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2012/11/19

ほんとうのさいわいとさとり 千葉一幹『銀河鉄道の夜』しあわせさがし


『銀河鉄道の夜』 しあわせさがし
千葉一幹 2005/07   みすず書房     全集・双書     142p
Vol.3 No.0879★★★★★

1)次の公演はPlay KENJIである。宮澤賢治の作品を換骨奪胎するシリーズでファンが多い。賢治の研究書は数多あり、それを読むも読まないも愚生の賢治論であり、演劇論でもある。

 千葉一幹「銀河鉄道の夜しあわせさがし」。次が「銀鉄」ものなので読んでいるが、どこかで読んだような論で新しさは感じない。全く新しい地平から賢治を捉えることは可能だろうか? 愚生は研究者じゃないから手柄を立てるつもりはないし、その任でもない。だから無責任にやれる。「石川裕人劇作日記」「2006年 6月21日 (水).......沸々と不埒に。」

2)ということで、石川裕人と自分との間の距離をより縮めるために、この本を読んでみる。当ブログで読んだ本も、すでに賢治の作品や賢治論を含め100冊になんなんとしている。もちろん十分ではないが、すでに自分なりのイメージをもつことは出来始めている。

3)読書家のAは最近賢治を読み出したとか。彼なりの賢治像を作り上げるだろう。 「石川裕人劇作日記」2011.10.30 Sunday 

4)と彼は言い残してくれた。私なりの「賢治像」は、ひとまずできた。しかし、それはまだ最終的な決定版にはなっていないようだ。ひとまず仮に想定した賢治像は、次から次へと建て替えられ、塗り替えられ、変貌を遂げ続けている。あるいは、この固定的ではなく、可変性をどこまでも維持しようとしている賢治こそが、多くの人を引きつけてやまない魅力なのかもしれない。

5)さて、この本は「銀河鉄道の夜」をテキストとして賢治の「しあわせさがし」を論じる。

6)賢治の作品の多くは、生前未発表のものでした。「銀河鉄道の夜」もそうです。そうした未発表の多くが、きちんと清書されたものではありませんでした。なかには、ある作品を書いた紙の裏に別の作品が書かれてあったりして、校訂は、どの用紙がどこの用紙の次に来るのかといったことから始めねばなりませんでした。そうした大変根気のいる作業の結果、賢治の「銀河鉄道の夜」には、四つのヴァージョン(一次稿から四次稿まで)があることがわかったのです。p45「神なき世界へ」

7)石川裕人が、てらいや謙遜をこめて「賢治の作品を換骨奪胎する」と称してPLAY KENJIシリーズを重ねていたのは、むべなるかなという気がする。

8)賢治のイーハトーブ---羅須地人協会---デクノボー。それに対する、OSHOのブッダフィールド---ラジニーシプーラム---ゾルバ・ザ・ブッダ。いずれも幻想的だ。とてもこの世のものとは思えない、とてつもない企てである。

 しかるに、両者ともに、多くの共感者を得て、例えば、花巻の宮沢賢治記念館として残り、かたや、プーナのOSHOコミューンとして、その命脈を保っているのは面白い。 当ブログ「OSHO:アメリカへの道<9>」 2012/05/02

9)最近の私は、この比喩の対して、石川裕人の演劇---"OCT/PASS"---ニュートン、というトリニティをつなげてみるのも面白いかな、と思い始めている。ここでのニュートンとは石川のニックネームではあるが、もっと一般名詞化できるのではないか、と思い始めている。

10)いずれにせよ、当ブログは賢治の中に「地球人スピリット」を見るのであり、賢治の「農民芸術概論綱要」「地球人スピリット宣言草稿」とさえ読み替えてしまうのである。

11)彼らの発言は、もっともなように思われます。が、カムパネルラもかほるたちも、死んだのですから、自己の生を投げ出すことはほんとうに幸せといえるのか、疑問が残ります。

 あるいは、これは、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という「農民芸術概論」の思想を具体化するものだとも考えられます。しかし、全体の幸福のために、個人の生命を犠牲を要求するような思想に賢治が肯定的な姿勢をとっていたとするならば、これはかなり問題のあることです。p109「自己犠牲」

12)この問題については、十牛図の十番を当ブログの解決としている。

13)私の門の中では、千人の賢者たちも私を知らない。私の庭の美しさは目に見えないのだ。どうして祖師たちの足跡など探し求めることがあるだろう? 酒瓶をさげて市場にでかけ、杖を持って家に戻る。私が酒屋やマーケットを訪れると、目をとめる誰もが悟ってしまう。 Osho「究極の旅」p449 

