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2012/11/14

酒と賢治の日々 『石川裕人劇作日記 時々好調』<2>

<1>からつづく 

Newton
「石川裕人劇作日記 時々好調」 <2>
石川裕人 2005/09~2012/09 Vol.3 石川裕人年表
Vol.3 No.0875★★★★★

1)彼は2005/09からブログ日記を付け始めたようだ。これ以前のものもあるかもしれないが、まずはこの年代が、私にとっては、極めて興味深い。実は、私もまた、この自分のブログ(以前の楽天ブログ)を同じ2005/09に登録したからである。ちょうどこの時期、ブログが話題になってもいたのだろう。

2)日記はもう17年もつけている。(略)ネット上の日記は偽装日記でもある。そんなつもりで書いていけば隠微日記のように長続きするかもしれない。おまけにこれは劇作日記である。嘘八百書く戯曲をもう一皮嘘で塗り固めようというのだ。なにが本当でなにが嘘なのか自分でもわからなくなってくれば大正解。「2005年 9月 1日 (木).......今日からつけはじめます。」

3)私のほうは、ブログを登録したものの、まったく一行も書けなかった。それはそうだろう。私は日記などほぼつけたこともなく、彼が17年間もつけたという日記の期間はほぼ「無言」ですごしてきたようなものだ。その沈黙を破るきっかけとなったのは梅田望夫の「ウェブ進化論」を読んだこと。それは2006/03になっていたのだから、ほぼ半年間どこから切り出すか右往左往していたということになる。

4)他人の日記など、小っ恥ずかしくて読めたものではないが、彼の場合は「偽装日記」であり、劇作のサブノートだと思えば、助けになる。思えば私のブログも「日記」にも「偽装日記」にもならなかった。あくまで「読書ブログ」と規定した。プライベートなことは推測されないように、慎重に回避している。

5)9月になってしまった。今月はPlay KENJI「修羅ニモマケズ」の公演月である。しかしながら稽古の進捗状況が芳しくなく、四苦八苦している。「2005年 9月 1日 (木).同上」

6)当ブログにおいては、なにげなく通り過ぎていく「修羅ニモマケズ」である。読書ブログとしては、あっけらかんとすぎていく一場面ではあるが、創作者、表現者たちにとっては、ひとつひとつが生活の日々である。それぞれの作品の重みを、あらためて思い知る。

7)高橋哲哉「国家と犠牲」購入。古田日出男「ベルカ、吠えないのか?」読書継続中。
12月公演「パペット・マシーン」ネタ本「ユビュ王」熟読。構成への手がかりを探す。
「2005年 9月 1日 (木).同上」

8)これらの読書リストでは、当ブログとしてはまったく食指が動かず。この時点で、彼はどのあたりを歩いているのか、わからない。そもそも、今後、彼との読書でクロスする地点というものがあるのだろうか。

9)今日、妻の父上が亡くなった。
生前は愚生がやっている芝居のことに興味を持っていただいた。元々技術畑の方で、中島飛行機工場、零戦を作っていたのだ。その零戦は少年時代の愚生のあこがれでもあったから色んな話をした。専門的なことを聞くことが出来て嬉しかった
「2005年 9月 2日 (金).......義父の死。」

10)いきなりここから始まるか。この義父にはもう一つ支線があって、当ブログとして、いつスタートするか逡巡しているところだ。この人は中島飛行機で零戦を作っていたのか。なにはともあれご冥福をお祈りいたします。合掌

11)遅ればせながらというのか、満を持してというのか、めでたく"OCT/PASS"のホームページが本日オープンした。2005年 9月 9日 (金).......ホームページ公開。」

12)そういう時代であったのだろう。

13)今日はさわやかな天気だった。こんな天気の中で「修羅ニモマケズ」を上演できたら最高。しかし、今回噂の雨男が役者で入っている。2年前Play KENJI「センダードの広場」を仙台文学館の野外で上演したのだが、台風が来ていて前日は大雨。ほぼ野外での上演をあきらめていた。しかし、その噂の男から「明日は用事で行けません」という連絡が入ったとたん台風が逸れたのだった。当日は役者が熱中症で具合が悪くなるくらいのピーカン!!これは本当にあった怖い話です。彼が真実の雨男かどうか今回の公演で明らかになる。噂だけであってほしいけど。2005年 9月 9日 (金).同上」

14)現在、当ブログのPLAY KENJIシリーズ全6作追っかけでは、この「センダードの広場」の台本だけがみつからない。このような断片情報が残っているだけでも貴重である。

15)ぼろぼろずたずたになりながら劇団員全員が危機感を募らせながら稽古を積んできた。楽しい芝居になると思う。賢治さん独特のユーモア感覚とすれ違っているかもしれないが、「修羅ニモマケズ」は愚生の賢治観だ。そして劇団員のみんなが色んな意味で賢治さんを好きになってくれているのがわかる。難しいこと抜きで賢治さんと遊んでみよう。2005年 9月14日 (水).......ゲネプロ。」

16)当ブログとしては、石川裕人を、越前千恵子→唐十郎→宮沢賢治、という形で収束させたいと考えている。彼の賢治に関するメモは重要である。日記の端々にでてくる本のタイトルは、興味深くはあるが、今は飛ばして行く。

