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2012/11/25

青木やよひ 『フェミニズムとエコロジー 』


Ao
「フェミニズムとエコロジー」
青木やよひ 1986/10 新評論社 単行本p249 1994年に増補新版がでた
Vol.3 No.0892
★★★★★ 

1)羽倉玖美子「愛する地球(テラ)に」(2012/11 本の森)の中に、「思想(おもい)の両翼」として、片や山尾三省が語られ、片や青木やよひが語られている。三省は出版され流通している殆どに目を通し終わったが、青木については、特に意識して読んだことはなかった。名前を知らないわけではないし、その論調を知らないわけではないが、敢えて読まなかったのは、私が「男性」であったからかもしれない。

2)ウィメンズ・リブについて最初に知ったのは、1970年ごろ、5学年上の姉の親友からであった。すでに理科系の短大を卒業して研究室の助手を始めていた姉と違って、一浪して教育大に入った姉の親友は、教師を親にもつ3人姉妹の長女という立場にあり、わりとその問題には関心を持ったようだった。

3)当時でもまだ先進的な話題であり、アメリカから取り寄せた文献を散分的に見せられて、新たなる潮流を知ることになった。もっともこちらは高校生のハナタレ小僧だから、深くその問題に首を突っ込んだ記憶はない。

4)72年から始まった、私たちの雀の森という実験的な共同生活は最初4人の男子で始まったわけだが、いつまでも男性だけで暮らし続けたわけではない。自然と女子も寄ってきた。したがって、男女混合のコミューンの形態を準備し始めるわけだが、そのような実験に参加してくる女性は、その時代の潮流を敏感に感じている人たちだった。

5)当然その女子たちもウィメンズ・リブに関心を持ち、あるいは積極的に自らの思想として学び、やがて、女性たちだけの共同生活スペースを立ち上げていく。上の姉の親友にせよ、新しく立ち上がった女性の共同生活運動にせよ、格別に先鋭的な動きではなかったので、いつのまにか、そのウィメンズ・リブ的な外形は衰えていった。

6)しかし、そこで提起された問題は、不完全燃焼ではあったが、私自身の問題とも重なった。女性からみれば、不十分ではあるのだろうが、私自身は、生涯をフェミニズムという視点からずっと見つめ考えてきた。しかし、その取り組みが、十分でないどころか、杜撰であると、指摘されることがあるなら、その意見に反論することはできない。

7)1977年にインドに渡り、Oshoコミューンに参加したとき、マスターとしてのOshoは男性であったが、そのコミューンの運営の要所要所が女性で仕切られていることに、私自身には、ここちよいものに思えた。男性幹部によるヒエラルヒーなどはまったくと言っていいほど見えなかった。もちろん、女性だから権力的ではなかった、というわけではないが、「権力を持った女性」というあり方に、どこかここちよいイメージを持ったことは確かである。

8)アメリカにおいて、いわゆるシーラという女性がOshoコミューンの権力を握り、数々の失敗をやらかしたとされる件については、日本にいた私にとって仔細は不明だったものの、一方的な女性「崇拝」もいけないなぁ、という反省の材料にはなった。

9)この本が書かれた1985年頃、私はカウンセリングを学び、自殺防止電話相談のグループに参加していた。そこで気がついたのだが、その研修にでていた人々は95%が女性だった。私の他の男性は、大学院で心理学を学んでいた学生や、保険営業職の自営業の中年男性など、ごくごく僅かだった。このような「仕事」には女性が向いているのだろうか、と思った。

10)ところが、1991年頃になって、当時の労働省管轄の「産業カウンセラー」資格をとろうとした時、参加者たちは90%くらい男性だった。おなじ心理関係で、しかもカウンセリングを学ぼうというのに、なんでこんなに女性/男性の違いがあるのだろう、と、面食らった。

11)もっとも、1987年にふたたびインドに渡り、Oshoカウンセリング・トレーニングコースを学んだ時は、殆ど男性女性50%くらいづつだった。ちょうどバランスが取れていた。講師群も男女半々で、ごくごく当たり前の雰囲気だった。

12)1990年代後半には、私は小学校の「父親の会」に参加して、女性に偏りがちと言われるPTA活動に男性として参加した。小学校時代は父親たちの仲間がどんどん増えておもしろかったのだが、中学校になると、また母親中心の活動になった。育成委員会という「男組」の組織もあったが、活動の中心は女性だった。

13)私は、家庭向きの営業をしているので、自然と家庭にいることの多い女性陣と面談し、業務を進めることが多かったので、80年代から2000年代の今日まで、わりと女性と話をする機会は多かった。もちろん男性とも話す機会が多かった。多分、どちらに偏るということはなかったと思う。

14)自分がどこかでウィメンズ・リブに対しては受容的であり、私もまたフェミズムに共感するひとりなのだ、と自覚しつづけてきたとすれば、それは母親に対する思いもあったからだと思う。病弱で入院生活が長かった父親に代わって、家業を仕切り、三人の子ども達を育てた母親の姿を見ていて、女性が置かれている社会や現実に対する矛盾も、あれこれ見聞きすることになった。

15)今回縁あって、この本を読んだが、「本を読む」というレベルで言えば、けっこう面倒くさいテーマの本ではある。だが、わりとスラスラと読めたのは、もちろん著者の文章が優れているからだけれども、その視点自体はぜんせん珍しくもなく、むしろ当たり前のことが書いてある、という感触を最初から持っているからである。

16)もし私がフェミニストたり得ないとしたら、ずっとその問題から目を離さないで、自らの思想(おもい)の翼にしてきたか、と問われれば、いいえそうではありません、と答えるしかないからだ。フェミニズムやエコロジーは、ごくごく当たり前のことのように思える。しかし、思えるだけでは、なにかが不足しているのだろう。そこには、継続した問題意識やら、行動、実践の積み重ねが必要となるのだろう。

17)なにはともあれ、この本には改訂版があるようだが、私は1986年10月に出された初版を読んだ。あれから四半世紀が経過したのである。日本において10数年しか経過していなかった当時のウィメンズ・リブやフェミニズムの系譜は、2012年の現在において、さらになにごとかが新展開していることだろう。

18)そのような振り返りの機会をもてたことで、今回の読書は満足することとする。

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