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2012/11/17

 『 童貞としての宮沢賢治』押野武志<1>


「 童貞としての宮沢賢治」 <1>
押野武志 2003/04/01 ちくま新書 新書 p221
Vol.3 No.0878★★★☆☆

1)ニュートンの書斎には全集や研究書とともに、さまざまな賢治論があった。ブログにも書いていた。

2)押野武志「童貞としての宮沢賢治」読了。タイトルはスキャンダラスだが、まっとうな賢治論。生涯童貞と言われた賢治だが、何故そう思えるのか作品から追っていく。
実生活ではなく作品から探るという方法論は潔い。しかし、賢治という人、近親相姦的関係、同性愛への傾き、マザコン、ロリータ、多形倒錯、春画収集家などなど、様々な顔が見えてくるのだが、どうも他者とのコミュニケーション不全を囲っていたように思える。現在こういう人は結構世の中にいっぱいいて、賢治は先駆的存在だった。「石川裕人劇作日記2006/07/03」

3)ということで、この本にも目を通すことに。

4)ニュートンが生涯一滴も精液を漏らさなかったことを例に出して、ここでも、性欲のためにエネルギーを消費するのはつまらないと言ったという。賢治の父の従弟の関登久也によれば、賢治との話がたまたま性欲ということに及び、ハヴェロック・エリスの著書を原書で読んだりしているから、性に関する話になると賢治の方がよっぽど上手で、性欲を自分で満足させる方法も知っているが、たまたまそういうことをしないだけの話だという。p034「童貞がなぜ問題にされるのか」

5)まぎらわしいが、ここにでてくるのは、もちろん石川裕人のニックネームとしてのニュートンのことではない(笑)。万有引力を発見したイギリスの物理学者アイザック・ニュートンについてである。この部分を石川裕人本人はどんな気分で読んだだろう。

6)オナニーさえしたことのないニュートンを賢治は手本としたわけだが、その背景には当時のオナニー有害論があった。p035同上

7)アイザック・ニュートンを手本とした宮沢賢治が、20年後に転生して、ニュートンというニックネームで生きていた、というストーリーを作り上げることも、演劇脚本の中でなら作り上げることも可能であろう。もちろん、石川裕人は童貞ではなかったし、禁欲的でもなかった。ただ、わりと奥手で、それほど達者ではなかったと推測することは可能である。。

8)たしかに、エリスはキリスト、ニュートン、ベートーベン、カントなどの名を挙げ、古くから天才に童貞や独身者が多くいたことを認めてはいる。キリストは言うまでもなく童貞である(異論もあるが)。賢治が模範としたニュートンが本当に精液をもらしたことがなかったかどうかはわからないが、生涯童貞であったことは確からしい。(中略)

 先の天才四人にしてもエリスはひどいことを言っている。聖書の中にはキリストが性的抑制の模範とは言えないような実例は少なからずあるし、ニュートンの晩年は精神錯乱状態だったし、ベートーベンは徹頭徹尾心身ともに病んだ病者であり、カントも生涯病身者で、要するに彼らのすばらしい才能を別にすればひどい生涯であったと言わんばかりだ。p065「文学者たちはいかに性欲と戦ったのか」

8)この本は、まともな賢治研究書なので、けっきょくは、他の本と同列に真面目に読み込まれるべきではあるが、ここは石川裕人つながりなので、ここあたりを切り取っておけば、当ブログとしては、いまのところ十分だ。

9)Oshoには「From Sex to Super Consciousness」というタイトルの講話があるほどで、性の抑圧をよいものとはしていない。生体エネルギーについては、それに蓋をしてしまえば、創造的な力も生まれない、ということになる。

10)それにしても「毛穴の皮油まで晒された作家は史上、賢治だけではないか」とまで評される賢治である(「宮澤賢治と幻の恋人 澤田キヌを追って」澤村修治) 。下半身をまさぐられることぐらいは覚悟のうえか。

<2>につづく  

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