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2012/11/18

3・11歴史の転回点 『石川裕人劇作日記 時々好調』 <9>

<8>からつづく 

Isi
「石川裕人劇作日記 時々好調」 <9>
石川裕人 2006/08~2012/09 jugemブログ 石川裕人年表
★★★★★

1)3・11。

2)

311_2
 多分、これから3/11以前以降という風に言われるようになるだろう。歴史は転回点なのだと思う。色んな意味で成長が望めなくなった時代を襲ったこの大災厄はわたしたちに価値観の転換を迫っている。

 それを望まなくてもわたしたちはこの未曾有の大災厄の生き証人になってしまった。そしてわたしは芝居者のはしくれである。芝居は昔からこのような事象を後世に伝えてきた。人間の本質を伝えるのに芝居は最高最大のメディアだ。なにごとかをしなければならない。それはなにか?2011.03.18 Friday

3)ここからはかなり生々しい。フラッシュバックも起こるので、要所要所だけをスキャンしていくことにする。

4) 「それはいい。けれども僕がやろう。僕は今年もう六十三なのだ。ここで死ぬなら全く本望というものだ。」(中略)

 それから三日の後、火山局の船が、カルボナード島へ急いで行きました。そこへいくつものやぐらは建ち、電線は連結されました。 すっかり支度ができると、ブドリはみんなを船で帰してしまって、じぶんは一人島に残りました。

 そしてその次の日、イーハトーブの人たちは、青ぞらが緑いろに濁り、日や月が銅いろになったのを見ました。けれどもそれから三四日たちますと、気候はぐんぐん暖くなってきて、その秋はほぼ普通の作柄になりました。そしてちょうど、このお話のはじまりのようになる筈の、たくさんのブドリのお父さんやお母さんは、たくさんのブドリやネリといっしょに、その冬を暖いたべものと、明るい薪で楽しく暮すことができたのでした。 宮澤賢治「グスコーブドリの伝記」より 2011.03.22 Tuesday

5) 宮澤賢治が昭和三陸地震を経験したのは1933年、亡くなる年だった。宛先不明の書簡が残っている。「お葉書再度までありがとう存じます。地震は野原の方には被害なく海岸は津波のため実に悲惨なことになっている。」賢治全集を開いて調べたが、この地震津波の影響下にあると思われる作品は無い。「朝に就いての童話的構図」がこの年に書かれているが、全く関係ない。賢治は何回も何回も改稿を繰り返す人だったので「朝に」もこの年の初稿かどうかはわからない。書簡の半年後、賢治は亡くなった。 2011.04.10 Sunday

6) 戯曲集「三部作 時の葦舟」のWeb販売が始まりました。このブログの右のバナーからでも”OCT/PASS"HPからもお買い求め出来ます。こんな時になんですが、是非どうぞ。初めて読んだ方々からは面白かったという感想が寄せられています。2011.04.19 Tuesday

7) 次回公演の議題へと。次回は”Play Kenjiシリーズ・リバイバル。記念すべき第1作の「見える幽霊」(1996年)を改訂して上演。そして全公演無料、お後の投げ銭興行!!仙台(錦町公園?)、えずこホール平戸間、古川(会場未定)、秋保(ほうねん座さん企画イベント参加)、瀧澤寺の5カ所、ほとんど野外公演。7月初旬~8月初旬の予定です。なお、シンプルユニットなのでご希望とあればあなたの町にも参上します。2011.04.20 Wednesday

8)PlayKenji♯6「人や銀河や修羅や海胆は」「見える幽霊」の改訂版だったのか。

9)”OCT/PASS"の次回公演のタイトルを決める。「人や銀河や修羅や海胆は」”Play Kenji"♯6。勿論賢治の「春と修羅」の「わたくしといふ現象は」で始まる序の中に出てくる一節。大テーマは「祈り」です。賢治が終生己が心から離れなかった修羅とは「祈り」だと思う。祈ることしか出来なかったでくのぼうが宮澤賢治なのです。2011.04.26 Tuesday

10)開演前には南東の空に虹が出た。

Saiun_22011.05.03 Tuesday

11)これは虹じゃない。彩雲だ。私の中では、これは地震雲だと感じている。

12)タイトルは「人や銀河や修羅や海胆は」である。この海胆だが、昨日の会議でこれをほやとかなまことか勘違いしている劇団員がいた。うーむ、読めないか?正解は「うに」である。雲丹という書き方もあり、寿司屋なんかでは雲丹がポピュラーかもしれぬが、れっきとして「うに」なのです。

 しかし、賢治さんのすごいところは人間と銀河と海胆を同列にしてしまうところである。銀河の中に人間と海胆という生物を生かし、それを己が修羅でくくるという入れ子というか、力業というか、詩人の魂ここにあり!!なのだ。

 人や銀河や修羅や海胆は宇宙塵を食べ または空気や塩水を呼吸しながら それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが それらも畢竟こころのひとつの風物です  

 種明かしをすれば、上のような詩句にまとめられてしまう。生真面目な悲観と雄大な楽天が賢治の心に同居している。2011.05.11 Wednesday

13)TVでローカルの情報番組を見ていたら太白区長町に蛸薬師という神社があるらしく、おまけに同じ敷地には舞台八幡神社もある。舞台八幡さまのあることは知っていて、いつかはお参りにと思っていたのだが、同じ敷地に蛸薬師があることは知らなかった。まるでわしら劇団の守り本尊ではないか?蛸=”OCT/PASS"(本来はOctopusだけど)の舞台だよ。

