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2012/11/02

いまだ再開せず 『石川裕人劇作日記 時々好調』 <1>

Isi
「石川裕人劇作日記 時々好調」 <1>
石川裕人 2006/08~2012/09 jugemブログ 石川裕人年表
Vol.3No.0849★★★★★

1)三七日が過ぎた。そろそろニュートンの話題から離れようかな、と思う気持ちと、いやいや四十九日まで続けよう、という気持ちとないまぜになる。彼にとってはどうでもいいことだろうが。

2)そもそも、私自身がどうもまだすっきりしない。彼の全体像がまだまだみえてこないのだ。

3)彼の劇作100(+α)本のこともサラっとわかった。復興支援ブログ「ココロ♡プレス」に書いていたことも、サラーっと目を通した。児童劇団AZ9ジュニアアクターズについても、すこしづつ理解しているところ。

4)でも一番肝心なニュートン自身のブログにはまだ目を通していなかった。前からその存在を知ってはいたのだが、どうも気がすすまなかった。

5)今夜目を通せたのは、275ページある分のほんの9ページほど。現在から過去へさかのぼっていくので、読みにくいが、人間が過去世を思い出すときは、こういう形になるそうだから、これもやむを得ないだろう。

6)賢治。

喪主になって自分の葬儀を執り行う夢を見る。
夢ならではのシュールな展開だけど、疲れてんのかなあ。 次から次と変な夢を見た。「石川裕人劇作日記 時々好調」2012/07/15

7)10月15日の自分のお葬式のちょうど3ヶ月前の日の日記である。この頃、最後の公演となった「方丈の海」に全身全霊を打ち込んでいる感じ。

8)”Play Kenji"の最新版はサイエンティスト賢治を描いてみたいと思っている。「石川裕人劇作日記 時々好調」2012/07/15

9)これもまた奴一流の「つづく」になってしまった。

10)未定。

いつもは次回公演の予告などを当日パンフレットに掲載するためにでっちあげたり、既に決まっていたりするのだが、次回は何も決まっていない。

それだけ「方丈の海」に全精力を使って台本を書き下ろし、現在も格闘している。

これはうちのメンバーみんなそうだと思う。

 考えてみれば、現在取り組んでいる芝居も終わっていないのに次回予告なんて出来るわけはないのだよね。全精力使ってねえのか? 
 そういうことでわしは「方丈の海」が終わってからじっくりポスト「方丈の海」を考えます。「石川裕人劇作日記 時々好調」2012/08/01

11)結局、劇作一本目以来、ずっと「つづく」で予告編を書き続けてきた彼は、最後の最後で「つづく」を書けないところまできていた。

12)吃逆

1時間くらい前から吃逆(しゃっくり)が止まらない。
驚かすと止まるとか言われているが、今は仕事場に一人なのでどうしようもない。
あれ?止まったような。「石川裕人劇作日記 時々好調」2012/07/26

13)自分でも体調の変化には気がついていたはずなんだがな。

14)挨拶。

10年間稽古場でお借りしていた瀧澤寺さんに区切りの挨拶に伺う。
2002年に旧”OCT/PASS"スタジオのビル新築によって稽古場を撤退。
その年に瀧澤寺さんをお借りし、早速その年の12月に地下ホールで公演を打たせていただいた。
以来10年瀧澤寺さんで創った芝居は13本にのぼる。
今回の「方丈の海」が第34回公演なので4割を創造してきた。
大体はその地下ホールが稽古場だったが、ここには舞台があり、エアコンはあるわ、音は気にしなくていいわ、時間も無制限だった。
たまに法事で残った料理のお裾分けや大量のお菓子や野菜の配給もあった。
ちゃきちゃきしたお母さんとのんびりした若和尚さんには本当にお世話になった。
昨年の「人や銀河や修羅や海胆は」瀧澤寺公演で瀧澤寺さんに今までの御礼が出来たのかも知れない。
本当にお世話になりました。
合掌。「石川裕人劇作日記 時々好調」2012/07/31

15)龍沢寺が稽古場になっていたのは知っていたが、これだけ恵まれた環境だったとは知らなかった。これだけお寺さんにお世話になったのだから、すこしは仏道心というものに目覚めていたのだろうか。

16)徒然。

姪が今年の12月に結婚することになり、夫になる人を紹介しに来訪した。
彼は震災津波で両親を喪ってしまった。
名取の農家では農法などで結構有名なお父さんだったらしい。
犬好きで明るい、しっかりした将来ビジョンを持った青年だった。
こっちが爪の垢を煎じてもらいたいくらいだな。「石川裕人劇作日記 時々好調」2012/08/16

17)この青年のことは私も知っていた。火葬場でも一緒だった。

18)初日。

今年の3月1日に稽古に入った「方丈の海」は、1週間も経たない3月7日に絵永の緊急入院。急遽劇団メンバーと公募で参加が決まった高橋綾さんとSさんとで会議を行い、絵永の退院まで延期を決めた。
3月11日、千賀ゆう子さんの企画で東京リーディング。
この段階で台本は半分しかできていなかった。
4月4日、絵永退院。
一旦ダウンした台本への集中力が無くなり、台本を脱稿したのは5月10日。
稽古再開は5月16日だった。
「方丈の海」は半年かかって初日を迎えた。「石川裕人劇作日記 時々好調」2012/08/31

19)どうしてそこまで演劇をやらなくてはならなかったのか。

20)拍手。 
昨日は金沢の「劇団新人類人猿」の若山さん、劇評誌”TheaterArts” 副編集長の新野さん、そしてタロジロ南極コンビに伊東竜俊という酒癖エキセントリック・トリオが来襲、打ち上げ会場を我が領土のように行き交っていた。
わし、本日検査だったので昨夜から午前中絶飲絶食ということで、打ち上げでは借りてきた猫のように静かにしていた。こういう時に限って酒飲みが襲来するのだ。「石川裕人劇作日記 時々好調」2012/09/04

21)演劇のことはよくわからない。しかし、私はこの演劇「界」の酒好きの傾向はなんとかならないのかな、と思うときがある。

22)休筆。
明日からしばらくの間、「劇作日記」をお休みします。
再開は10月中旬になると思います。
それではみなさま、お元気で。 「石川裕人劇作日記 時々好調」2012/09/23

23)時の経つのは早い。すでに10月の中旬もすぎて、11月になった。だけど、まだこのブログは再開されていない。

<2>につづく

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