「社会派」演劇を超えて 石川裕人『夜を、散る』 現代浮世草紙集 第六話
「夜を、散る」 現代浮世草紙集 第六話
石川裕人作・演出 1999/11 OCT/PASSスタジオ 上演台本 p78 石川裕人年表
Vol.3 No.0862★★★☆☆
1)テーマは臓器移植。時代は1999年11月に公演された演劇ではあるが時代は6年後の2005年11月、場所は、東北医科大学病院特別室(上演台本p1)と設定されている。病院名はもちろん架空のものである。現代浮世草紙集シリーズはこの第六話をして終了する。
2)もちろん、作者が存命であれば、いずれは復活するチャンスはあっただろうが、今となっては、この6作目で完結した、と判断することにする。
3)この時代、すでに、高齢者向けのエイジング・アタック・シリーズの指導や、子供向けのAZ9(アズナイン)ジュニアアクターズへの脚本提供がスタートしており、その「社会派」傾向は、それらの新しい要素の中に溶け込んでいった、と推測することも可能だ。
4)この時代になると、台本があって、役者を探し、劇場を探す、という作業は、実は逆転していただろう。まずはOCT/PASSスタジオがあり、多少の出入りがありながら、劇団と役者たちがいる。
5)その場所と、関係者のキャラクターを念頭に置きながら、脚本を書き進めるという「あて書き」が当然化していただろう。だから、本来は、芝居そのものを見ないと、作・演出者の、本当の意図は理解できないことになる。
6)ただ、テーマを臓器移植などの「社会」問題においているかぎり、私「演劇」ではなく、一般化しやすいテーマであり、他の役者、他の劇団によって再演されても大丈夫なようなつくりになっているのではないだろうか。
7)松枝 君は牧師になりたくなかったのか?
梅本 オルガン習ってた頃は、このまま親父の跡を継ぐのかなあって思ってましたけど、
竹林 和田アキ子好きの兄貴はどうしたんだ?
梅本 お寺の住職になりました。
松枝 なに?
竹林 親父がキリスト教で長男は仏教か、
梅本 それもチベット仏教です。いわゆるラマ教って言うやつ。
松枝 なんだか複雑な家庭だな。
梅本 家のの中はほとんど宗教戦争状態でしたね。
竹林 まだ、イスラム原理主義じゃなくてよかったな。
梅本 おふくろが、
竹林 まさか、
梅本 民間神道で、
松枝 なんだ、民間神道って、
梅本 狐付きとか、玄関の方位が悪いとか、水子がついてるとか、
松枝 お祓いして直すやつか、
梅本 教祖なんです。
竹林 お前の家は悩み深い家だな。
松枝 よくお前だけノーマルに生きてこられたな。
梅本 どうですかね、ノーマルってどういうことなのかわからないですから、
竹林 ノーマルってのは平々凡々たる市民生活を送る俺たちみたいな方々を言うんだよ。
梅本 この仕事・・・・、ノーマルなんですか? 経験もない僕が言うのもなんですが、人間の臓器を運ぶ仕事ってかなり特殊でアブノーマルなんじゃないでしょうか? かなり精神的にしっかりしていないと持たないような気がするんです。(後略) 上演台本p35
8)思えば、臓器移植問題も、さまざまなテーマとリンクしているものだと思う。最近知ったことだが、石川裕人が自らの「出身地」としている山形県東根市のお母さんの生家は、三代前からキリスト教を信奉していたらしい。その地方でもめずらしいという。
9)その他、葬儀後のお母さんとの雑談の中でいろいろ知ったこともあるが、いずれにせよ、石川裕人が、小さい時から、どこか「転校生」的で、まるで「風の又三郎」的雰囲気につつまれていたのは、このような根深い精神風土が背景にあったからかもしれない。
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