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2013/01/28

『世界の葬送』 125の国に見る死者のおくり方<2>

<1>よりつづく 

世界の葬送
「世界の葬送」 125の国に見る死者のおくり方 <2>
松涛弘道 / 「世界の葬送」研究会 2009/06 イカロス出版 単行本 166p

1)なぜか、この本を読みたくなった。前回のメモを読みなおすと、感想はそう変わったものではない。今回の読後感をメモしようとすると、前回とほとんど似たようなものになるだけだ。

2)この本を読んでもう2年半近くなるのか。あっという間の間だが、いろいろあった。まず、3・11があった。多くの人びとが死体となった。そして、近頃では、次々と友人たちが逝った。そして、一番は私自身がそれだけ年令を重ね、自分の葬送に、一歩も二歩も近づいた、ということになる。

3)再読してみて、火葬→葬儀→埋葬、というプロセスは決して世界標準ではない、ということが分かった。火葬は世界標準ではないのだ。世界標準で考えれば土葬が多いようだ。ましてやイスラム圏では火葬は厳禁ということである。

4)さらに火葬と言っても、灰になるまで焼くのが世界標準なのであって、日本のように「遺骨」が残るような「技術」が発達したのは、むしろ異様であって、オカルティックでさえあるらしい。

5)現代日本のように「代々墓」も、決して世界標準ではない。125の国がレポートされているが、こうしてみると、125の方法がそれぞれに存在しているようだ。ライフスタイルも精神構造も異なっていれば、それぞれの文化としての葬送が、それぞれのスタイルを持っていることは、当然といえば当然だ。

6)結論として言えば、私は日本にいて、ほとんどが日本の親族や友人たちに送られる限り、日本人としての標準形態で送られることに、なんの不平もない。遺族がある限り、遺族がそれなりに送ってくれるだろう。

7)現在のところ、散骨なども関心はない。墓は必要だろうが、特段に大きな工夫は必要とは思わない。むしろ残された家族が納得のいくような形であれば、それはそれでいいと思う。経済的に極端に負担になるようでも困るし、あまり粗末で、自分たちが恥ずかしいようでも困るだろう。

8)本質的には、私は、無縁仏になっても構わない。家族や親戚に囲まれて暮らしているから、今はそう思うのかもしれない。みんなに忘れ去られて、お盆やお彼岸になっても、誰もお線香をあげてくれなくても、そのこと自体は、特段に悲しいとは思わない。

9)しかし、いるはずの親族や子孫が死に絶えて、焼香したくてもできない、というのでは困る。そういう意味では、私には私なりのふさわしい墓があり、私にふさわしい程度の遺族や子孫があって、それなりに幸せに暮らしてくれている、という証で、私に焼香してくれるのなら、それはそれで、私の墓は役に立っているのではないか、と思う。

10)墓は遺族が建てるものだ、という意見がある。かたや墓は自分が生前につくるものだが、なにもないときに作るべきではない、という意見もある。墓だけではなく、家庭におく仏壇も、縁もないとんでもない時に買うもんではないという人もいるし、いや、心のおきどころとして、いつ買っても構わない、という人もいる。

11)少子化傾向で、すでに親の墓がある人も多いし、むしろ、ふたつみっつの墓を自分で管理しなければならない、という人もいる。代々石に、ふたつもみっつも複数の何々家の墓という文字が躍る時代になっているのかもしれない。

12)現実的には、時代に合わせて、どのような形でも構わない、と私なら思う。あんまり粗末でも困るが、華美になったり、独創的にでありすぎることもない。ごくごく普通でいいと私は思う。

13)法名はどうするか。生前の名前の墓でもいいかもしれないし、サニヤス名でもいいかもしれない。しかし、それは少数派だろう。私の地方では、ましてや私の親族では、生前名やサニヤス名では、ちょっと浮いてしまうだろう。そこそこの法名をつけてもらうのが、子子孫孫にとっては、納得のいく方法だろう。

14)だけど、そのようなことを考えていること自体、幸せなことだろう。遺体を探そうとしても見つからず、人知れず死を迎え、誰にも発見してもらえないこともありうるだろう。戦争で亡くなって、葬送さえしてもらっていない「英霊」たちも、いまだにたくさんある。私はそれでいいのだろうか。

15)たぶん、私はどのような死を迎えることになっても、結局はそれを受け入れるだろう。悲劇的な結末であっても、受け入れるに時間がかかっても、やはりそれを受け入れるだろう。地縛霊などにはなりたくないし、ならないだろう。だけど、いまだからそう言っているだけで、ひょっとすると、とんでもない結末になるのかもしれない。

16)そういう可能性も含めて、このような本を読んでおくのはためになる。すくなくとも、地球上にいる限り、このような範囲で私は送られるだろう。どれもこれも決して「標準」ではないが、どれもこれも受け入れて、受け入れられないものではない。それはそれで、その時、受け入れればいいのだ。

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コメント

猪対策に狼の導入 参照 http://japan-wolf.org/content/faq/

投稿: 名無し | 2013/01/28 09:33

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