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2012/11/04

「科学」性と「演劇」性 高木仁三郎『宮澤賢治をめぐる冒険』水や光や風のエコロジー


「宮澤賢治をめぐる冒険」水や光や風のエコロジー 新装版
高木仁三郎 2011/10 七つ森書館 単行本 152p  (原著1995/04 社会思想社刊 p156 絵・高頭祥八)を読んだ
Vol.3No.0855

1)本読も、と読んだのは高木仁三郎「宮沢賢治をめぐる冒険」。言わずと知れた亡き反原発科学者の賢治をめぐる講演録。

賢治を科学者と見なして同様な思いを語っている。
賢治は原子力をどう見るだろうか?
賢治の生きた世の中にはまだ原子力は無かったから想像でしかないが、当初原子力を素晴らしさを論じ、知れば知るほどこれは生物界の天敵だと思うに至るのではないかな?
手塚治虫も当初原子力の優位を描いたが「鉄腕アトム」のラストをグスコーブドリに似せることになった。
科学は人間の未来を輝かしく開くが、研究を重ねると絶望の未来をしか開かないこともわかってくる。
原子力がそうなのは素人でもわかることになった。
”Play Kenji"の最新版はサイエンティスト賢治を描いてみたいと思っている。「石川裕人劇作日記時々好調」2012/07/15

2)この高木仁三郎の一冊は、どこを読んでもすばらしい。どこをどう切り取ろうということさえもできない。できれば、このコンパクトな一冊を全文、当ブログに転記したいくらいだ。

3)この一冊を、すくなくとも、ニュートンは亡くなる3ヶ月前に読んでいる。そして、「方丈の海」の上演が終わったら、近いうちに科学者としての賢治を書こうと思った。そのPLAY KENJI「♯7」は、結局は日の目をみなかったのだが、彼一流の「つづく」は、結局、私たち残された者たちの課題になった、とも言える。

4)宮澤賢治、高木仁三郎、石川裕人、といった命のつながりを見ていると、当ブログにおいて、やや揶揄的に取り扱ってきた裕人の「つづく」ではあるが、ここにきて、ぐっと別な意味あいがあるようにさえ、思えてくる。

5)
環境問題という言葉があります。私も環境問題にかかわっていますし、環境問題という言葉はいま、はやりです。使わないわけではありませんが、私は本当は環境問題という言葉は使いたくありません。(中略)
 そうではなくて、自然の大きな全体というのがあって、人間はそれに取り巻かれた一員でしかないんです。人間があって環境があるのではない。全体があって、その一部に、点のような存在として人間がある。そういう全体というのが、賢治の書きたかった自然であると思います。
原著p51高木「賢治をめぐる水の世界」1992/05 群馬県での講演から

6)科学、芸術、意識、この三つを並べた場合、外側を研究する科学と、内側を探求する意識は、対極にある。そして、その二つをつなぐのが芸術である。だから、当ブログが最近ぐるぐるまわりしている、「演劇」性と「意識」性は、この二つだけの考察では、少し不足しているということになる。ここに「科学」性も当然取り入れなくてはならないし、それを取り入れてこそ、より「芸術」性と「意識」性の意味合いが際立ってくるはずである。

7)
羅須地人協会の世間の評価については私はあまり知りませんが、多少本を買い求めて読んでみる限りでは、たいてい結果から見れば、あれは挫折だったと書かれていますよね。(中略)

 僕のいまのような見方からすれば、それは彼の試行錯誤、彼の実験の一環であった。彼は実験と言わなかったかもしれないけれども、私はそういう文脈の中で受けとることができるのです。一種の実験であったと。そうなるとこれは決して、失敗とか成功とか挫折とかいう言葉で表現するべきことではありません。
原著p129高木「科学者としての賢治」1987/09 宮澤賢治記念館での講演から

8)以前、当ブログでは、この羅須地人協会とOshoのコミューンの
比較検討したことがあった。

9)
賢治の羅須地人協会の期間も実に短いものだった。その理想とはうらはらに、必ずしも実効がともなった実験とは言い難い。スケールはまったく違うが、ここで羅須地人協会とラジニーシプーラムの比較関連を考えておくのは面白い。 

 賢治のイーハトーブ---羅須地人協会---デクノボー。それに対する、OSHOのブッダフィールド---ラジニーシプーラム---ゾルバ・ザ・ブッダ。いずれも幻想的だ。とてもこの世のものとは思えない、とてつもない企てである。

 しかるに、両者ともに、多くの共感者を得て、例えば、花巻の宮沢賢治記念館として残り、かたや、プーナのOSHOコミューンとして、その命脈を保っているのは面白い。

 そして、ここにおいて、このふたつの動きを思い出したのは、3・11後の復興復旧という、村や街、都市再建の計画が乱立するなかにおいてだった。当ブログ「OSHO:アメリカへの道<9>」 2012/05/02

10)当ブログにおける大きなテーマのひとつは、Oshoであるし、その「意識(瞑想)」性である。ここをはずすわけにはいかないし、私の「つづく」は結局、そこにいかにつながり続けているか、ということである。

11)ミッシングリンクとしての、ニュートンと私の間に広がる「80年代」に、大きく縦糸を掛けるとすれば、私の側からは、このOshoとその80年代のアメリカのオレゴンにおけるコミューンという「実験都市」に触れないわけにはいかない。

12)ひとり、大切な友人であるところの石川裕人(ニュートン)を失って、彼を追悼することだけが、当ブログの目的であってはならない。彼が「つづく」としたところの、そのビジョンを、私は私なりに、どう共有化して、どう自らのテーマとして捉え直し、どう「実験」し、どう「実践」していけるのか。そこをこそ見つめていきたい。

 

 

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