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2012/11/10

演劇という「非日常」を抱えた生活者たち 河北新報 『芝居ができる 十月劇場の5ヵ月』

<1>よりつづく 

Aria
「無窮のアリア」 「時の葦舟」三部作第2巻 古代編 <2>
石川裕人作・演出 1993/08~09公演 テント公演 石川裕人年表

1)1993/04/30から09/29まで、毎週金曜日に「河北新報」に連載された「無窮のアリア」の練習・制作・公演・打ち上げ過程をルポした記事。石川裕人の長い演劇活動の中でも、他にはこのような企画はそうそうなかっただろう。とても貴重な記録となっている。

2)昨日、図書館で河北新報データベースというものを使ったら、実に簡単にでてきた。無料で誰でも30分間使用できる。だが、23回連載記事というと、30分間ではゆっくり読めないので、一枚10円でプリントアウトしてきて自宅で読むことになった。

3)読んでみてすぐ気がついたことは、とにかくまだみんな若いということだ。筆頭の石川裕人は39歳で、その他30代の「確信派」団員は何人かいるが、あとは20代の前半。時には10代の団員もいる。まだまだ若い。若いエネルギーがみなぎっていることは本当に素晴らしい。

4)しかし、各所に生活のある「日常」と、演劇活動という「非日常」の軋轢に悩んでいるところが随所に表出してくる。看板役者のひとり米澤牛(のちの渡部ギュウ)が仕事との両立に悩んで、仕事のほうをやめる。また、もうひとりの看板役者小畑二郎は、この「無窮のアリア」を最後に「十月劇場」を退団することを決意するシーンがでてくる。若い役者たちにバトンタッチする時期がきているという自覚からだ。

5)あきらかに80年代的な十月劇場の終焉期が近付いていることはまちがいない。高度成長期の70年代、バブル期の80年代は遠く過ぎ去り、バブル崩壊後のデフレスパイラルがどんどん進行していた。走ってきた役者たちも、自らの「生活」を真剣に考えなくてはならない時期になっていた。

6)すでに39歳になっていた石川裕人は、ある種、確信犯だから、困ったなら困っただ、という腹の座り方をしていただろう。彼ら夫婦の間には子供はいなかったから、私のような子持ちとは次第に距離ができていったが、同時代人の葛藤も十分理解できただろう。

7)彼にしたところで、とにかく演劇で食えるシステムをつくらなければだめだ、ということを痛感していたに違いない。だからこその十月劇場の解散だし、次なる"OCT/PASS"への模索だった。テント公演も、これ(「時の舟」三部作)で終わりだ、と覚悟していた。

8)当ブログは現在、80年代の石川=十月劇場を、唐十郎との関連で追っかけ中だが、もはや、ひとつひとつの関連性の追求は十分なのではないか、とさえ思う。今後は、ポスト十月劇場としての"OCT/PASS"の歴史、そして、今日の「劇作家・石川裕人」という実存へ迫るプロセスへはいっていく時期にきていると思う。

9)それにしても、"OCT/PASS"という20年を経ながら、なおアングラを語り、唐十郎を語る石川裕人を知る時、この「時の葦舟」当時の「完成度」とは一体なんであったのか、と思う。

10)それは、ある意味、私がいろいろ関わった企画の中で1991年の国際環境心理学シンポジウム「スピリット・オブ・プレイス」を懐かしむ感性と似ているかもしれない。ここのところはいずれ、じっくり検証してみなくてはなるまい。

11)なにはともあれ、このような記事が残っているのは、石川友人のもうひとつの勲章である。図書館のデータベースを使うと、もっと彼の勲章を探し出すことができるかもしれない。そのうちやってみよう。

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