 「人や銀河や…」の奉納芝居をやらしてもらおうかな?近々お参りに行ってみることにする。2011.05.19 Thursday

14)この蛸薬師はなかなか曲者だよ。

15)1611年の慶長津波でも仙台平野は一帯が冠水。津波は現在の太白区長町4丁目周辺まで押し寄せ、薬師如来をまつる「蛸薬師」の由来にもなった。飯沼 勇義 「 3・11その日を忘れない」(2011/6 鳥影社)20p 「仙台平野に巨大津波」

16)昨日書いた蛸薬師、舞台八幡神社に通院の帰り道、早速行ったよ。いやはや本当にありました。小さな神楽舞台もある。今回の”Play Kenji"も十分にやれる敷地の広さ。社務所のおばちゃんとちょっと話し込み、上演の可能性の手応えも感じた。お守りも買ってくる。

 蛸薬師のいわれは、昔々の大津波がこの内陸部まで押し寄せ、蛸がご本尊にくっついていたということだそうです。2011.05.20 Friday

17)旧友・悪友、伊東竜俊が自ら主宰する総合文芸誌「カタルシス」を10数年ぶりに刊行するというので原稿を書いている。まずはその再刊にエールを送りたい。再刊の理由はこの大震災にあるという。大震災後をどう生きるべきか、文芸家としての気概が見える。ああ見えて意外と気骨があるのだ。2011.06.02 Thursday

18)この「カタルシス」誌、オーダーしてから3週間経過するのにまだこない。

19)「人や銀河や修羅や海胆は」はストーリー芝居ではなく、短篇の積み重ねだからなんとか稽古はしのげる。そして、この芝居の核心部分の稽古に入った。賢治が親しんだ死の世界のパノラマである。賢治が生み、そして死なせた登場人物たちと賢治が出会うシーン。「なめとこ山の熊」の淵沢小十郎と熊、「よだかの星」のよだか、「ひかりの素足」の楢夫、「グスコーブドリの伝記」のブドリが自分の死を語り、諦念する。諦念だが賢治への感謝も忘れない。そんなシーンである。2011.06.03 Friday

20) 三億円あったら?わしは迷わず劇場を創る。三億円で出来るかどうかわからないが、その金額内で出来る劇場を創り、1年中芝居をやっていたい。2011.09.19 Monday

21)「ねむれ巴里」('82年)は佐川一政パリ人肉嗜食を題材にしたが、唐さんは「佐川君からの手紙」という小説を書いた。後に「ご注意あそばせ」という戯曲になっている。これも小説になることを知らずに戯曲を書いた。その他にも唐さんと色々似通ったことを書くのは、多分わしの思考が修業時代の唐さん中毒によって、以前として唐シフトになっていることが考えられる。光栄なんですが。綺想の世界に遊ぶと唐シフトになると思われる2011.10.05 Wednesday

22))十月劇場第二作ねむれ巴里」('82年)と唐十郎の小説「佐川君からの手紙」('82年)になにほどかの関連あるか、といぶかっていた当ブログであるが、これはほぼ同時にそれぞれ二作家によって書かれたのであり、シンクロニシティというべきであろう。

23) 夜は黒テント「窓ぎわのセロ弾きのゴーシュ」を観る。作は亡くなった山元清多さん。(あれ?山元さんと山元町、昨日は山元Dayだったのか)作家の眼の付け所がよーくわかる一篇。「人や銀河や修羅や海胆は」との相似点、異相が見える。

 そして相変わらずの斎藤晴彦さん。軽妙洒脱とはこの方のためにあるような熟語です。アングラ小劇場芝居を観て歩いた渥美清が共演を望んだという唯一の役者が晴彦さんです。終演後に挨拶もなんなので(わし自身がそれをされるのが嫌いなので)即引き上げてきたが、ご健康と成功をお祈りします。2011.10.27 Thursday

24)この芝居の時点でようやく、彼と私の時間軸と空間軸が再クロスする。だがこの黒テント公演については、私はヒネた口調で酷評している。

25)山元町公民館大ホールで「人や銀河や修羅や海胆は」沿岸被災地出前ツアー最終公演。地震で天井が落ちてダクトなどがむき出しになっている。ポストモダン的風景?みなみなどいっぱいバトンがあって照明が吊りやすいと思っていた。

 山元町文化協会さんの肝いりでお客さんは120名超。老若男女あらゆる世代の方に観ていただきました。山元町在住の昔からの友人Sさんや中学時代からの悪友Aも来てくれた。

 悪友Aとは高校生の時一緒に黒テントやシアター夜行館を観に行った。もう40年前か。思えば遠くまで来たなあ。Aは早速自分のブログ「地球人スピリットジャーナル」に芝居の感想を書いてくれた。読書家のAは最近賢治を読み出したとか。彼なりの賢治像を作り上げるだろう。

 上演もほんとうにラスト、結構強い地震に見舞われた。『春と修羅』の群読中である。有機交流電灯のひとつの青い照明がゆらゆらゆらゆら明滅した瞬間だった。これぞ芝居!!2011.10.30 Sunday

26)私はこのタイミングでこの芝居を見なかったら、一生涯、劇作家石川裕人を見逃し、誤解したままだっただろう。彼と一緒に高校生の時にみた「黒テント」をはるかに凌駕していた。感動のレベルでは、一生涯の間にみた私の観劇歴の中で、堂々のベスト1である。

27)これぞ芝居!! と、私も膝を打った。今思い出しても、涙が流れる。

<10>につづく

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