PLAY KENJI 西成彦 『新編 森のゲリラ』 宮澤賢治
「新編 森のゲリラ宮澤賢治」
西成彦 2004/05 平凡社 全集・双書 268p
Vol.3 No.0880 ★★★☆☆
1)西成彦「森のゲリラ 宮澤賢治」読了。賢治の作品を読んでうすうす感じていたのは戦争、非常事態への思いだったが、それを解き明かしてくれた。帝国主義戦争・ファシズムに巻き込まれた人間の心情をもう既に書いてしまっていたという指摘は慧眼。次の戯曲「ザウェル」では動物管理センター(遺棄された動物たちの収容所)からの視点を取ろうと思っていたので、刺激的なインスパイアだった。「石川裕人劇作日記2006年 7月10日 (月).......『森のゲリラ』。 」
2)と、石川裕人のこの書に対する評価は高い。「帝国主義戦争・ファシズムに巻き込まれた人間の心情をもう既に書いてしまっていたという指摘」ということなのだが、当ブログでは、そこのところはまったく頓着しない。
3)もちろん、賢治が日蓮主義を唱える田中智学の国柱会に心酔していたという事実は残っているようだが、結果としてダイレクトに国柱会と関わる影響が作品に見られるかといえば、それはあまりないのではないか、というイメージを当ブログは持っている。
4)宮澤賢治は、旅行者でも民俗学者でもなく、考古学者だった。四次元空間の中をひとは休みなく移動している。四次元空間の中で停止することは不可能だ。宮澤賢治が移動する作家であったといえるのは、このような意味においてであり、東北の辺境性を離脱し、コスモポリタンたるために移動するような作家たちと、コスモポリタンであるというよりも、むしろコスミックと形容した方がふさわしい宮澤賢治とを、けっして同列に扱うわけにはいかないのである。p23「東北文学論」
5)コスモポリタンという用語は現在あまり多用されないが、当ブログにおける「地球人」とはどう違うのか、いつかは検討して見る必要があろう。
6)ネネムの所属する「ばけもの」世界には、あのザシキワラシもまた住みついている。「遠野物語」を通して広く知られることになった日本版妖精のザシキワラシだ。ところが、ネネムたちの世界では、「妄りに人の居ない座敷の中に出現して、箒の音を発した為に、その音に愕(おど)ろいて一寸のぞいて見た子供が気絶した」というごく些細ないきがかりから、二十二歳のザシキワラシに「明らかな出現罪」が適用される。p89「新山人文学論」
7)文脈をまったく無視してメモしておくけれど、石川裕人が一番最初に立ち上げた劇団名は「劇団座敷童子」だった。どうしてその名前になったのか、いままでのところまだ、みつけていない。聞いてもみなかった。
8)赤間(啓之) じつは最近、宮澤賢治を題材にしたスーパーファミコンを借りてやったんです。それは「イーハトーヴォ物語」といって、宮澤賢治がなくした七つの手帳をいろいろな情報を頼りに見つけてくると最後は宮澤賢治さんに会えるというロールプレイングゲームなんですけれども、情報をもたらす存在がそのソフトの中では特権化されている。その選びかたがじつにはまりすぎていて、竃猫とレオーノ・キューストなです。猫の事務所とかレオーノ・キューストが勤めている博物館とかは、風の便りのネットワークのひとつのサーバーというべき装置でしょう。p246「赤間啓之との対話」
10)いまどきスーファミなんてあるんだろうか(ちんぷんかんぷん)。でもなかなか面白そうだな、これこそPLAY KENJIだ。石川裕人のPLAY KENJIシリーズの世界も、この世界なのかもしれない。
11)この本は1997年に出された「森のゲリラ 宮澤賢治」の改訂版なので、いつかその二冊を並べてゆっくり読み比べるときもくるだろう。
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