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2012/12/28

「嗚呼!! 水平線幻想」 伊東竜俊戯曲集1<3>

<2>よりつづく 

Hime2
「嗚呼!! 水平線幻想」 <3>
伊東竜俊戯曲集1  1980/06   カタルシス社 単行本 372p 

1)伊東竜俊の葬儀に出席してきた。あまりに意外なというべきか、衝撃的というべきか、あるいは「劇」的というべきか。いずれにせよ、彼は享年63歳の人生を閉じたのである。

2)友人が駆るハイブリット・スポーツカーで高速を北上しながら、思い出話に花が咲いた。前日の通夜に参加した別の友人からケータイに連絡が入るなどしながら、次第に情報が立体化してきた。なるほど、彼の人生がすこしづつかいま見えてきた。

3)そもそも互いのプライバシーまで知り合う関係ではなかったが、高校教諭という以外、あまり彼のことを知ることは少なかった。そもそも結婚していたのかどうかさえ知らなかった。

4)式場に近づくにつれて案内の看板が立っている。喪主として福子さんという名前が見えてきた。そういえば今から35年前の彼のステージに立ったとき、確か同じ名前の女優さんがいたのだ。結局彼は彼女と結婚したのだろうか。葬儀が終わる最後の最後までわからなかったが、結論からいえば、あのステージに立ったのは、ふく子さんというひながなの女優さんであり、彼の奥さんになった方は漢字の福子さんなのだという。帰宅してから他の友人の電話で理解した。

5)さらに複雑なのは、あのひめんし劇場に立った女優さんには、別に福田という人もおり、複数の「ふくちゃん」論議で、ハイブリッド・スポーツカーの車内はごちゃんごちゃになった。

6)式場の案内に誘われていくと、田園風景の中に、竜俊の自宅が現れた。瀟洒なおちついたマイホームである。玄関に喪中の知らせが立っていた。なるほど、彼は彼なりに、しっかりと人生を送ったのだ。

7)案内に従って、しばらく進むと真言宗の、不動明王ゆかりの式場についた。神仏混交である。珍しいスタイルだ。彼は自らの最終劇として、この設定を選んだのだ。

8)友人たちの弔辞がつづき、子供たちも送る言葉を述べた。三者三様に語ることは、「酒」と「演劇」のことだった。火葬場から遅れてついた遺骨を待つ間、住職が、寺の由来と故人のプロフィールを語った。その時でさえ、「演劇」と「酒」が話題になった。

9)総勢150名か200名ほどいただろうか、参列者たちの顔にも急逝した故人への哀惜の念が渦巻いた。場所が場所だけに、私には、なぜか水木しげるの登場人物たちにさえ見えてきたが、これはこちらの勝手な想像力のなせるわざだ。

10)喪主挨拶でお話された福子さんのお話でわかったことは、どうやら竜俊は10月15日に最初の体調不良を訴えたようだ。それから通院し、入院し、そして帰らぬ人となった。二ヶ月あまりの闘病だったのだが、ふと、その10月15日とはなんだったのか、振り返ってみていた。

11)なんとその日は石川裕人の葬儀の日ではないか。

12)前日の通夜の席で、私は竜俊と秋亜綺羅氏夫妻と一緒に語りあっていた。そういえば葬儀の日に彼は会場にいただろうか。

13)いずれにせよ、彼はあの日を境に体調を大きく崩したのだ。

14)誰もが連想したことは、結局あのふたりは、あっちに行っても一緒にうまい酒を飲みたかったのだろうな、ということだった。それは本当かどうかはともかく、この世の事実として、二人は相次いで肝臓疾患であの世へ旅立ったということだ。

15)そもそも演劇とは酒がなければやれないのか。運転中の友人に、私は毒づいた。いやぁ~そんなことはないだろう、と友人はいう。ロックミュージッシャンたちがドラッグとの縁を絶ちがたいのに似て、演劇関係者は酒なしではやれないのか。そんなに飲んでどうするというのか。

16)複数の友人たちに毒づいてみたが、答えは、「演劇は酒なしでもやれる」という答えだった。むしろ、うまい酒が飲みたいから演劇をやっている、という答えさえあった。なるほど、逆か。そもそもの酒好きたちが、演劇愛好会を構成している、ということなのか。

17)なにはともあれ、帰り道、車中でまた昔話に花が咲いた。私が雀の森にケリをつけて、東光印刷に就職したこと。そこに現れた社長の甥である竜俊にいきなり役者として舞台に上げられたこと。そして、あのころの縦糸横糸の人間関係たち。

18)今回の弔辞でわかったことは、大学を卒業して教師となって3年目、彼は自らの学校の文化祭を休んで、ひめんし劇場を立ち上げていたことだった。休職願いを出した時、時の教頭は、「伊東先生、若いうちだから、やりたいことをやりなさい」と笑顔で受け取ってくれたという。粋なはからいだったなぁ。

19)竜俊とであったのは、35年前のことだからもうすでに風化し始めているが、竜俊は石川裕人との40年の交友を自慢していた。その話をききながら、石川とは結局50年のつきあいだったことを思いだし、私自身はどこか余裕しゃくしゃくで彼の話を聞いていたものだ。

20)逆に思う。私はこの数年、30年、40年、50年のつきあいの友人知人たちを次々と亡くしている。友人たちが消えていくことは、友人たちとの風景もつぎつぎと消えていくことである。この世にやってきて、私が私であったことは、身近な友人たちに作られてきたことが多かった。懐かしくもありがたく、もったいないとさえ思う。

21)伊東竜俊。学校の同窓先輩にして、勤務先社長の甥、そして我らが劇団ひめんし劇場の座長、劇作家にして総合文芸誌「カタルシス」編集長、伊東竜俊。ありがとう。心よりご冥福を祈ります。 合掌

追伸、そっちに行ったからと言って、あんまり油断して飲み過ぎるなよ。ニュートンにもそう伝えてくれ。

<4>につづく

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