よみがえる記憶 ガリ版ミニコミ雑誌『時空間』12 <2>
「時空間」12号
雀の森の住人たち 1975/11 ガリ版ミニコミ 104P
1)盟友・流峰に尋ねたら、苦もなく一冊プレゼントしてくれた。彼とてそんなに多く蔵書しているはずはない。裏ページに自分の名前が書いてあるものをくれたわけだが、ひょっとすると、夫婦それぞれに一冊づつ保管していたものの一冊なのではないか、と推測する。
2)永年忘れていた一冊だが、私がこの実質的な「休刊号」を、忘れたままにしていたかった気分もわかる気がする。あの号を編集しようとしていた時、私の心はすでに雀の森や「時空間」にはなかった。すでに混沌とし始めていたのだ。
3)私は創刊号から「まがじん雑学」というコラムを連載していた。いつもは他にも一文加えていたのだが、この号では「まがじん雑学」しか書いていない。その中には5冊のミニコミの書評が書いてある。その一番目がニューズレター形式の「存在の詩」である。
4)この号で、いしかわ邑人(石川裕人)は、「夢魔のめる篇 連載第3回 奇妙な永遠」を書いているが、これについては次回に回す。他にも高木勤介の「超科学講座 前世」や流峰の「’75CARAVAN独断的総括」など、興味深い記事で満載だが、これらも次回に回す。
5)この号の表紙も私がカッティングシートを切り抜いて、押入れのフスマを外した印刷台で、徹夜でシルクスクリーンで印刷している。21才当時の自分の作品としてはまずまずなのではないか、と思う。
6)1975年当時、Oshoは一部の仲間たちにしか知られていなかった。この当時Oshoについて書かれた書評はほとんどなかったに違いない。その中にあって、わが「まがじん雑学」に登場した一文は、かなり先駆的な紹介であっただろう。
7)あぱっちの「なまえのない新聞」や「DEAD」に触発されて作られた「週刊雀の森」や「時空間」を作り始めた私の青春は、Osho+プラブッダの「存在の詩」でトドメを刺され、一時代が終わった。流峰とプラブッタが同じ高校の同学年生であった、ということも、今となって思えば、それこそ「前世」からの仕組みであったのではないか、とさえ思える。
8)「存在の詩」
数年来、ぼくらの友達の中からインドに渡って様々な体験をして来たり、人生上の価値観についていささかの転換をし始めた人達が増えて来たが、その人数に比較して、それらの本質を説得力を持って書かれたものはそれ程多くはない。
瞑想とかトリップについて、グルとかパイロットとか言われるものとの出会いは大切であるし、また貴重な体験であると思われる。そんな意味でみんなに紹介しておきたいのが「存在の詩(うた)」というかなり吟味された雑誌だ。
オフセット印刷B5版70頁の誌面は、然(ぜん)が昨年12月から5ヶ月間そのもとで暮らしたインド・プーナに住むバグワン・シュリ・ラジネーシというグルとの出会いとその講義、あるいは講義によく引かれる処のチベット仏教タントラの始祖ティロパの詩などに大半を費やされている。
ラジネーシの説く処の深淵な内容に比して平易な文体で綴られているのでとても分り易い。また動的瞑想法とかクンダリーニ瞑想法と言った特色ある興味深いことどもについても紹介されている。この8月に創刊されて現在2号目であり、これからは月刊ペースで進めるそうで、そのエネルギーに期待されている。
然(ぜん)とはぼくはまだ一回しか会ったことがないのだけれども、3・4年前にぼくが日本一周トリップをした時の途中だった。当時、彼らは熊本の花園神社(だったと思う)の境内の中で、神にささげる食事という意味の「神饌堂(しんせんどう)」という自然食堂を中心にコレクティブ「虹のブランコ族」を組んでいた。
ラビシャンカールが流れ香が焚き込まれた床の間にカラスがちょこねんと座っていると云う落ちついたムードも良かったが、そこを目指して階段を登っていく時、目的のいささか古びた二階屋の雨戸に大きな白文字で書かれた”LOVE”が輝いていたのが、印象的だった。
ここ二・三年ちょっとニュースが途絶えていたのだけれども、また出会えてうれしい。p98「まがじん雑学連載第12回 雑誌らんだむ 阿部清孝」
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コメント
>きこり
書き込みありがとう。このあたりの経緯はいろいろあって、書ききれない。いつか少しづつメモします。
いずれにしろ、私にとってはバラバラだった、あぱっち、きこり、然、という流れが、ほびっと村や、プラサード書店という流れになって行ったのは驚きでした。きこりが三省をプロデュースしたのも驚きでしたね。あの「聖老人」がなかったら、後の国民的「詩人」山尾三省も、仲間内のヒーローにとどまったかも。
プラブッタ手書きOsho講話企画は秀抜ですね。当時、どうしてそうなったかは、私なりに理解できます。でも、2014年の今なら、この企画通ると思います。通るどころか、一大センセーションを巻き起こす可能性あり。今、星川淳がOshoのどの言葉を書くのか、考えただけで、ワクワクしますね。
私の希望としては、本当は、78年に帰国した時、「やさしいかくめい」に合流したかった。でも、そうならなかった。力量もなかったし、決断力もなかったのだと思う。
でも一番大きかったのは、帰国に際して、Oshoに打診したところ、そのコースが外されたこと。日本に帰ったら瞑想センターを始めて、落ち着いたら、プーナに戻りなさい、というアドバイスだった。
なかなか、そちらのプロジェクトも大変だったが・・・
投稿: bhavesh | 2014/02/15 06:56
一年間以上この連作のブログに気づかなかった。ちゃんとFacebookのわたしの写真には書き込んでくれていたのに。
先の章で「再集合を持っていない」と読んで、そ~か、これあげなきゃいけないかな。流峰あたり持ってないのかよ、とも思ったら、そのとおりだった。
そうだね。『存在の詩』の書評は、もっとも最初のものの気がするね。
わたしは、『存在の詩』の内容より、プラブッダの手書き文字とイラストにイカレてしまった。
それで、『聖老人』を出したあと、OSHOの書簡小冊子の翻訳出版を計画したの。プラブッダも了解して、一部の翻訳とラフレイアウトに手書きしてもらったのを、プーナの出版部に送ったの。
そしたら、返事は「プラブッダは今や認められた翻訳者じゃないので、許可できない」って。
それで、ポシャッタ。書簡集を彼の手書きで日本語出版、いい企画だったのになぁ。
投稿: きこり | 2014/02/15 04:59