話になってしまっているかもしれない。

16)「十月劇場」時代の上演ビデオをDVD化しようと実家から持ってきた。’84年第3回公演「嘆きのセイレーン」盛岡公演から’94年の「十月劇場」最終公演「月の音○月蝕探偵現る」までの23作品50本以上。石川裕人事務所での伝説的公演「あでいいんざらいふ」と「隣の人々 静かな駅」など。全てレア物の映像である。カビが発生しているビデオテープもあり、果たしてどんな映像になっているのか怖い。

 上演ビデオはほとんど見ないのだが、貴重な記録がカビごときで潰えてしまうのもしのびなくDVDにダビングしようという気になった。
2007.03.19 Monday

17)これも貴重な資料なので、機会があればいつか拝見したいと思うが、実際に全部見るのは無理だろう。セレクトして何本かはぜひ見てみたい。

18)一昨日持ってきた「十月劇場」時代のVHSビデオからDVDへのダビングを開始。といっても1日1作品のペースでしょう。今日は’84年の東北演劇祭・盛岡「嘆きのセイレーン」ー人魚綺譚ー。ダビングしながらちらちら見たんだけど、イヤー!!面白いなあ。この戯曲はもろ唐十郎の影響下にあった時期の作品で、書いたのは遡ること70年代後半。「十月」の前身劇団の頃に上演できなかったやつ。しぶとく上演の機会を狙っていてやっと陽の目を見たのだった。

 テント向けに書かれたもので、プールを作り水を使っている。仙台はかの白鳥ビル7Fにプールに水を張った。洩れたら下の住居スペースに影響ありの危うい公演だった。「未知座小劇場」の打上花火が見に来て「ビルに水を張るなんて、あんたらバカやない?」って言われたっけなあ。しかし、この芝居は絶賛で全国の演劇人との交流のきっかけを作った。そしてここから愚生の芝居人生は速度を上げることになる。2007.03.21 Wednesday

19)やはり、80年代の石川を支えたのは唐十郎だ、という当ブログの推測は証明されたようなものだ。「この戯曲はもろ唐十郎の影響下にあった時期の作品で、書いたのは遡ること70年代後半。」 劇団洪洋社で実演できなかった作品が、ここで水の三部作として復活したことになるのだろう。

20)ちょっとお休み。諸般の事情により、明日から1週間ほど日記を休みます。ちょっとした蟄居幽閉ですね。収監?1週間じゃ出てこられないでしょう。缶詰?5月になるとあるかもしれない。旅行?行きたい。国内でいいから。大体旅行なら行動自由でしょうが。地獄の研修?今からそんなことやりたくない。2007.04.10 Tuesday

21)ここで肝細胞癌の一回目の手術を受けた。

22)劇団活動は維持がネックである。メンバーが居着かなくなったら終わりでそのためには次から次と新しいことを考え、引き留めなくてはならない苦労がある。おまけに稽古場を構えていればなにかをしなければならない。最近、そのどっちからも自由になろうとしている自分を感じる。後退的ではないが、"OCT/PASS"に無理して新人を入れようとも思わない。今いるメンバー でやれることの最大値を目指そうとしている。2007.06.07 Thursday

23)劇団経営の苦労が忍ばれる。

24)池内紀「二列目の人生 隠れた異才たち」は今まで全然知らなかった人たちのプロフィールでいっぱいだ。何故二列目かといえば卒業写真などの記念写真になぞらえられている。写真の一列目は先生やクラス委員、優等生などが座るが、二列目から後ろは普通の人々。だが、なにか一癖、二癖持ってる奴らが勢揃い。つまり、南方熊楠が有名なら同じようなことをした大上宇市。ラフカディオ・ハーンにはヴェンセスラオ・デ・モラエス。料理人・北大路魯山人には中谷巳次郎。宮澤賢治と宮城県大河原出身の詩人・尾形亀之助などなど、もう一人の誰某16人が異彩を放って登場する。2007.06.17 Sunday 

25)ここに登場する尾形亀之助は要チェック。石川が最初の劇団名に使った「座敷童子」の命名理由はまだ解明されていない。そのヒントがある可能性がある。

26)「唐十郎の劇世界」扇田昭彦。「寺山修司と生きて」田中未知。奇しくも両巨頭の事を書いた本2冊届く。唐さんと扇田さんの友情に裏打ちされた本であると劇評家の西堂行人さんが評していたが、寺山さんにとっての田中さん、長年の伴走者としての二人の思いがいっぱい詰まった本のようだ。2007.07.03 Tuesday

27)当ブログとしては、もうこの両巨頭についての本までは追いかけきれないと思う。

28)「流星」は十月劇場旗揚げの馬鹿馬鹿しいスラップスティック・コメディである。’82年2月初演3月までの毎週日曜日に知り合いの居酒屋で上演した。それまで約3年芝居から遠のいていて、もう芝居をやることもないんだろうと思っていたが、ひょんなことから再起した作品で、再起しても深追いはやめようと思っていたのだが、ああ、深追いして現在に至る。2007.09.16 Sunday

29)この「流星」は、まだ十分追っかけきれていないが、分水嶺にたつ一本の記念樹であることは間違いない。

30)愚生は全然霊感が無い。母親は霊媒体質でお葬式とか墓参りとかも数珠とか持ってバリアを張らないと霊に取り憑かれて寝込んだりする人なのだが、これ遺伝しなくて良かったとつくづく思う。でもそういう能力を開発するとお金の取れる霊能者ということになるんだろう。2007.10.02 Tuesday

31)微妙な発言。たしかにお母さんも似たような話をしていた。

32)田中未知「寺山修司と生きて」読了。寺山に秘書として、マネージャーとして、看護人として、そして天井桟敷では制作として照明家として16年間付き添った田中さん執念の寺山弁護論。巷に寺山本は溢れている。そのどれもが寺山の真実を書いておらず、誤解と偏見に充ち満ちているというのが書き出したきっかけという。
 田中さん自身のことを書くことによって寺山修司が焙り出されてくるという仕掛け。そして弁護人は時に検察官にもなる。寺山の母・はつと寺山最後の主治医には舌鋒鋭く迫る。特にはつの章は気持ち悪くなるくらいの迫力ではつ本人に迫る。奇形の母親である。
 しかし寺山という人は優柔不断、優しい人であったのだなあ。だから17歳くらいだった愚生にも気軽に話しかけてくれたわけだね。逆算するとその当時寺山さんは35歳くらいか。今時あんな器の大きな35歳はいないだろうな。
 寺山好きな人は必読の書。
2007.10.21 Sunday

33)お互いあれから40年以上も生きたね。ニュートンにとっては唐十郎も寺山修司も恩師だな。

<7>につづく

|

« 3・11までのカウントダウン 『石川裕人劇作日記 時々好調』 <5> | トップページ | 『愛する地球(テラ)に』 女神は夜明けに舞い降りる 羽倉 玖美子<2> »

29)Meditation in the Marketplace3」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 3・11までのカウントダウン 『石川裕人劇作日記 時々好調』 <5> | トップページ | 『愛する地球(テラ)に』 女神は夜明けに舞い降りる 羽倉 玖美子<2> »