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2012/11/08

宮沢賢治コンシャスへの道 石川裕人『ザウエル』~犬の銀河 星下の一群~PLAY KENJI♯5

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「ザウエル」~犬の銀河 星下の一群~PLAY KENJI♯5
石川裕人作・演出 2006/12 TheatreONE LIFE他 再演2007/02 上演台本p50 石川裕人年表
Vol.3 No.0864

1)ところでザウエルってなんだっけ?

)「ザウエルという犬がいるよ。しっぽがまるで箒のようだ。ぼくが行くと鼻を鳴らしてついてくるよ。ずうっと町の角までついてくるよ。もっとついてくることもあるよ。今夜はみんなで烏瓜のあかりを川へながしに行くんだって。きっと犬もついて行くよ」宮沢賢治「銀河鉄道の夜・他」(講談社文庫p268

3)銀河鉄道の夜となると、ジョバンニとカンパネルラとザネリくらいしか覚えていないが、実は、ザウエルという犬もちゃんと登場していたのだった。この演劇の登場「人物」は8匹の犬。石川裕人のPLAY KENJIシリーズは、宮沢賢治作品の換骨奪胎を狙っている。

4)たくさんの賢治作品と、賢治自身の人生が渾然となって押し寄せてくる。その原材料を使って、石川裕人は、さまざまな料理をこしらえる。これがなかなか面白い。

5)石川裕人にとっての、当ブログでいうところの「3C」はなんだろう。まず、小学校四年生の時に担任になった越前千恵子先生によって、シナリオ・ライターというコンテナがあることを教えられ、高校生の時に出会った唐十郎の紅テントから「特権的肉体論」というコンテンツを学び、宮沢賢治というコンシャスネスを目指した、とみることは楽しい。

6)なにはともあれ、当ブログでの現在進行形は、そのようになっている。

7)PLAY KENJIシリーズは全6作あり、♯3の「センダードの森」(仙台文学館版)はいまのところ台本がまだ見つからない。それを見ないことには最終的なことはいえないが、6作が6作とも、全部つながっているとみることは可能だ。

8)彼は、次なるPLAY KENJI♯7は「科学者としての宮沢賢治」を描いてみたい、と抱負を語っていたが、その希望は満たされないまま終わった。

9)賢治と石川裕人は、どこの時点でであっていたのであろう。作品としては、1988年、彼にとっては26本目の「又三郎」あたりとなるのではないだろうか。この作品は、2000年になって、67本目の「又三郎 20世紀最終版」として再演されている。

10)犬6 ジョバンニ君
犬1 (振り向き)カンパネルラのお父さん、
犬6 カンパネルラが水に落ちました。
犬1 え!? ザウエル、
犬8 (頷く)
犬6 もう落ちてから一時間、駄目でしょう。
犬1 そんな、おれ探しにいきます。
犬6 ジョバンニ君、
犬1 はい?
犬6 あんな子だったけど友達でいてくれてありがとう。 
上演台本p46"

11)もし自分をジョバンニに例えるとするならば、ニュートンは(石川裕人)は、川におちたザネリを助けようとして水にはいり、自ら流されて命を落としたカンパネルラにみえてくる。そして、賢治にとってのカンパネルラが妹トシだったとしたら、あの慟哭は、私の、ニュートンに対する心情と同一化していってしまうことになる。

12)彼は5月ころに、自分で自分の葬儀を主宰する夢を見ている。そういう意味では、今回のニュートンの死は、私自身にとっては、私自身の死でさえあるような気さえする。

13)犬1 カンパネルラ、ほんとうのさいわいって一体なんだろう?
犬2 おれ、わからない。
犬1 おれたちしっかりやろうねえ。
犬2 あ、あそこ石炭袋だよ。空の孔だ。
犬1 おれ、もうあんな大きな闇の中だってこわくない。きっとみんなのほんとうのさいわいを探しに行く。
犬2 ああ、きっと行くよ。あそこの野原はなんてきれいなんだろう。みんな集まってるねえ。あそこがほんとうの天上なんだ。
犬1 カンパネルラ、おれたち一緒に行こう。
犬たち ザウエル、ついてきて!! いっしょに汽車に乗ろう!! 
上演台本p50

14)賢治における、ほんとうのさいわい、ってやつを、石川裕人にとってのコンシャスネス、ってことにしておく。

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