17)「修羅ニモマケズ」初演のえずこホールに入った。夕方から10pmまで約5時間で照明・音響の仕込みと、テクリハ、役者の導線、立ち位置までまるで乗り打ちのようなタイトなスケジュール。(中略)
 えずこ野外劇場にはちょっとしたプールがあり、川西の野外劇場の裏手には古墳があり、仙台文学館には造られた小川がある。えずこから始まる今回のツアーはどうやら壮大な水の物語、「銀河鉄道の夜」の旅なのかもしれない。銀河の旅の途中、白鳥の停車場・プリオシン海岸で出会う考古学の先生は発掘をしていた。川西の古墳にも何かが埋まっているはず。
「2005年 9月16日 (金).......劇場(こや)入り。」

18)ひとつひとつが興味深い記述だが、この調子でいくと何時になったらこの日記を読み終えることになるのかわからない。およそ80数ヶ月の日記である。一日に一ヶ月分を読んでいったとしても、80日以上かかることになる(どふぇ~)。

19)そんなこんなで本日52歳になりました。いやいやこんなになるまで芝居をやっていようとは!!(中略)時の流れを感じるとともに、めぐりめぐって今回も賢治の芝居中に誕生日を迎えるという暗合に驚いている。
 そして21日は宮澤賢治の命日でもあるのです。1933年(昭和8年)でした。それから20年後愚生が生まれたというわけで「賢治の生まれ変わり」などとほざいていたわけですね。ああ、恥ずかしい。
「2005年 9月21日 (水).......本日誕生日。」

20)彼が賢治の生まれ変わりかどうかはともかくとして、賢治は石川裕人を読み解く重要なキーワードではある。

21)医者には酒を止められている。やんわりとした言い方だが、これ以上呑んでもいいけど自己責任だかんね、というような言い回し。
 二十年前は酒をいくら呑んだ後でも台本が書けた。我ながらあきれる。今はもう絶対無理。呑んだら脳細胞がこたこたである。
「2005年 9月23日 (金).......お天気祭り。」

22)結果論として酒は彼の命取りになったと思う。演劇界は酒を断ち切ることができないのか。酒がなければ作ることも見ることもできないのか。私もけっこう酒好きではあるのだが、私はこの点では、まじめに演劇「界」を批判したい。

23)「修羅ニモマケズ」色々あったが幕を閉じた。一時は本当に上演できるのかと思うくらいへこんだこともあったが、出来てみれば笑みがこぼれる芝居、恩寵のようにこぼれ落ちる光のような芝居になった。これも賜物のような賢治作品のおかげだろう。みんな賢治が好きなんだなあ。もっとやりたいというみんなの思いは再演という形で取っておきましょう。2005年 9月26日 (月).......お疲れさまでした。」

24)一作一作がこの調子で出来上がっていったんだな。

25)昨年の9/21から通院していて、かっこよく言えば主治医がいる。先生は当時200を越えていた愚生の血圧を現在正常な値にしてくれた。この先生が芝居好きで前回の「オーウェルによろしく」は奥さんと、今回の「修羅ニモマケズ」は川西に家族連れで見に来てくれた。(中略)

 この先生にかかってから確実に血圧は下がり、肝臓も違う病院を紹介されチェイスしている。しかし、懲りない自分がいる。病の元凶がわかっているのにそれを決定的に断てない。でも煙草は止めたんだよ。しかし酒がやめられないんだこれが。そんなことは先生もお見通しなんだろうけど、強い強制力で断酒を勧めたりしない。結局は自分がどうしたいかだものね。(中略)

 で、これは今日の通院で知ったことなのだけれど、彼の本籍は花巻で、お祖母さんに当たる方が幼い頃の宮澤賢治を知っているという。なんという暗合だろう!!
2005年 9月27日 (火).......通院の日。」

26)今となってはあれこれ言ってもしかたないが、肉体を抜きには語れない演劇なのに、なんで酒をやめられなかったかな。

27)「寺山修司幻想劇集」購入。1983年に刊行された「寺山修司戯曲集」全3巻のうちの1巻で「レミング」「身毒丸」「地球空洞説」「盲人書簡」「疫病流行記」「阿呆舟」「奴婢訓」。この1冊で寺山の真骨頂が堪能できる。寺山初心者も全集が高くて買えなかった愚生のような者もこれはお得な本。平凡社ライブラリー9月の新刊。「2005年 9月28日 (水).......模様替え。」

28)ここで寺山の名前がでてほっとする。弔辞では唐よりも寺山のほうが大事なように言ってしまって、すこし反省していたのだが、実はどちらも重要なんだよね。私は個人的には寺山のほうが好き。

29)家人が出張仕事で家にいないのをいいことに、前々から気になっていた焼鳥屋にでかける。一人で呑むとあっという間に全てが終わる。うまい焼き鳥、うまい芋焼酎で満足。一人酒は好きだ。店の親方がうるさいとたまったもんじゃないけど。一人静かに呑みたいんだということをわかってくれる飲み屋が少なくなってきたような気もする。「2005年 9月30日 (金).......今日は好調?」

30)けっこう酒が好きだったんだなぁ。今日は彼が亡くなってから五七日(つまり35日目)。先日納骨されて、親父さんと一緒の墓にいる。花と線香をあげようと思っていたが、彼にはワンカップ酒のほうが似合うかもな。

<3>につづく

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