14)「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という賢治の焦燥に対し、十牛図の十番は「個人が幸福にならないうちは世界ぜんたいの幸福はあり得ない」という反語で返す。

15)「私が酒屋やマーケットを訪れると、目をとめる誰もが悟ってしまう。」というのは、目からなにかのパワーを発射して、人々を悟らせてしまう、という意味ではない。そもそもが、この世にあるもので悟っていないものなどあるだろうか、という意味なのである。この世にある、目に見えるものすべてが悟っている、世界全体は既に悟っていた、という心境を、十牛図の十番は語る。

16)それでは、賢治のいう「世界ぜんたいの幸福」と「目をとめる誰もが悟」ることとはどのような違いがあるだろう。当ブログは等質のものと見ている。しかし、「修羅として」の賢治は、十牛図の十番まではまだ旅していないので、問いかけ、働きかけ、が続けられているのだ。

17)ジョバンニは、そう力強く決意を語った直後で「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう」と呟いてしまいます。カムパネルラは、ジョバンニのその疑問に対し、力なく「わからない」としか答えられません。

 なぜなら、カムパネルラはザネリのためにすでに命を投げ出してしまっていたからです。その勇気ある死は、賞賛に値するものです。しかしまた、カムパネルラの母らにとっては辛い経験でした。したがって、その死は「みんなの幸」につながるものではなかったのです。p119「自己犠牲」

18)劇作家石川裕人が最後の力をふりしぼって「方丈の海」を書き上げ、自分の命と交換に上演活動を貫徹したとしたら、それは自己犠牲と言えるだろうか。もし、限定的に、この「銀河鉄道の夜」のカムパネルラとジョバンニに、彼と私を当てはめて考えるなら、彼はやっぱり自己犠牲を払ったカムパネルラに見えてくる。そして、私には「残された母らにとって」の辛い経験がまざまざと見えてしまう。残された劇団員たちの悲嘆をみるにつけてもそう思う。

19)結果論だが、だから私は「方丈の海」を石川裕人最高の作品とは見ない。むしろ偏りを残した「つづく」だった、と思える。

20)自己犠牲そのものが、ある問題を抱え込んだ行為であることになります。したがって、ザネリのために身を挺したカムパネルラの行為も、単純に肯定できない面があることになります。

 このようなところにも、賢治が、カムパネルラではなく、ジョバンニをもっとも遠くまで行くものとしたことの根拠を見いだせるわけです。p125「自己犠牲」

21)石川は上で引用したように、劇作家として賢治を読む。そして必ずしもこの本に同意しない。

22)どこかで読んだような論で新しさは感じない。全く新しい地平から賢治を捉えることは可能だろうか? 愚生は研究者じゃないから手柄を立てるつもりはないし、その任でもない。だから無責任にやれる。。「石川裕人劇作日記」「2006年 6月21日 (水).......沸々と不埒に。」 

23)当ブログもまた賢治研究者でもないし、演劇作家でもないので、必ずしもこの本に「新しさ」を求めるものではない。むしろ、ひとりの「地球人」としてこの本に接するとき、この賢治理解を通して、多くのことに気づくことになる。すくなくとも、石川のこの本に対する読後感より、当ブログのほうがこの本の評価は高い。

24)彼のブログ「劇作日記時々好調」を読むと、最後の最晩年に至っても、彼に会いたがってくる人たちとの会食を立ちきれないでいる場面が多く見えている。これは、賢治が亡くなる直前まで、病身を押して、農民の肥料相談に正座して応じていた姿とダブってくる。

25)誰かを愛することは、別の誰かを愛さないことになる。では、愛を否定すればよいのでしょうか。そうではありません。しかし、すべてのものへ愛を注ぐという博愛というのも、おかしい。愛とは、そもそも個別的なものに向けられたものだからです。その人が、かけがえのない、と思われるからこそ、愛するに値するのです。とすれば、そもそも博愛というのは、画餅になってしまう。p128「自己犠牲」

26)この辺の疑問と重なるのが、最近読み始めた羽倉玖美子「愛する地球(テラ)に」に対する当ブログの逡巡である。

27)ここで、個別的な愛をすべての人間に注ぐということが求められます。もっと言えば、賢治の最愛の妹トシのように愛するということです。賢治が見出した答えは、そいうところにあったと考えられます。p128「同上」

28)ここでは単行本としてうまく「逃げた」が、賢治自体は、ほんとうにそううまく「逃げる」ことはできただろうか。

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