« 演劇が事実を超える時 石川裕人『わからないこと』(戯曲短篇集) 「遥かなり甲子園」「兆し」「わからないこと」 | トップページ | 時代の縦糸に絡み込む多彩な横糸たち 『無窮のアリア』 「時の葦舟」三部作第2巻 古代編 »

2012/11/09

十月劇場を乱舞した特権的肉体たち 『唐十郎 わが青春浮浪伝』


『唐十郎』 わが青春浮浪伝 人間の記録 no.197
唐十郎(著) 2012/04  日本図書センター 単行本  227P
Vol.3 No.0866★★★☆☆

1)石川裕人の、80年代バックボーンを支えたのは、当ブログとしては唐十郎「特権的肉体論」である、と仮定した。

2)石川裕人を簡潔にまとめるとすると、こうなる。小学4年の時に担任の越前千恵子先生から聞いたシナリオ・ライターという職業に夢をもち、高校生の時に見た紅テントに襲撃を受け、唐十郎の「特権的肉体論」に影響を受ける形で劇作を展開した。脚本を書き、団員を集め、アトリエを保持し、テント公演を続ける中で、次第に宮沢賢治の作品群に惹かれ、賢治いうところの「ほんとうのさいわいとはなんだろう」というテーマに行き着いた。

3)かなり乱暴だが、そうなる。では、唐十郎とは一体なんだったのだろう。

4)唐十郎について、当ブログで、この段階で深追いする気はない。すでに処女作に近い「腰巻お仙」と、1970~90年代の短編をまとめた「特権的肉体論」をめくったので、では、唐十郎の最新本は、ということで一冊選んだのがこの本だった。

5)しかし、実際には1983年に講談社からでた本の再刊本だった。つまり80年代的唐十郎の世界である。今回は「人間の記録」シリーズの中の一冊として収容された。

6)したがって、、大久保鷹、十貫寺梅軒、四谷シモン、不破万作、李麗仙、根津甚八、といった往年の紅テントの名優たちとのエピソードが次々出てくる。これに「特権的肉体論」に出ていた麿赤児などを加えると、実に肉感的な役者たちが目白押しとなる。

7)70年代から80年代にかけて、とくに自らのドラマツルギーを確定し、アトリエや銀猫テントを設定し得た石川裕人が、自らの演劇(芝居)の中に、唐につらなる役者陣として、自らの団員(役者)たちに、「特権的肉体」派を求めたことは、想像に難くない。

8)となると、80年代的十月劇場の演目を、もうすこし選別し、より特権的肉体論的な演目を絞りこまなければならない。

9)80年代十月劇場の特権的肉体論を求めてのリストアップ (思案・模索・校正中)

1981「流星」(十月劇場旗揚げ・神田食品倉庫2階が稽古場。小畑次郎他)
1982「ねむれ巴里」(佐川パリ人肉嗜食事件をモチーフ、唐十郎「佐川君からの手紙」=1983年芥川賞=の影響あるか)
1984「嘆きのセイレーン・人魚綺譚 」(水の三部作・第一弾)(ビルの中にプールを作る。テント公演への欲求がつのる)
1985「じ・えるそみーな」 十月劇場アトリエ(仙台市定禅寺通り)柿落とし公演作
   
「翔人綺想」(米澤牛スタッフとして入団)
   
「十月/マクベス」
1986「水都眩想」(水の三部作・第二弾)(風の旅団からテントを借りた。劇評家・衛紀生から岸田戯曲賞を取ろうと言われた。)
1987
「虹の彼方に」水の物語三部作最終篇) (自前の<銀猫テント>での旅公演)
1988「マクベス」」(資金稼ぎのための学校公演上演戯曲)
   「又三郎」(代表作のひとつ。2ヶ月半のテント旅公演。ここからワープロを導入した)
1989「ラストショー」(寒河江映画劇場のために書き下ろし)「改訂テント版」あり
   「ラストショー改訂テント版」  「じ・えるそみーな・~フェリーニへ~」 モアレ・~映画と気晴らし~」 (三連作だった)  
1991「絆の都」三部作時の葦舟第1巻 未来篇 2年ぶりにテント芝居。
1992「ラブレターズ●緘書●世界(あなた)の涯へ」河原町稽古場=のちのオクトパス・スタジオ杮落とし公演)
1993「無窮のアリア」 三部作時の葦舟第2巻 古代篇 (テント公演。芝居人生最大のセットを組んだ。稽古入りから打ち上げまでの5ヶ月を「河北新報」が全23回連載記事)
1994「月の音 フェリーニさん、おやすみなさい」(劇団新人のための書き下ろし)
   
「三部作時の葦舟第3巻 さすらいの夏休み」(東北テントツアー敢行)

10)もうすこし絞りこむことが可能だろう。いずれにせよ、80年代的十月劇場の特権的肉体論的演劇は、すでに80年代末に終わっていて、90年代に持ち越された「時の葦船」三部作は、その集大成ということになる。そして、石川唯一の公刊された戯曲集としてまとめられていることを考えれば、80年代をもっとも、自らの演劇人生の「華」と考えていた、と推定することはできる。

11)唐十郎の影響を考える場合、1982年の「ねむれ巴里」は重要なポイントに存在している。1988年の「又三郎」も、確か唐十郎に同名の作品があるはずである。また、生涯三部作を三つ書いたとする石川の「水の三部作」も重要だ。

12)もうひとつの三部作はまだ見つけていないが、1989年の「三連作」が、その三部作、となるのであろうか。とするなら、これはこれで重要である。

13)多彩な役者陣やスタッフたちだが、十月劇場立ち上げメンバーだった小畑次郎や、1985年にスタッフとして入団してくる米澤牛(のちの渡部ギュウ)などの動向が、十月劇場のダイナミズムを生み出していた。

|

« 演劇が事実を超える時 石川裕人『わからないこと』(戯曲短篇集) 「遥かなり甲子園」「兆し」「わからないこと」 | トップページ | 時代の縦糸に絡み込む多彩な横糸たち 『無窮のアリア』 「時の葦舟」三部作第2巻 古代編 »

29)Meditation in the Marketplace3」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 演劇が事実を超える時 石川裕人『わからないこと』(戯曲短篇集) 「遥かなり甲子園」「兆し」「わからないこと」 | トップページ | 時代の縦糸に絡み込む多彩な横糸たち 『無窮のアリア』 「時の葦舟」三部作第2巻 古代編 »