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2012/12/10

日本演出者協会+西堂行人 『八〇年代・小劇場演劇の展開』 演出家の仕事③<3>

<2>よりつづく 


「八〇年代・小劇場演劇の展開」 <3>
日本演出者協会+西堂行人 2009/10 れんが書房新社 単行本  305p

1)本シリーズを読むにあたって、「60年代」→アングラ、演劇革命、「80年代」→小劇場の展開、と思い違いをしていたのが、そもそもの過ちであった。あるいは、そのような誤読するような企画制作している編集方針も、ちょっと問題がある。

2)あるいは、「演出家の仕事」というメインタイトルも、やっぱりさらなる「誤読」を導く誘因になっている。ここで語られているのは「演劇」である。時代、あるいは作家や評論家の好みによっては、「芝居」と言われるものの、総論として語られなければならないものが、ここでは、このような「仮の」インデックスをつけて語られているに過ぎないのだ。

3)まず言えることは、「演劇」は演出家だけでは成立しない。作家が必要であり、役者や、時には「劇団」が必要である。「場」が必要であり、「観客」あるいは「参加者」が必要である。この中から、敢えて「選出家」だけを抽出して一シリーズを編もうとしたことは、結果的には「成功」したとは言え、かなり片手落ちの冒険なのだ。

4)サブタイトルもさらに細かく、「60年代」、「アングラ」、「演劇革命」、「80年代」、「小劇場演劇」、とバラバラに解体され、もっと自由に繋ぎなおされる必要があるようだ。

5)つまり、「60年代」というキーワードで語られることは、61年から69年までのことではなく、1965年あたりを中心的に勃発した特徴的指標をさすのであり、それは50年代よりもっと前からの連鎖も意味しており、あるいは、21世紀の今日においても、なお「存在」する何事かに対する「仮の」シンボリズムを意味しているのだ。

6)この言葉群の中から、脱落していくとすれば、まずは「小劇場演劇」という単語だろう。一般的には、「小劇場」という比較用語は、まったくナンセンスで、本質的なことを意味しない。階段の踊り場を最初の「劇場」とした石川裕人にしてみれば、観客が40人も座れるアトリエなどは、「大劇場」であったはずだ。

7)あるいは、どこかもっと大きなスペースで何万人集めようが、それが「劇場」として区切られている限り、無限大につながっている自然界のリアリティの中では、そんなこしらえ物は、すべて「小劇場」でのお芝居ごっこでしかない。

8)それが、この本でもよく「演劇人」が好む「国家」についてであれ、「演劇(芝居)」であるかぎり、それはどこまでも「小劇場」での戯れでしかない。だから、まずはこの単語群の中から、私の好みとしては、この単語が脱落していく。

9)「60年代」、「80年代」、という単語もいかがなものか。そこに漠然とした挟雑物を含有しながら、多くの源泉を含ませようとする「ずるさ」には、まんざら私も加担しないわけではないが、やっぱり弱い。はっきり言って、一千年、二千年の単位で言えば、「60年代」だの「80年代」だのという、仲間内のスラングは、またたくまに胡散無償する。だから、この単語たちともおさらばする。

10)残るは、「アングラ」であり、「演劇革命」である。アングラは「アンダー・グランド」の日本的短縮形だが、50年も経過してみれば、その演劇が「地下」であることにどんな意味があったであろうか。別に逃げ隠れしながら「演劇」していたわけでもあるまい。その芝居を見たから「逮捕」された、なんてことは聞いたことがない。

11)つまりは、「アングラ」も、的確な言葉使いではなく、やはり仲間内のスラングに過ぎない。寺山や唐や、その他の「エピゴーネン」たちによって増量されたとは言え、結局は、表現しきれない「源泉」の挟雑性を指し示そうとしているに過ぎない。わかる者にはわかるだろうが、わからない者にはまったく意味をなさない用語である。いずれは、これもゴミ箱行きの用語である。

12)残るは「演劇革命」である。この単語は「演劇」と「革命」からできている。この二つの単語を恣意的に結びつけたのはこの本の編者・西堂行人の「詩的」センスであろう。演劇は必ずしも革命ならず、革命は必ずしも演劇ならず。

13)しかし、「演劇」にかかわった者たちが、自らの存在意義を主張しようという段になって、わが身かわいさから、そこに「革命」というプラスアルファーがほしかったのだろう。

14)「演」とは、つまりは「役割」を果たすことだろう。「劇」とは「物語(ストーリー)」ということであろう。演じるのは「肉体」であり、「ストーリー」は「劇作家」が作る。つまりは、まずは演劇は「作家」と「役者」によって成り立つ。そして次に「観客」が必要であるが、それは必ずしも演劇専用の「観客」は必要はなく、「演劇的観客」であることを啓蒙される必要は、本質的には必要はない。

15)肉体が肉体であることは別段に革命ではないのだから、その「物語」になんらかの「革命」性があるのかもしれない。しかし、この本で語られていることを再考してみたとしても、必ずしも、演劇台本は「革命」を語っているわけではない。むしろそんな勇ましいことからは遠く離れていたりする。

16)つまりは、この本で用いられている「演劇革命」という単語は、ストーリー性を持った肉体が現前すること自体を「革命」と呼ぼうとしている、ということである。

17)その試みは成功したであろうか。この本がそのような視点を勝ち得たというばかりではなく、いわゆる「60年代」から「80年代」を経由して潮流を形成した、「アングラ」と呼ばれた「小劇場演劇」たちは、「革命」の主体たりえたのか、たりえなかったのか。最終的に、この本はその点を問うている。

18)結論から言えば、当ブログは、演劇は革命の主体足りえなかった、と見る。すくなくとも「60年代」「アングラ」「小劇場演劇」はすでに「80年代」に「革命」性を失っていたことを自己認識していた、と見るしかない。

19)そもそも「革命」とはなにか。新しい「命」が、新しい「革袋」に入れなおされたのか。あるいはレボルーションとして、天動説から地動説へと移行するごとくの、まったくの「劇的」な価値転換re-boltを起こすことができたのか。

20)この点については、当ブログの採点は相当に辛い。そもそも期待もしていなかったし、結果もみていない。そう主張するのはかまわないし、それを阻止しようとも敢えて思わないが、それは君たち、勝手に夢を見ていたにすぎない、と言い捨てるしかない。

21)すくなくともこの「潮流」の中に、大事な友人がひとり漂っていたのだし、このような「潮流」が、すぐ傍を流れていたのだ、ということは認識しておこう。「80年代」において、私は彼を「見失った」と以前書いた。しかし、それは私が、その潮流から遠くはなれてしまったことを意味しない。その潮流が、「私」から離れていったのだ。

22)この本は実に面白い。もし私が「演劇」性を自らの表現に取り入れたいと思うなら、ほとんど必読書となるだろう。ここに展開されている議論の一つ一つが、つっこみどころ満載だ。支線をいくつもつくることができる。

23)しかし、それらは、あるコインの片面でしかない。「演劇」性から「瞑想」性への「往相」があり、「瞑想」性から「演劇」性への「還相」がありうる時、その時こそ、この本に刻まれた「演劇」たちは、「革命」性をおび始めるだろう。だが、それ以前ではない。

<4>につづく

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