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2012/11/11

「演劇」性への再スタートとなったか 唐十郎 『佐川君からの手紙』 舞踏会の手帖

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「佐川君からの手紙」 舞踏会の手帖 
唐十郎 1983/01 河出書房新社 単行本 176p
Vol.3 No.0869★★★☆☆

1)石川裕人が1978年に劇団洪洋社を解散後、芝居とは一切関わりのない「2~3年」をすごしたあとに、ふたたび十月劇場として再スタートしたのは、唐十郎の存在が大きかったと思われる。そして、十月劇場時代の第二作目(1982年)の佐川一政パリ人肉嗜食事件を題材にした「ねむれ巴里」と、この唐十郎「佐川君からの手紙」の関連を探ってみることは、その関係の深さを浮き彫りにしてくれるのではないか。そう思って探り出してみると、これが割と図星であるようだ。

2)パリ人肉事件(パリじんにくじけん)は、1981年(昭和56年)、フランスで起こった猟奇殺人事件である。犯人である日本人留学生、佐川一政が知人女性を射殺し、死姦後にその肉を食べたというもの。Wikipediaより

3)佐川は女性の遺体を遺棄しようとしているところを目撃されて逮捕され、犯行を自供したが、取調べにおける「昔、腹膜炎をやった」という発言を通訳が「脳膜炎」と誤訳したことから、精神鑑定の結果、心身喪失状態での犯行と判断され、不起訴処分となった。その後、アンリ・コラン精神病院に措置入院されたが、この最中にこの人肉事件の映画化の話が持ち上がる。佐川は劇作家の唐十郎に依頼するも、唐は佐川が望んでいなかった小説版「佐川君からの手紙」(『文藝』1982年11月号)で第88回芥川賞を受賞する。Wikipediaより

4)年代的にはほぼぴったりだ。石川「ねむれ巴里」の台本をまだ読んでいないのでなんともいえないが、当時、社会的に大きな話題となり、唐がこの事件に大きな関心を示していたことを、マスメディアを通じて、石川は知っていただろう。

5)あるいは、すくなくとも、同時代的に、ひとつの事件に同じような関心を寄せた、ふたりの劇作家がいた、ということは間違いない。

6)こちらの唐の「小説」を読む限り、小説というよりむしろノンフィクション・ライティングに近く、唐なりに膨らませて、装飾過剰ぎみに書いてはいるが、フィクションより事実のほうが先行していたということができる。

7)思えば、1973年に唐十郎が責任編集した雑誌「ドラキュラ」や、1976年に出版された季刊誌「月下の一群」(海潮社 唐十郎)などの影響下で、1976年「ラジカルシアター座敷童子」旗揚げとして「月は満月 バンパイア異聞」が書かれたということもできよう。

8)さて、翻って考えるに、この年代は日本の「精神世界の本」が開花してくる時代である。Osho「存在の詩」がミニコミの形から、単行本としてめるくまーる社から1977年に出版されたあと、クリシュナムルティ「自我の終焉 絶対自由への道 」が1980/08に出て、G・I・グルジェフの注目すべき人々との出会い」が1981/12に出るなど、続々とでてくるスピリチュアル系は一大ブームとなり、ムーブメントといえる状況にさえ拡大していく。 

9)めるくまーる社、工作舎、平河出版といった新興の小出版社が一連の「精神世界の本」を繰り出す中、これら「演劇」界の人々は、どのような思いで、この流れを見つめていたことだろう。

10)かくいう私は、これらの奔流に流されつつも、たったひとつOshoへと回帰していくわけで、必ずしも多くの本を読んでいたわけではないが、「演劇」関連の本はほとんど読んでいない。雑誌や情報誌などの断片的な記事にさえ、心は動かなくなっていく。

11)そんな中にあって、石川裕人は、精神世界のマスター探しのような感覚で、唐十郎が繰り出すフェロモンを嗅ぎだしつづけていたのではないか。平岡正明のような人でさえ、わが師・大山倍達、などといっていた時代である。だれもが、「師」をもつことがモダニズム的にもてはやされていた時代ではあった。

12)このような時代背景の中に、のちの麻原彰晃もいたのだし、この80年代的「精神的バブル時代」が、やがては90年代前半の精神世界の猟奇性をも生み出していた、ということも看過できないことではある。

13)いずれにせよ、1970年代てき「革命」性、あるいは「文化」性は、1980年を境に、「瞑想」性と、「演劇」性に、大きく分化していった、ということもできる。

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コメント

祐一さま
「愛情劇場」の台本はかなり無理があるようです。80年代のものですら探すのが大変です。ましてや76年の作品となると、かなり不可能に近いレベルになります。
しかし、最後まで努力してみたいとおもいます。

投稿: Bhavesh | 2012/11/24 08:50

祐一さま
ワープロが使われたのが1988年当時からで、それ以前のものは手書き原稿で、ガリ版台本だった。
1976年の「愛情劇場」の台本はあるかないかのギリギリのところと思われる。
ポスターやチラシは、ほぼ奇跡的にでてきたもの。http://terran108.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-6028.html
とはいいつつ、「愛情劇場」の台本探してみましょう。

投稿: Bhavesh | 2012/11/12 02:51

こんばんは。俺は「月は満月」をやってから洪洋社を抜けて,その後あまり見ていないけれど印象に残っているのは「愛情劇場」。ラストの気味悪さが,三島の「仲間」に通ずるものが感じられた。「愛情劇場」の台本持っていたら,借りて読んでみたいんだけどな。

投稿: 丹野祐一 | 2012/11/12 00:58

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