忘れ去られたミッシングリンク 雑誌『時空間』12 <1>
「時空間」12号 <1>
雀の森の住人たち 1975/11 ガリ版ミニコミ p104
Vol.3 No.0898★★★★☆
1)偉大なる盟友キコリがフェイスブックで「時空間」を取り上げてくれた。他の号は覚えていたし、手元に一冊づつ在庫はあるけれど、この12号のことはすっかり忘れていた。この写真を見て、あ、そういえば、こういう絵も書いたかも知れないと、ふと思い出した。
2)ミルキーウェイ・キャラバンのあった1975年に私は21歳になり、たくさんのことがあった。いろいろありすぎて書ききれない。
3)ひとつには、私たちの雀の森には自宅出産で子供達が生まれ始めた。対関係ができると、どこに共同体の中心があるのか再確認の必要がでてきた。そして生活費をまかなう経済はどうするのかも大きなテーマになったはずである。
4)この年、キャラバンのスタートする前に、雑誌「星の遊行群」の編集上のことでいろいろあった。このことはいつかまとめてキチンと整理しておく必要がある、と思いつつ、なかなか進まない。
5)最近になって、三省やナナオ、ポンなどを再読するにつけ、あの1975年当時の私の葛藤はなんであったのか、と、振り返る。強烈な魅力と、強力な拒否感があったことはまちがいない。
6)こうしていわゆる部族の主要メンバーが亡くなっていってみると、三省のようにアニミズムに回帰することをよしとは思わなかったし、ナナオのように「フーテン」に徹する生き方に強烈な尊敬と魅力を感じつつも、自らのもとすることもなかった。あるいはポンのように確信的ジャンキーであることを素敵だとも思わない。そういうところに私の人生はあった。
7)彼らは私の父親たち、叔父貴たち、兄貴たち、ではあったが、自らの人生の模範とすることはできなかった。しかし、かと言って、自らの範とすべきものもほかに見つけられないでいた。
8)1972年に雀の森の仲間たちと80日間ヒッチハイク日本一周をした。その時、鳥取にあった、東京キッドブラザーズのさくらんぼユートピアに、小学校時代からの友人・元木たけしを訪ねた時、はじめてガリ版刷りの「名前のないしんぶん」をみた。仙台に帰ったあと、「週刊雀の森」を作り出したのは、あきらかに、あのあぱっちの「しんぶん」の影響だった。
9)その延長として作られた雑誌「時空間」は、集まってきた集合性に影響されつつ、結局は、行きどころのない難破船のようなものでしかなかった。その焦燥感は、1975年の雀の森や修羅舎での自宅出産に加速されて、私のこころには、ガラスの破片が刺さりまくっていた。
10)ミルキーウェイキャラバンは、沖縄から始まったが、私は九州の宮崎から遅れて参加した。北上しつつ、仙台まで戻ってきてみれば、もうすでに仲間たちはさらに北にむかいつつあった。ひとり、雀の森に戻って縁側で日向ぼっこをしていると、そばにOshoの「存在の詩」があった。
11)流れにまかせて流れなさい、というメッセージが痛く心に染みた。素晴らしい出来の雑誌だった。プラブッタのセンスには脱帽だ。誰に勧められたわけでもなく、教えられたわけじゃないのに、私は結局、この時、雑誌「時空間」の「廃刊」を決めたのだ。
12)廃刊を決めたあと、北海道まで行ったが、結局は札幌止まりだった。帰りは、あぱっちと一緒だった。函館で「帰郷庵」という喫茶店で、ジョージ秋山の「浮浪雲」の第一巻を読んだ。あまりに感動したので、もらってきてしまった。それを見とがめたあぱっちから、「君はいつもそういうことをするの?」と聞かれて、口ごもった。あ~、恥ずかしい。未だに返却してません。ごめんなさい。
13)そんなこんながあったあとの「時空間」12号である。たぶん、星の遊行群やミルキーウェイキャラバンの総括めいたことが特集されているはずなのだが、もう私のこころは「時空間」にはなかった。だから、この雑誌は、私の意識のどこかでは「見たくない」と思っているに違いない。
14)それにしても、この表紙はなかなか興味深い。あの時、自分はサニヤシンになるともわかっていないし、サイニヤシンがオレンジを着ているともわかっていなかったが、その時点で、現在のマルーンカラーを多用したデザインをしている。
15)浅利式色彩心理診断では、「紫」は「病気」だが、まぁ、そんなことはどうでもよくて、とにかくこの色を使いたかったのだろう。
16)私は、雀の森でもなく、部族でもなく、星の遊行群でさえもない、なにかをもとめはじめていた。それはアメリカのネイティブ・アメリカンだったかもしれないし、日本山妙法寺だったかもしれないし、Oshoだったかもしれない。いずれにしてもなんの確証もなかった。しかし、「終わった」という感覚はあった。
17)このあたりの経緯については、1992年にまとめた「湧き出ずるロータス・スートラ」と併読して見るとき、最初はぼんやりとだが、だんだんとドット数が上がるような、鮮明度が増してくる感覚になる。
18)私は、自分の蔵書としてこの「時空間」12号を持っているだろうか。もうすこし書庫をさがしてみよう。そして、どうしても出てこなかったら、誰か二冊持っているひと、一冊を私にくれないだろうか。
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